前装銃射撃をされている皆さんの中には、やはりコレクター的な方が少なくありません。一人で十挺以上所有されている方は珍しくありませんし、中には何挺あるか分からない?という方までいらっしゃいます。
しかし私の場合、火縄銃であっても銃は射撃をするための道具という意識なので、必要以上に増やすことはありません。現在、普通の火縄銃 (いわゆる長筒) はたったの一挺しか所持してませんし、過去に所持したことのある長筒も三挺に過ぎません。そこで、今回はそれら “過去に使用した長筒” について書いてみようと思います。
私が前装銃射撃をしようと思い立ったのは今から16年前、1995年のことでした。当時はまだ何も分からなかったので、最初の銃は前装銃射撃をやっている方から購入することにしました。そして手に入れたのがこの銃です。ご覧のとおりの典型的な堺筒で、銘は “籃谷権右衛門” でした。
この “籃谷権右衛門” 、中々きれいな銃ではあったものの、残念ながら実弾射撃に使用するにはちょっと問題がありました。目当て (サイト) が大きく狂っており、レスト上から6時照準で撃つと黒点の右上に弾着するような状況だったのです。前オーナーも修理してから試射した程度の銃だったので、そこまで酷く狂っていることには気付いていませんでした。
自分としては目当てにレギュレーションに適合したアタッチメントを装着して調整しようとかな?と考えたのですが、そのことを知った前オーナーが別の銃と交換してくれることになりました。そして手に入れたのがこの国友筒です。銘は “國友貴重” で、火ばさみや雨覆いこそオリジナルではなかったものの、カラクリも二重ゼンマイで射撃には適した銃でした。
最初の銃は数えるほどしか撃っていないので、事実上はこれが私にとって最初の射撃競技用火縄銃ということになりますね。しかし、この銃に関しても完全に満足したわけではありませんでした。私のような軟弱者が使用するには、ちょっと重量が重過ぎたのです。
そこでもっと軽い銃が欲しくなり、三挺目として手に入れたのがこの備前筒でした。
この銃、前装銃仲間のNさんが関西の骨董品店で20万円でGETしてきてくれた物。備前筒なので姿は一見地味ですが、地板の前半、火ばさみの内側、火蓋の内側、引き金の前面、鋲の頭などに銀を使用しており、良い銃であることは一目で分かりました。
分解してみたら、銃身の銘は “國友彦左衛門” でしたが、台 (銃床) とカラクリにもそれぞれ製作者の銘が入っていました。
この銃を使用するようになってからは成績は一気に向上し、環太平洋選手権では銀メダル5個、銅メダル1個を獲得。世界選手権でもエキシビジョン競技で4位に入賞することができました。
もちろんこの銃にも弱点はありました。平カラクリということもあって、引き金の安定性がイマイチで頻繁に調整が必要だったのと、逆に銃が少し軽すぎて “止り” が悪かったのです。
もちろん、 「もし重量的に “國友貴重” と “國友彦左衛門” の中間位で、カラクリが二重ゼンマイの銃があれば理想的なのになぁ」 と思うことはありました。しかし、別に備前筒の性能に大きな不満があったわけでもなく、積極的に探すということはありませんでした。ところが、向島のM銃砲店に行ったときにたまたまそんな話をしたら、即座にこんな答えが返ってきたのです。
「えっ、あるけど……使ってみる?」
(続く)
しかし私の場合、火縄銃であっても銃は射撃をするための道具という意識なので、必要以上に増やすことはありません。現在、普通の火縄銃 (いわゆる長筒) はたったの一挺しか所持してませんし、過去に所持したことのある長筒も三挺に過ぎません。そこで、今回はそれら “過去に使用した長筒” について書いてみようと思います。
私が前装銃射撃をしようと思い立ったのは今から16年前、1995年のことでした。当時はまだ何も分からなかったので、最初の銃は前装銃射撃をやっている方から購入することにしました。そして手に入れたのがこの銃です。ご覧のとおりの典型的な堺筒で、銘は “籃谷権右衛門” でした。
この “籃谷権右衛門” 、中々きれいな銃ではあったものの、残念ながら実弾射撃に使用するにはちょっと問題がありました。目当て (サイト) が大きく狂っており、レスト上から6時照準で撃つと黒点の右上に弾着するような状況だったのです。前オーナーも修理してから試射した程度の銃だったので、そこまで酷く狂っていることには気付いていませんでした。
自分としては目当てにレギュレーションに適合したアタッチメントを装着して調整しようとかな?と考えたのですが、そのことを知った前オーナーが別の銃と交換してくれることになりました。そして手に入れたのがこの国友筒です。銘は “國友貴重” で、火ばさみや雨覆いこそオリジナルではなかったものの、カラクリも二重ゼンマイで射撃には適した銃でした。
最初の銃は数えるほどしか撃っていないので、事実上はこれが私にとって最初の射撃競技用火縄銃ということになりますね。しかし、この銃に関しても完全に満足したわけではありませんでした。私のような軟弱者が使用するには、ちょっと重量が重過ぎたのです。
そこでもっと軽い銃が欲しくなり、三挺目として手に入れたのがこの備前筒でした。
この銃、前装銃仲間のNさんが関西の骨董品店で20万円でGETしてきてくれた物。備前筒なので姿は一見地味ですが、地板の前半、火ばさみの内側、火蓋の内側、引き金の前面、鋲の頭などに銀を使用しており、良い銃であることは一目で分かりました。
分解してみたら、銃身の銘は “國友彦左衛門” でしたが、台 (銃床) とカラクリにもそれぞれ製作者の銘が入っていました。
この銃を使用するようになってからは成績は一気に向上し、環太平洋選手権では銀メダル5個、銅メダル1個を獲得。世界選手権でもエキシビジョン競技で4位に入賞することができました。
もちろんこの銃にも弱点はありました。平カラクリということもあって、引き金の安定性がイマイチで頻繁に調整が必要だったのと、逆に銃が少し軽すぎて “止り” が悪かったのです。
もちろん、 「もし重量的に “國友貴重” と “國友彦左衛門” の中間位で、カラクリが二重ゼンマイの銃があれば理想的なのになぁ」 と思うことはありました。しかし、別に備前筒の性能に大きな不満があったわけでもなく、積極的に探すということはありませんでした。ところが、向島のM銃砲店に行ったときにたまたまそんな話をしたら、即座にこんな答えが返ってきたのです。
「えっ、あるけど……使ってみる?」
(続く)