押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

FRB公定歩合0.5%引き下げで株価沈静化か・・・

2007-08-18 12:05:29 | 気になる話題
このところ金融市場の不安定化が懸念されていたが、FRBが公定歩合を0.5%引き下げたので忽ちNYSEの株価は上昇に転じた。為替相場はこれを受けて、少し円安に転じた。兜町は土曜日で取引がないから、月曜日にならないとこの公定歩合引き上げの結果は判らない。その直前には800円台の暴落であった。これで一件落着かどうか・・・。
日銀はこれで金利上昇は見送ることになったとの報道あり。

世界の金融市場の混乱

2007-08-16 14:26:35 | 気になる話題
米国住宅ローン市場(サブプライムローン)の破綻・焦付きから派生したNYSEの株価の下落がなかなか止まらない。ヨーロッパ、日本に波及している。
田中 宇の警告・解説が私の気づいた範囲では適切なものに見える。
尾身財務大臣はサブプライム問題は峠を越えたとのご託宣、まあ立場があるから、悪い予想は出来ないだろうが、余りにノー天気。

まだまだNYSEは下げ止まらないようだ。そして兜町も・・・。更にアジアも軒並み・・・。

つづく

小池防衛大臣の勇み足?

2007-08-14 23:08:26 | 気になる話題
小池大臣の防衛次官人事が官邸との間で齟齬があったのと報道がある。これは何なのだろう?ねじれとは無関係か?仲良し内閣の乱れか?話題の種に事欠かない安倍内閣。いつまでも楽しませてくれるね。まだまだ楽しめそう。朝日の記事はとても詳しく、山崎拓氏の名前まで出てきて、小池大臣の去就にまで言及があり、良く判った気になり、楽しめる。

衆参ねじれ現象ーねじれその2 テロ特措法

2007-08-06 22:28:27 | 気になる話題
テロ特措法の扱いについてあれこれの報道があるようだ。菅氏が修正に含みの発言とか、安倍首相が民主党にテロ特措法延長に協力を協力を、これは国際貢献なのだから、と語ったそうな。
これは世界平和、アジア中東、アジア極東域、などなどの平和に直接関わる問題である。藤原帰一氏のお話にあるように>極東アジアの冷戦は終了していない。また、藤原帰一氏と酒井啓子氏の対談にもあるように中東の平和に対するアメリカの戦略は破綻寸前で、これに協力する事が国際貢献というのは詭弁である。もっとも参議院選挙で安倍か小沢かと問題提起して、結果として敗北しても、参院選は首相の地位とは無関係と居直りを決めた詭弁士であるから、この程度の事には驚いてはいけない。
民主党はこうした観点に立って、イラク戦争をどう終結させるか、それに向って日本がどのように貢献出来るか、を検討・提示することが大切である。例えば、イラクから軍隊を引き上げた国々、スペイン、イタリア?等などがその後、現在、どうなっているか、などは日本のメディアでは語られていない。私も不勉強だ。
『ここは間違い!テロ特措法はアフガン戦争支援の給油活動などが主体。イラク戦争関連ではない。訂正します。
極東アジアの平和に関連している話題に次期主力戦闘機F22の導入計画がある。防衛省はその導入を米国側に打診したようだが、米議会は優れた先進性と高度の機密と更にアジアでの役割などについての説明が不充分と海外輸出の禁止決議をした。

民主党参院第一党/参院野党過半数の影響ーねじれその1

2007-08-05 13:54:45 | 気になる話題
参議院議員選挙の結果を受けてあれこれの新事態が生じて来ている。その一はテロ特措法反対をこれまで同様に打ち出した。参院で過半数を取ったことでその影響がどこまで及ぶかは計り知れない。只今の所は米国駐日大使が小沢代表に会いたいと申し出があり、一旦断ったが、日米関係全般について話し合いたいと改めて申し出があったとかで、会うことになったそうだ。野党の代表との懇談なんて敗戦後なかったことだと思う。「敗戦後の米軍占領の残渣を払拭する」のが安倍晋三首相の主張だそうだから、米国政府と野党とが話し合うのもそうした流れの一つと私は思うのだが、安倍さんはそんな風には考えないだろうな。

