世界が忘れてはいけない島がある
■監督 クリント・イーストウッド
■脚本 アイリス・ヤマシタ
■キャスト 渡辺 謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬 亮、中村獅童
□オフィシャルサイト 『硫黄島からの手紙』
おススメ度 ⇒★★★☆ (5★満点、☆は0.5)
cyazの満足度⇒★★★★
硫黄島、それは日本にとってもアメリカにとっても是が非でも抑えておかなければならないポイントだった。
イーストウッド監督は、その日本とアメリカの両サイドの視点から、先に公開された『父親たちの星条旗』に
続き、この映画を撮った。
できるならば同じ日に両方の映画を観たかったため、少し観る時期を遅らせて2本の映画を続けて観ることにした。
実際に映画を観るまで、なんら予備知識を持たずに観ることにした。
“東京都小笠原村硫黄島”、恥ずかしいことにどこにあるのか知らなかった。 地図を見ると日本の最南端に
ほど近い太平洋に浮かび、沖縄よりもまだ南で東京都に属するとは想像もしていなかった位置だった。
山手線一周ほどもないこの小さな硫黄島。 日本にとってはアメリカ軍の本土攻撃を食い止める最期の砦だった。
当初アメリカ軍は、子供の手をひねるが如く、その圧倒的な戦力の違いから、たった5日で陥落できると踏んでいた。
しかし、予想以上の日本軍の抵抗によって激戦は36日間に及んだ。
僕がこの映画を観て最も強く感じたのは、イーストウッド監督が日本人以上に大和魂をこの映画に注入し、
表現できたかと言う事だ。 そしてもし日本人が監督していたとしたら、この映画は脚本の良さを無視して、
日章旗を振りかざす映画になっていたのではないだろうか。 もちろんそれは日本国を肯定するしか
描けない世界がそこに存在していただろう。
しかしイーストウッドは違った。 これほどに日本人の心情を日本人よりよく研究し、戦争の悲惨さや
アメリカとの当時の軋轢を無視し、日本人の視点に立って描いていたのには本当に感服した。
なにゆえにこれほど的を得た映画が撮れたのだろうか。
文化や思想やその全てが異なる環境下で、ここまでイーストウッド監督が戦地における日本人を見事に
描いてみせることが出来たのは、やはり日系三世のアイリス・ヤマシタの脚本があったからに他ならない。
彼女は戦後米国へ移住した父母を持ち、戦争当時、東京近郊に住んでいた母親から空襲の話を
聞かされて育ったそうです。 だからある程度の日本の戦争についての知識はあったんだという。
日本への関心は、もともと少なからずあったそうです。 ただし、「硫黄島からの手紙」の脚本に関しては、
書籍や資料をもとに広範な調査を行ったという。 この結果を元に素晴らしい日本人が描こうとして
描けなかった何かを、イーストウッドは彼独特の優しさと柔らかさを持たせた映画に仕上げることができたのだろう。
もうひとつは、どのようにして役者とのコミュニケーションをイーストウッド監督はどのようにして取っていたのだろう。
もちろん通訳を介してだと思うのだが、渡辺謙が英語が出来ると言う点でうまく彼が潤滑油の役割を果たして
いたのではないかと想像する。
この硫黄島の戦いを率いた日本軍の栗原中将、若き兵士・西郷ら何人かの人物に焦点を当て、硫黄島での戦いを
明らかにしていく。 戦後61年が経ち、地中から発見された数百通の手紙。 届かぬとわかっていてしたためられた
家族への思いが、余りにも悲痛で胸を打つ。
但し、手榴弾で自害する日本兵のシーンはについては、やはりアメリカ人から見たある意味“侍の切腹”と
同じ感覚の珍しい物を見る視点が感じられる。 かつての『ラストサムライ』も同様だった。
生きるやめに洞窟を掘り、そしてそこに立てこもる。 映画としては綺麗に描かれているものの実際には、
その洞窟内はひどいときだと気温が60度にもなったそうだ。 まるで炎天下の中でエアコンを止めた自動車の中のようだ。
栗林中将の「無駄に死んではならない」との厳命に従い、水もなく、怪我や病気で苦しむ中、弾薬も尽き、
食料もなくなり、「人肉を食らった」とも言われる状況に陥っていたのです。 戦後60年を経て、生存者が重い口を
開いたところによると、「人間性の入る余地 など欠片もなかった状況・・・」だったそうです。
そんな状況下で、今の時代にぬくぬく育った僕たちが想像も及ばない出来事が展開されていたことなんて、
理解のできる範疇ではないはずです。
そして軍国主義の真っ只中、あの映画の中での日本兵の言動はあまりにも不自然だった。
さらに上官に歯向かうなんて事は、銃殺もありえた状況だったに違いない。 そのあたりはフランクなアメリカ人の
表現でしかないですね(笑) もっとも若い人たちには決して不自然でなく受け入れられたでしょうが・・・。
戦後60年経ても、口を開くことのなく他界していく硫黄島からの生還者がいることを考えると、アメリカ人に
硫黄島の映画作りを任せていること自体に問題があり、日本人が自ら向き合うことが必要な「不都合な真実」なのでしょう。
どちらが勝ち組でどちらが負け組なのか。
そんな疑問と、アメリカ的スケールで描かれた部分を差し引いて、この映画は日本人にとって世界中で
公開されたとして恥ずかしいものでは決してないものだし、イーストウッドの日本人に対しても懺悔の気持ちも
少なからず感じられる秀作だった。 昨年の『ミリオンダラー・ベイビー』に続き素晴らしい仕事をしたと思います。
二宮さん演じた若い日本兵の言動は、あくまでも
「アメリカ人の表現」だと私も思いました。
戦時下で、しかも本土の盾となる島を守るという
ときに、上官に意見する兵士がいたとは思えません(笑)
硫黄島の日本兵をよくあそこまで描いたと思いますが、
やっぱりアメリカ映画なんですね。。。
>二宮さん演じた若い日本兵の言動は、あくまでも
「アメリカ人の表現」だと私も思いました。戦時下で、しかも本土の盾となる島を守るというときに、上官に意見する兵士がいたとは思えません(笑)
ですよね(笑) ま、現代風アメリカテイストって感じですかね~
>硫黄島の日本兵をよくあそこまで描いたと思いますが、やっぱりアメリカ映画なんですね。。。
そうですね!でも恐らく日本人が日本人的視点で描くともっとつまらない映画になったでしょうね!
「武士の一分」の際には、「芋がらの煮物」をTBしてくださってどうも有難うございました
(プライベートな引越しなどでご挨拶が遅くなり、申し訳ありません)
「硫黄島~」、家族が観に行きました
「重いけど、いいよ」と聞いていたのですが、やっぱり題材の重さから躊躇してしまい観ずじまい...
でもcyazさんの記事を読んで、ちゃんと観ようと思いました
クリント・イーストウッド、好きですし
cyazさんほどではないですが、私も映画が好きなので、リンクさせていただきました
事後報告になりますので、もし不都合がありましたらおっしゃってくださいね
ああいう人もいたのかな?それは分かりません。
でも、いなかったような気がするんです。
ただし、西郷のような人物がいたからこそ若い観客は容易に感情移入できたのでしょうね。
>「武士の一分」の際には、「芋がらの煮物」をTBしてくださってどうも有難うございました
(プライベートな引越しなどでご挨拶が遅くなり、申し訳ありません)
いえいえ、ご丁寧に恐れ入ります^^
>「重いけど、いいよ」と聞いていたのですが、やっぱり題材の重さから躊躇してしまい観ずじまい...
そうでしたか。
>でもcyazさんの記事を読んで、ちゃんと観ようと思いました クリント・イーストウッド、好きですし
是非ご覧になって下さい!
>cyazさんほどではないですが、私も映画が好きなので、リンクさせていただきました
ありがとうございます^^
こちらこそ、これからもよろしくお願い致しますm(__)m
>この映画の中で疑問を持つとしたら若い兵士の言動でしょうか。ああいう人もいたのかな?それは分かりません。でも、いなかったような気がするんです。
そうですね、おそらくいなかったでしょうね。
>ただし、西郷のような人物がいたからこそ若い観客は容易に感情移入できたのでしょうね。
少なくてもこの映画を通して、僕たちを含め若い人が戦争について何かを感じ、また考えてくれればいいと思います。
日本人が撮るべき映画だったのかもしれませんが、アメリカ人であるイーストウッド監督だったからこそ、
ズシっと胸にくるものがありました。
二宮くん演じる兵士の言動は、言われてみると確かに不自然でしたねw
でも、映画を観ている我々現代人の気持ちを代弁してくれているようで、やはり感情移入してしまいました。
>目を背けたくなるようなシーンがたくさんありましたが、実際の硫黄島はそんなもんではなかったのでしょうね。。。
想像を絶することが多々あったでしょうね。
>日本人が撮るべき映画だったのかもしれませんが、アメリカ人であるイーストウッド監督だったからこそ、ズシっと胸にくるものがありました。
その通りだと思います。
>でも、映画を観ている我々現代人の気持ちを代弁してくれているようで、やはり感情移入してしまいました
まあ手法としてわかりやすくしたというところでしょうね(笑)
こちらからもTBさせていただきますね☆
イーストウッド監督の姿勢、視点に脱帽だったのですが、
脚本は日系人の方が書いておられたんですね。
なるほど。。
インタビュー、興味深かったです。
>イーストウッド監督の姿勢、視点に脱帽だったのですが、 脚本は日系人の方が書いておられたんですね。なるほど。。
日本人の心を良く押さえていたと思います。
そして脚本の良さもあったと思いますね^^
>インタビュー、興味深かったです。
参考になれば幸いです^^