轟先生おめでとう。
轟先生は、琉大を卒業して中徳で初期研修を行った。
2年間の初期研修の後、救急総合診療部と循環器内科で後期トレーニングを1年間。
昨年の春から川崎市立川崎病院の総合診療科の後期研修医として学び、この4月から総合診療科のスタッフとして採用されたそうだ。スタッフ採用は10数名いた後期研修医の中で唯一一人だった。
轟先生は、「中徳の研修で頭より体を使うのが身についたのが評価されたのかもしれない。中徳の救急総合診療部の研修環境は今から思えば本当に素晴らしかった。」と振り返っている。
多くの仲間が中徳を卒業し、いろんな医療機関で研鑽を積んでいるが、高く評価されていることが多いのは、中徳に働く者としてうれしい限りである。新病院がオープンするころには、多くの卒業生が戻ってきて中核を担ってくれることを心から信じています。
副研修委員長 今西康次
轟先生は、琉大を卒業して中徳で初期研修を行った。
2年間の初期研修の後、救急総合診療部と循環器内科で後期トレーニングを1年間。
昨年の春から川崎市立川崎病院の総合診療科の後期研修医として学び、この4月から総合診療科のスタッフとして採用されたそうだ。スタッフ採用は10数名いた後期研修医の中で唯一一人だった。
轟先生は、「中徳の研修で頭より体を使うのが身についたのが評価されたのかもしれない。中徳の救急総合診療部の研修環境は今から思えば本当に素晴らしかった。」と振り返っている。
多くの仲間が中徳を卒業し、いろんな医療機関で研鑽を積んでいるが、高く評価されていることが多いのは、中徳に働く者としてうれしい限りである。新病院がオープンするころには、多くの卒業生が戻ってきて中核を担ってくれることを心から信じています。
副研修委員長 今西康次
初期研修から3年間患者さんのベッドサイドに張り付いて思い悩んだことが私の医師としての原点です。
一生懸命治療して残念な結果になったときは、私のせいなんじゃないかと思い悩み、治療してよくなったときも、私が主治医でなければもっと早くよくなったんじゃないかと思い悩み、もっとできるようになりたいと日々もがいております。
中徳初期研修医の皆さん、中徳での初期研修は、自身への無力感と、患者さんのために頑張って得られる達成感、を医師になったその瞬間から味わえる現代では稀有の環境です。鉄は熱いうちに打てというのは本当だと思います。私自身まだまだ熱い鉄だと思っております。中徳魂で頑張っていきましょう!