「判る」とはどういうことかーその3

2007-06-19 07:39:40 | 気になる話題
その1、その2で自然科学の分野を駈足で概観した。いわゆる社会科学、経済学などについても、再現性のある定説は何もない、と言う事を述べた。こうした分野では「判らない」ことを「判る」ようにする仕組みを作り上げることが我々の緊急の課題であろう。
少し飛躍するかも知れないが、こうした判らない世界をいわば出鱈目に動かしている政治経済に翻弄される大多数の庶民は、その気持ちを広い意味での娯楽で発散させている部分が大きい、と思われる。
かつては文学がそうした気持ちを代弁し、共感を得ていただろう。そうでなくなったのはかなり昔で、文学、文学運動などが一定の活躍する場面がなくなってから久しい。今は漫画がその役割を担っていると筆者は実感している。「キャプテン翼」には息子もジタンもトッティも影響を受けたそうな。自衛隊のイラク派遣隊が建物、車体に主人公の漫画を描いて、攻撃を免れたとか・・・。
また飛躍して、例えば、小沢信男の「通り過ぎた人々」を読むと判らない、再現性のない、世界で悪戦苦闘していると私には思えて来る。また、田所泉の「楠ノ木考」は同じ文学運動体をもっと正面から捉えようとして苦渋の年月を描いている。この本には運動体のレビューが書かれていて、これは「判らない」世界を「判る」ようにする努力の一つとして理解出来る。
文学と文学運動、文学運動体については少し私の理解を説明する必要があるだろう。前の段落の解説には少し飛躍があるかもしれない。文学は人間を描くのであって、描かれ方の良し悪しは如何に共感を得られるかで評価されるだろう。運動、運動体は人間が生きている社会、その背景となる政治、経済をどう捉えるか、を見据えて、表現方法、手段などなどについて論考を進める、のだろうと思う。
だからその1で述べたように経済、政治が「判らない」世界にあることを斟酌すれば、政治的な事柄に命を掛けるなんて私にはとても出来ない、と思うのが。
つづく

「判る」とはどういうことかーその2

2007-06-16 23:45:23 | 気になる話題
その1では物理系の世界で「判る」とはどういうことか、を説明した。ここでは生物系の世界の話をしよう。
遺伝子解析が進み、生物系で起こるあらゆる現象は遺伝子に関ると説明されるような風潮である。門外漢としては、そうかな?と半信半疑だが、積極的に否定するほどの知識はない。
生物は地球上で40億年の時間をかけて進化してきた。それを担っているのは遺伝子である。一部の生物に関しては遺伝子解析が完全に終えたと報告されているようだが、解析できた事と個々の生物に発現している結果との関連の理解は殆んどこれから始まることだろう。
例えば、人間が持っている様々の難病の多くは遺伝子異常だろうとの理解が日々のメディアで紹介されている。遺伝性の病は殆んど全てこうした類だろう。第二種糖尿病などもその一つと聞いた。このような遺伝子異常は昔ある時期に起こり、致命的でないので、次世代へ受け継がれているのだろう。
精神的な面ではどうなのだろうか?こうした面の解析は多分単なる病とは違い、難しいと思われるが、いずれ様々な障害が明らかにされるだろう。

「判る」とはどういうことかーその1

2007-06-16 13:35:14 | 気になる話題
暫く書き込みを怠けていた。表題のテーマを考えていて、なかなかまとめることが出来なかった。あるきっかけがあり、実行する事にした。

話の発端は松井教授の小冊子を読み、講演を二回聞いた事が始まりである。二回目の講演は4月末に学士会で聞いた。演題は「我々とは何か、何処から来て、何処へ行くのか」であったと記憶する。初めの講演については既に書いた.

