キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

小沼丹のち向田邦子

2017年06月15日 | Weblog
向田邦子は好きな作家の一人である。
子供の頃に本を読み出して、子供だったからといえばまさにそうなのだけれども、女流作家のものが読めなかった。
兄弟は男だけで女がおらず、女性がどのようなものであるか分からなかったから、読んでも味わうことが出来ずに面白くなかったのであろう。
10代前半から女性に興味をもち、お付き合いをしてやっぱり上手く行かず、失敗を繰り返し、少しずつ分かってきたのが中年以降であるから、その頃から抵抗なく読めるようになった。
というわけで、二十代後半に付き合った女性が、向田邦子の「あ・うん」を読んでいて、読むように勧められたにもかかわらず読むことができず、その女性とも別れてしまった。
長い間気になっていた「あ・うん」を読んだのは50歳になってからで、この本を若い頃に読めて味わうことが出来たら、きっとその女性と一緒になっていただろうなと思った。
それほど女性にたいして奥手だった。

前書きが長くなってしまったが、向田邦子は味わいのある女性でその文章も成熟した女のもので、ようやくそれをたっぷりと味わえる年になった幸せを感じている。
今朝、香水の瓶を踏んでしまい、強烈な香りが部屋中に拡散し中々いい気分でいたのだが、ガラス瓶のために破片が床に散らばって歩くのに危険なため、そこら辺りを片付けたのだが、文庫本が2冊その近くに落ちていて、山本容朗の「吉行淳之介について」と「向田邦子全対談」であった。
最近、単行本で向田邦子の対談集が出ていて買っておこうかと思ったが、何だ持っているじゃないかと手に取り見てみると、吉行淳之介があとがきで、この対談集に軽くかかわったことが書いてあった。
対談も入っていて、数字のことや科学にたいして二人とも苦手でちんぷんかんであることを話している。
吉行によれば3度だけ二人は会ったらしい。
吉行と向田の組み合わせはちょっと意外であったが、同じ時代を生きた文章の手練れであったわけだからありうる組み合わせである。
ともあれ、高い金をだして新装版を買わなくて良かったなと思ったが、読まないことには意味がない。
だが、庄野潤三を読んでいて急激に読みたくなった小沼丹を書棚から探しだして読み始めたところなので、少なくともこの本の後になる。

朝、メロンとヨーグルトを食べる。
足腰の調子は大分良くなったが、調子に乗りすぎないようにしたい。

申し込んであったカードが中々来ないので電話をしたら、親切な女性が対応してくれて前月26日に受け取っているとのこと、そうではないかと多いに怪しんで何度も家人に聞いていたが反応がなかった。
今回は期日をはっきりいって聞いたら、受け取って私の書斎の机に置いたとのこと、一時間ばかり辺りをひっくり返して探したが見つからず、家人の部屋を探したら見つかった。
何時もの事ではあるが頭に来てバカヤローといいたかった。
一種の病気なんで諦めているが、これまでこれで何れだけ悩まされたことか、まったく価値観が合わないが老い先短いのだから、なるべく気にしないようにしよう。
ともあれ、色々あったが問題がひとつ解決したので気分はよい。

昼、いなり寿司を食べるが、油揚げの味付けが好みでなく旨くなかった。

早々に居間に引き上げテレビを観る。
アリスの番組で、知っている曲を聴いて心地よかったが、「チャンピオン」は、谷村が沢木耕太郎と共にカシアス内藤を取材に行き、それが契機となり作った曲と聞いて、組み合わせがちょっと意外だった。
その時沢木からカシアスはチャンピオンにはなれない、なぜなら優しいからと聞いたのが印象に残ったと話した。
たしか「一瞬の夏」だったよな、カシアス内藤が出てくるのは。
あの時代、フジタケシがもっとも印象的なボクサーだったので、彼について書かれたノンフィクションだと長い間誤解していた。

1時からBS3のプレミアムシネマ「グレーとレース」を観る。
どたばた喜劇でピーターフォークが出ていた。
先週「捜索者」に子役で出ていたナタリーウッドがヒロインで大人の女として出ていた。

2階で小沼丹を読みながら少し昼寝をする。

晩飯はエビチリ、トムヤンクン、この二つは辛くてダメで、海老だけソースを取って食べた。
サラダ菜と人参のサラダにボロニアソーセージとさつま揚げ、メロンを食べる。

母と一緒に野球を観る。
今日もまともな試合だがSoftbankが打たないので面白くない。
結局ノーヒットで終わった。

腰を痛めてから酒を呑んでいない。

岩間乙二に

   あじさいや仕舞いのつかぬ昼の酒

の句があるが、廊下から窓越しに雨の紫陽花を眺め、木桶の氷水で冷やした酒を時のうつろいを忘れて呑む季節である。
肴はスルメを炙ればいいだろう。
酒は純米の生酒が紫陽花の華やかさに負けない酒質であり、昼下がりをぼんやり過ごすのに四合瓶が適量だろう。

考えてみると今年は鮎の塩焼きを肴に呑んでもいないし、真竹の若竹煮を喰ったときも呑んでいない。
酒をひかえるのはとってもいいことだが、季節感が身に染みない。

長年のサラリーマン生活の不健康な生活で太り、血圧以外の起こるべくして起こる検査数値の悪化を改善するのに、この腰痛をいい機会として酒を止めているが、時間をかけて悪くなったものが短期間で良くなるわけもないが、体重にしろ検査数値にしろ10年間分はもとに戻ったのだから多少の効果はあるようだ。

夜、小沼丹「小さな手袋」を読了する。












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