キュヴェ タカ/cuvee taka 椿庵酔哲「湘南隠居日誌」

-湘南散歩に読書、映画はTVで、夜は酒、ワイン、ハードリカー、そして時々釣り-

夏の終わり

2017-08-21 | Weblog
夜中に蚊に刺されて痒くて起きる、蚊取りのスイッチを入れていなかった。
二度寝に成功して次に目が覚めたのが5時半だったので十分な睡眠がとれた。
1時間ほど携帯で書き物をする。
PCだとその前に座らなければならないが、寝ながら書けるのでこんな便利なものはない。
最初は画面が限られているので書き難かったが、馴れるとけっこう書けるものである。
特に俳句を捻るのには小さな画面に何らツウヨウを感じないし、紙と筆を持つより簡便で、携帯俳句が流行り、俳句の世界に新たな人たちがドット押し寄せてきてブームを迎えた。
すごいよねえ、最新機器が古典文芸に新風を吹き込んで盛り返しちゃったんだから。
柳里美もワープロがなかったら小説なんか書かなかったろうと昔話していたから、俳句だけじゃなく、言語芸術がこの文字記憶機能によって革新されたわけだ。
底辺が広がれば駄作も多くなるが、いいものが生まれる確率も高くなるわけで、生まれたときからスマホを使ってる世代の中から今まで考えられなかったような言語芸術が生まれるのに立ち会ってみたいなあと思っている。

朝飯にメロン、無花果、玄米、茄子オリーブオイル焼き、桜えび入りさつま揚げ、蜂蜜ヨーグルトドリンクを飲み食いする。

朝から曇っていて涼しく過ごしやすいのでベッドに横になって「だめだし日本語論」をゆっくりと眺める。古典を読まなきゃいけないのだが、語学の才能がないので古文の読解に困難があるんだな、その割りに読書好きなのが可笑しいが、耳のよさと語学の才は連動しているね。
言語は意味より先ずは音の軽快さを求めて成り立ってきたから、ミュージシャンで海外に行って言葉で困ってるやつをあまり見かけないでしょ。

今日は涼しくて秋めいているが、松茸や栗が喰いたくなるような雰囲気だ。
サーフトローリングもここ4日ほど不調だが、この天気だとソーダ鰹がやって来てもいいような気がする。
いつも一緒に散歩に行くしたの息子が行きそうにないので一人で散歩に出掛ける。
秦野街道バイパスを渡り旧秦野街道にでて駅を渡り、裏道を西に歩き東海道に出る、いつも歩かないところを歩いていたら古道具屋があり入る。
わりと奥が深く15分ほど眺めたが、ホヤのロックグラス1組と小田原漆器の木鉢を買った。

東海道から中道に入り、途中から梅沢海岸に出る。
梅沢海岸は初めてルアーに鱸が掛かったところで、堤防、流れ出し、岩場があるいいポイントだ。
市五郎丸まで東へ渚を歩くが、素人っぽい人がでかい鱚を釣り上げたので近くへ歩いて行く。
連れの女性もテントから出てきてバケツの中の鱚を覗いた。
第一投を投げたが、仕掛けがどこへ行ったかわず、右の方の近いところで当たったらしい。
8色(200㍍)投げている玄人ぽい釣り人を尻目に20㎝オーヴァーを釣り上げるんだから釣りの神様は気まぐれだ。
浜には10人ほど釣り人がいたが、他に鱚を上げている人はいなかった。

昼前に帰ると、なぜか妻が海鮮丼を作ると張り切っていて、いそいそと卵焼きを焼いていた。
毎朝卵焼きを作っているので大得意なのだが、確かにそこいらの店のものより美味いので、外で卵焼きを食べる機会が減った。
25%玄米が入った飯で食べたが、海鮮丼には向かないような気がした。
やっぱり海鮮丼には白米がいいような気がするし、ちらし寿司になってしまうが酢飯が一番美味いような気がする。
鮪赤身、ホヤ、不明の貝、ウルメ鰯と豆腐と玉葱の味噌汁。

母と一緒にテレビを観るが、うつらうつらしているといつの間にか野球になっていて、初回に巨人の村田のホームランで4点取ったので、これは勝ちゲームだなと2階へ上がり横になる。
直ぐに深い眠りにつき、気がつくと5時だったから2時間半寝ていたことになるが、気持ちのいい昼寝だった。

食べて寝てテレビを観てまた眠る生活だが、今のところこの生活が面白く、旅に出たい気持ちもあるが、サーフトローリングを始めたら家で遊ぶのに時間が足りなくなっている。
この生活を飽きるまでやって、気晴らしが必要になったら旅立とうと思っている。

風呂に入りふたたびベッドで涼んでいるとつくつく法師が泣き出した。
かなかなが秋の蝉かと思っていたが、あれは暗けりゃどこでも夏の初めから泣いている。
草原の赤トンボも先月末から観たが、浜の赤トンボはお盆の頃から観るようになり秋を感じる。
蟋蟀は妻がやけに熱心に庭の草をむしったので生息個体数が僅かだが、朝夕鳴いて秋の到来を知らせてくれている。
鳴かなくなったときが冬だ。

「だめだし日本語論」を読了。
葬式で意味もわからないお経を何百年も文句も言わず聴いてカネを払ってきたのは、坊主が生きて行く戦略だと思っていたが、橋本治によれば宗教は理解するものではなく信じるものだからだとのことだ、なるほど。
江戸時代は武士が学問をしても偉くならないから、学問が好きなやつだけがやったので高い倫理観が保たれたという考え方があるが、私塾を開くことで門弟に学んだものを伝える知識のガス抜きをしていたようである。
うちの先祖は小田原藩士で平塚の根坂間に「三枝堂」という私塾を開いたが、このパターンであったようだ。
全国に随分な数の私塾があってそこへ門弟がたくさん集まったらしい。
明治維新は識字率が高いことがベースになり下級武士が国学や蘭学を猛勉強して、上に行けない社会を引っくり返したとも考えられるが、私塾がめいっじ威信を支えたのかも知れず、下級武士の怨念が晴らされたんだなあ。
更に漢字、ひらがながあったことが識字率を高めるのに役だったと考えられる。
カタカナもあるが3種類の文字を使った言語をもっている民族は世界にない。

晩飯は鶏の酢とバタと醤油炒め、馬鈴薯と人参の砂糖とバタ煮、冷奴、オールフリー。
枝豆のシーズンが終わってしまい淋しい。

母と一緒に千代の富士の追悼番組を観るが、26才から61才までサラリーマン生活を送り、ほぼ毎日外で酒を飲んでいたので、幾つかの映像は観たことがあるが、初めて観るものが多く、千代の富士のことをあまり知らないことが分かった。
特殊な生活をしたので偏った時代認識をしていると既に感じてもいるが、橋本治と同様に今の日本の常識がおかしいんじゃないかと思う気持ちの方が強い。

母のヘルパーさんが8時半に来て母の着替えをして寝かせてくれるが、それを機に2階へ引き上げた。
読書をしたが、昼寝をよくしたので本が睡眠導入剤になることなく、田原総一郎+西部邁+姜尚中「愛国心」を零時まで読んだ、すごい。
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