それらを随時引用しながら書くことにする。現生人類がアフリカに発生したのは16万年前と言われているそうな。最初は狩猟生活をしていて、食料を確保するために各地を移動し、世界中に広まった。しかし、農耕生活を始めたのは一万年前で、地球の気候が安定したからだと考えられている。どうして安定したかは今でも不明だが、観測的に確かめられている。農耕生活を始めてから、地球システムに人間圏が生まれた。生物圏から人間圏が離れたのである。ネアンデルタール人、クロマニヨン人は農耕生活をしなかったのである。だから、生物圏に留まり、人間圏を創出しなかった、出来なかった。松井教授は人間圏を現生人類が維持できたのにはもう二つの理由があると提案している。一つは生殖期間を過ぎたおばあさんが現生人類の化石を調べると居た事を上げている。当時困難だったお産を経験者として安全なものにするに大いに頼りに成っただろうし、子育ての強い担い手だったろう。石原知事が勘違いしている、女でなくなった婆が無駄に生きている、というあの話題である。三番目には言語と共同幻想の存在である。共同体の目的を遂行するには言語と仮想がなければならないだろう、ということである。

「判る」と言う事はこうした共同幻想の一つを具体的に提示し、それを他人が実行すれば、その通りになる。と言う事になる。物理、化学、天文学などではこれは当たり前のことである。査読付学会誌に論文を投稿して、あれこれの紆余曲折の後、無事受理され、印刷され、発表される。

こうした論文発表システムは「判らない」ことを「判る」ようにする、過程の一つの大切な構成要素であり、その過程全体はアカデミズムと呼ばれる。このシステムは近代西欧で生まれた。ニュートンが月は落ちないのに、何故林檎は落ちるのか、を考えたと言う良く出来たエピソードがあるが、あの頃が始まりだろう。

自然科学の分野ではこれらのことはごく自然に日常的に国際的に行われている。しかし、経済学では仮説があっても定説はないようだ。例えば東谷 暁著 「エコノミストは信用できるか」文集新書 を読むと現代の著名な経済学者、エコノミストが競馬の予想屋のように評価されている。更に、ノーベル経済学賞といのがあるが、どうして経済学賞が生まれたのかについては疑問があると聞いた事がある。ここではこれにはこれ以上触れない。

従って、経済の上に乗る政治については更に怪しい。政治家の言う事は誰も信用しないが、選挙になるとあれこれの尤もらしい提案が出て来る。昔は政策と言ったが、今はマニフェストというそうな。こうした政策提案を最も大規模に行うのは米国大統領選挙であろう。ブッシュ政権はまだ残任期間があるが、次期大統領選挙戦は既に始まっているとか。各候補者の後ろにはシンクタンクが控えていて、大規模な複雑系シミュレーションを行っているだろう。

こうしたシミュレーションが正しくない事は新任大統領の人気が着任後急速に下落する事からも「判っていない」ことが明らかである。

自然科学以外の、自然科学でも複雑系のシミュレーションの結果の正しさを実験、観測で実証する難しさがあることは忘れてはならない、自称「科学」、社会科学、人文科学等などではどのようにして「判らない」ことを「判る」ようにするかは緊急焦眉の重要課題である。

こうした自称「科学」の世界ではカリスマ性とか信頼度とか曖昧な要素が重んじられ、信ずる世界に近づいて行く。それは宗教の世界に限りなく近い。現に政治と宗教は公明党と創価学会のように密接なつながりがある。カリスマ性などが跋扈する共同体では派閥が生じ、スパイ活動、組織防衛などの非科学的な活動が活発になる。

松井教授は似非科学を排除して専門科学技術について納得する仕組みを新たに構築する必要がある、と提起している。

イラク、六カ国協議、従軍慰安婦・・・

2007-04-05 01:15:13 | 気になる話題
ネットニュースに適切に引用できる記事がないのだが・・・、これらの三つの話題は相互連関があると私は見ている。そのような論調も見聞きしたような気がするのだが、探すと見当たらない。
1.イラク問題がどうにもならない段階に来ている事は米中間選挙、その結果、それ以後の米国内の動き、などなどを見れば明らか。また、書き掛けのままだが、酒井・藤原の対談を読めば、これまた明らか。
2.六カ国協議はその前にペルリンでの米国・北朝鮮秘密会談の辺りから何やらおかしくなり、アメリカとの直接交渉を従来主張していた北朝鮮の主張通りの展開になってきている。つまり、核実験の威力がものを言っている、ように見える。あれこれあるが、マネーロンダリングがあったのは明らからしいが、中国経由でそれを認めて、金融解除をしようとしているらしい。また、ステルス戦闘機F22の沖縄暫定配備もあっさり北朝鮮の要望を認めて、米本土へ帰るらしい。
3.日本政府は拉致問題一辺倒であるが、米国議会で、民主党が多数になった、従軍慰安婦問題を取り上げて、日本政府を牽制しているのではないかと思われる節がある。下司の勘繰りでは拉致問題と従軍慰安婦問題とで天秤に掛けて、日本政府を黙らせ、六カ国協議を成功裏に終らせる。これがブッシュ政権の極東における外交成果、手柄と言う事にしたいのではないか。そして、ここは一件落着、さあイラクに専念しよう、と私には思えるのだが・・・。

