Kanedaiのブログ

ぼくの きょうみのあること おもったこと

原発問題の中立は中立でない

2011年11月04日 | Weblog
武田鉄矢の朝のラジオ
丁度移動中で よく聴くことがある
頷ける内容の時もあるが
今朝の話題には呆れた 
あなた それは違うよ!
そう言いたくなった 
というのは
イギリスの原子力の研究者の話題を出して
1ヶ月で100ミリシーベルト
1年で1200ミリシーベルトまでは人体には影響がないという話
人体はいつも放射線を浴びている話
チェルノブイリでは放射能の影響で数十人しか死んでいない話
人類は300年は原発に頼るしかない 今すぐに止めるべきでなないという話
原発再稼動は各自治体の判断なのだから反対すべきではなく自治体に任せる話
原子力関係の本を5冊も読んだ話
そんな話をしていた

その内容を聴いて
彼はいかにも客観的に
中立の立場で
原子力問題を
見つめているように
伝えているが
随分 原発肯定の
考え方がベースにあることが
窺えたのである

原発問題を考える時
イデオロギーとして
扱われることがある
賛成か 反対か そして中立か
しかし
その構図で原発問題をあてはめる事ほど
意味の分からないことはない
事実を捉え 科学的に 根拠に基づいて
それがベースになければならない

チェルノブイリにおいて
甲状腺癌になっている子供
先天性疾患 奇形で生まれてくる赤ちゃん
故郷を離れ強制移住を迫られた人々の暮らし
未だに食品検査をしながら不安に食事を摂る姿
それが現実である
どんなに情報統制されたとしても
少し調べれば分かる明確な事実なのである
この過去の過ちを踏まえて
科学的に原発問題を見つめた時
やはり 社会とは共存できない 
共存すべきでない技術であることは明らかである
従って 賛成でも 反対でもない
単純に人類には必要ない!
ただそれだけなのである

もし
中立という立場をとるならば
それが あたかも客観的なイメージを持つが
中立が 科学的な根拠に基づくことなく
危険で 金のかかる原発を導く方向に
ずいぶん 加担していることを
自覚して欲しいのである

僕は 
賛否のイデオロギーという
まやかしの土俵を降り
原発を客観的に捉え
それは 全く必要ないもの
つまり 脱原発は当然行うべき行為
そういう考えを軸に
引き続き 生きていくのである

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする