【平泉FAN-TV】平泉のススメ #3 〜清衡と仏国土〜
今日の「古典の会」の勉強会ですが、「おくの細道」の芭蕉の旅も奥羽の平安京とされた平泉に到着しました。
「三代の栄耀一睡の中にして、・・・「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」という句のとおりだと、笠を敷いて腰を下ろし、時のたつのも忘れ、悲劇を回顧しながら涙にくれた。・・と芭蕉は記し、この旅の目的は、この大悲劇の死者の霊を慰めることにあったとも言えます。
芭蕉の旅もここで鎮魂の一章を記しました。
「夏草や兵どもが夢の跡」 眼前に夏草が茫々と生い茂っている。武運つたなく滅び去った悲劇の歴史を観ようとしている。生命力旺盛な夏草と、はかなくもろい夢との取り合わせが、悲涙を誘う、兵どもの鎮魂句でありますね。
それに芭蕉は、奥州藤原氏が、清衡、基衡、秀衡、と三代にわたって築いた栄華も、ひと眠りする間の夢のように、はかなく消えた
「五月雨の降り残してや光堂」・・・藤原三代の棺を納めた光堂が、草むらと化することなく、燦然と輝いている。万物を腐らす五月雨も、光堂だけは降るのを避けたのだろうか。この「光」が藤原三代を慰霊する詩語といえます。このように芭蕉はこの平泉を訪れ、栄枯盛衰の歴史を偲んで、単なる」実景描写を超えて、平泉の悲劇を厳かな気持ちで弔いました。
今日の「古典の会」の勉強会ですが、「おくの細道」の芭蕉の旅も奥羽の平安京とされた平泉に到着しました。
「三代の栄耀一睡の中にして、・・・「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」という句のとおりだと、笠を敷いて腰を下ろし、時のたつのも忘れ、悲劇を回顧しながら涙にくれた。・・と芭蕉は記し、この旅の目的は、この大悲劇の死者の霊を慰めることにあったとも言えます。
芭蕉の旅もここで鎮魂の一章を記しました。
「夏草や兵どもが夢の跡」 眼前に夏草が茫々と生い茂っている。武運つたなく滅び去った悲劇の歴史を観ようとしている。生命力旺盛な夏草と、はかなくもろい夢との取り合わせが、悲涙を誘う、兵どもの鎮魂句でありますね。
それに芭蕉は、奥州藤原氏が、清衡、基衡、秀衡、と三代にわたって築いた栄華も、ひと眠りする間の夢のように、はかなく消えた
「五月雨の降り残してや光堂」・・・藤原三代の棺を納めた光堂が、草むらと化することなく、燦然と輝いている。万物を腐らす五月雨も、光堂だけは降るのを避けたのだろうか。この「光」が藤原三代を慰霊する詩語といえます。このように芭蕉はこの平泉を訪れ、栄枯盛衰の歴史を偲んで、単なる」実景描写を超えて、平泉の悲劇を厳かな気持ちで弔いました。