そもそもアジアでは冷戦が終っていない!が藤原帰一先生のお説で、今の所これの異議を唱える材料はないと私は思っている。今回の六カ国協議の終らせ方はかつてのキッシンジャー権謀術数・誤魔化し外交を更に範囲を広げて誤魔化すことになると私は感じている。従って、日本は日米関係を単純に強化する従来路線から転向する事を真剣に考えなければ21世紀を生きることは出来ないのではないか、と思う。この問題に暫く注目して行きたい。

補足1.田中 宇(たなか さかい)の記事が一つの別の見方を示している。

八百長談議

2007-03-12 22:10:09 | 気になる話題
春場所前に大相撲に八百長があるとかないとか、やれ訴訟問題だとか、賑やかだった。ところが蓋を開けると初日に横綱、大関がバタバタと倒れた。二日目も横綱、大関が股負けた。八百長なしで、真面目にやるとこんな具合だと言わんばかり。また週刊誌が賑わい、売れそう、それを目指して仕掛けているのだ、と言う話も聞いた。

年次改革要望書ーその2

2006-10-18 01:42:38 | 気になる話題
関岡英之氏が年次改革要望書の存在を指摘した最初の人らしい。彼の著書でその重要性に気づいた人は森田実氏らしい。彼は毎日のようにこうした話題をブログにせっせと書いている。色々面白い話を書いているので是非読まれたい。
そもそも年次改革要望書はwikepediaによれば、宮沢喜一首相とビル・クリントン大統領とが1993年に約束して始めたことである。森田実氏の解釈では断りきれずに始めた、とあった。当の宮沢喜一元首相はどう言っているのか、知りたくて、「聞き書宮沢喜一回顧録」岩波書店を図書館で借りる事にした。こんな本は誰も借り手がないのか、直ぐに予約できた。

ヤルタ体制崩壊の兆候ーその2

2006-07-30 23:01:57 | 気になる話題
北朝鮮のミサイル発射実験に関してこれはヤルタ体制の崩壊ではないかと書いた
イスラエル軍のレバノン攻撃とその反発は全面戦争に発展しかねない状況である。しかも国連軍に対しても攻撃が加えられている。これに対して国連議長声明を決議したが、米国の反対で「非難」決議にはならなかった。この件に関する朝日新聞の記事と中国人民網の記事とを較べると面白い。米国は、反テロ体制の元では、イスラエルがテロのヒズボラに反撃し、テロ勢力を援助しているレバノンを反テロの攻撃していることは、非難出来ないのである。
日本はこの件に関して態度を明確にはしていない。日本はアラブとは石油の関わりで悪くはない関係にある。従って、ここでは手の汚れていない立場にあるが、どうしたら良いのだろうか?

一方、アセアン地域フォーラムでは中国は北朝鮮の六カ国協議に復帰する説得に失敗したと朝鮮日報が報じている。

また、イランの核問題に関して国連安全保障理事会が対イラン制裁警告決議案を採択しようとしているが、イランは採択するならばそれに見合う対抗措置をとるとの見解を示した

第二次大戦の戦勝国の戦後の枠組みを構築したのがヤルタ会談であり、冷戦で大幅な修正があり、冷戦後も更に修正があったと私は理解しているが、ここに上げた諸問題の解決の混迷振りを見ると枠組みの土台そのものが根底から揺らいである、と考えるべきと思う。

