会津コロリ三観音の三番目の観音さまは西会津町にある金剛山 如法寺の「鳥追観音」です。この観音さまは、開創以来、信心するものには影身に沿って守護し、悪事災難は我に代わって受けると仰せられ、子授け、安産、子育て、出世など限りないご慈悲を伝えています。また金剛寿命尊をなで、肌守を念持すれば病魔が除かれ、安楽往生がかなえられると言われて若いカップルにも人気があります。
会津三十三観音の「番外祈願所」となっています。
「鳥追観音」は大同2年(807)徳一大師が坂上田村麻呂の祈願により創立したと言われ、たまたま行った日が御開帳でしたので本尊の行基菩薩が自ら敬刻開眼された聖観音で、胎内に一寸八分の鳥追観音を入仏した秘佛を拝観することが出来ました。本堂は慶長16年(1661)の大地震で倒壊しましたが、津川城主の岡半兵衛が再建しました。本堂の杉は西方極楽浄土へ導く意味を表し、東西向拝口と三方開きで、我が国で唯一の構造です。若方丈さんの面白い説明もあり、御堂には
左勘五郎作の「隠れ三猿」の彫刻がありこの猿を探し得た者は「福まさる」と縁起が良いそうですので私も懸命に探しましたが、残念ながら二つの猿しか見得ませんでした。方丈さん曰く、まだ雑念が多過ぎるとのことでした。煩悩が邪魔してしまいましたね。でも無事にこれで会津コロリ三観音巡りは終了いたしました。
金剛き山のごときの法の寺 まこと大悲の浄土なるらん
会津三十三観音の「番外祈願所」となっています。
「鳥追観音」は大同2年(807)徳一大師が坂上田村麻呂の祈願により創立したと言われ、たまたま行った日が御開帳でしたので本尊の行基菩薩が自ら敬刻開眼された聖観音で、胎内に一寸八分の鳥追観音を入仏した秘佛を拝観することが出来ました。本堂は慶長16年(1661)の大地震で倒壊しましたが、津川城主の岡半兵衛が再建しました。本堂の杉は西方極楽浄土へ導く意味を表し、東西向拝口と三方開きで、我が国で唯一の構造です。若方丈さんの面白い説明もあり、御堂には
左勘五郎作の「隠れ三猿」の彫刻がありこの猿を探し得た者は「福まさる」と縁起が良いそうですので私も懸命に探しましたが、残念ながら二つの猿しか見得ませんでした。方丈さん曰く、まだ雑念が多過ぎるとのことでした。煩悩が邪魔してしまいましたね。でも無事にこれで会津コロリ三観音巡りは終了いたしました。
金剛き山のごときの法の寺 まこと大悲の浄土なるらん