日本は敗戦国としてその論理で行動してきた訳だが、戦勝国・敗戦国の枠組みを乗り越えた論理を構築すべく、これらをアウフヘーベンするべく、あれこれの努力が必要である。

米国産牛肉輸入を政府決定

2006-07-28 14:05:23 | 気になる話題
政府は7月27日に米国産牛肉の輸入を決定した。食の安全に対する国民の信頼を得ていないまま踏み切ったと私は考える。こうしなければならない理由があるならもっと説明して欲しい。また、最低条件として生産地の名前を販売店、飲食店等に明示して欲しい。最終的には国民一人一人が懐と命とのバランスで判断出来るようにするべきである。

最近の電気製品、機械製品、建築物等などをみると、瞬間ガス湯沸器、石油ストーブ、エレベーター、トラック、自動車等など、ユーザー個人では明かに対応しきれない欠陥商品、欠陥製品が多過ぎる。NPOでこうした製品の検査をプロの目で行う組織を立ち上げられないだろうか?

北朝鮮のミサイル実験/ヤルタ体制の崩壊直前

2006-07-08 14:33:32 | 気になる話題
北朝鮮によるミサイル実験があり、その後の国内のあれこれの反応、アジア各国の反応、欧米の反応等などこれまで余り見られない兆候が出ているように思う。私の独断と偏見を書き留めておきたい。

その前に半藤一利氏が昭和史を書いていて、その紹介をした。彼は幾つかの日本人の性癖を上げて、忘れっぽいとか付和雷同するとかと指摘し、そういうことがないよう今後は気をつけたい、と結論した。そのことについて説教口調と苦言を呈した。

上の話を思い出したのは北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)日朝国交正常化交渉担当大使の5日の日本のメディア相手の記者会見の記事を読んだ時である。サンスポの紹介を引用すると『究極の逆ギレ-。北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)日朝国交正常化交渉担当大使は7日、平壌で日本メディアなどと会見し、5日の弾道ミサイル「テポドン2号」発射に対する日本政府の制裁発動について「言語道断」と猛反発し、「もっと強い別の対応をせざるをえない」などと脅迫とも取れる発言を繰り返した。北の非常識ぶりと危険さが改めて際立った。』とあり、他の各紙の表現もこれに近いものであった。

この宋日昊大使の発言の口調は70年ほど前の大日本帝国政府の発言そのものであると私は感じた。半藤一利氏の本を開けばその事はタチドコロニ理解できる筈である。当時の日本政府は世界から敢えて孤立し、国際連盟から脱退した。北朝鮮は交渉の可能性を残しており、まだマシである。山室信一氏の「日露戦争の世紀」にあるように、「19世紀末、20世紀初めには、ロシアの南下政策、不凍結港の確保にも象徴される、と大英帝国のアジア地域での覇権、支配との対立があり、日本は近代化してそこに一定の利権を得ようとして、韓国を保護国、併合、つまり植民地化へと進んだ。」のである。
この誤りの解決が不完全になされているために東アジア三国とのギクシャクした関係がこのところ顕著になっている。

あれこれの対立点の拠って来る所以はヤルタ体制に固執しつつある欧米中(露はここから下りた?)の戦勝者の論理である、私はと思う。宋大使の発言の基調は、あるいは金正日の「跳ね上がり」も、この戦勝者の論理である。

これに対して日本は戦敗者の論理でヒタスラお金でこれまで解決して来た、と思っていた。今回は日米安保体制を頼りに、また時間の経過を良いことに、戦勝者の論理に乗り換えられる、と思い込んでいるのではないか、が私の危惧である。宋大使もこの点を指摘している。

日本国憲法第九条戦争の放棄は次の通りである。「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」私は日本近代化百余年の数々の近隣諸国に及ぼした不正義行為を念頭におくならば、「経済制裁」も武力による威嚇に劣らない脅威であると考える。

日米同盟に重きをおくのは大変結構である。しかし、過去の百余年を勘案し、中国、韓国、北朝鮮、ロシアの諸国のリーダーとも直接対話を行う事が肝要である。

長期的視点としてはヤルタ体制後の新しい国際関係体制の構築を模索する事を考慮すべきである。ヤルタ体制はもう破綻しているのである。国連の常任理事国に立候補するならこうした視点をアジア、アフリカ諸国に展開する努力が大切。最後のこの話題は引き続き展開したい。弁証法の用語を使えば「ヤルタ体制のアウフヘーベン」である。