キュヴェ タカ/cuvee taka 「椿庵酔哲湘南日記」

気儘な湘南暮し ー散歩に読書、映画、酒、そして時々釣り-

孤独

2019年01月15日 | Weblog
妻と二人だけの晩飯だったので、妻も気合が入らずあり合わせの材料で鍋をやって「高砂」を燗にして呑んだ。
白菜、芹、葱、麩、ジャガイモのヌードル、鶏、椎茸、豆腐、油揚げが入っていてごたごたした女好みの鍋だった。
男好みは水菜と鯨、葱と鮪、豆腐だけなどとすっきりしたものだが、酒を呑むからそのようになるのだろう。
胃の具合が本調子ではなく、酒が美味いと感じられず早々に切り上げて母の部屋でTVを観た。
9時からのNKHスペシャルは佐藤健がガイドして築地の仲卸と寿司屋などのつながりについてドラマ仕立てを交えて戦後からの日本の食文化を紹介した。
日本は食い物屋も専門店化しているが、築地の仲卸も、貝、海老、青物など専門店に専門家がいて、最高のものを提供する目と技術が磨かれている。
海外の幾つかの魚市場を巡ったが、こんな話をする前に、魚の嫌な臭いが漂って、もうそれだけで駄目だと思ったね。

10時から「モンローが死んだ日」を観た。
鈴木京香は好みの女優だが、このドラマでは恋に積極的で、まあ小池真理子と脚本家の筋書き通りに演技しているだけなんだけど、実際の世界でも恋が発展するときって女も積極的だなあと昔を思い出し懐かしんだ。
この頃は懐かしむことばかりで残念だけどね。
鈴木京香の「孤独というのは深く愛し愛されたことがある人だけが感じるもの」という科白は果たして原作にあるのか脚本家の創作なのか知らないが、凄く救われたな。

今朝も朝から日が差すぽかぽか陽気だった。
早い時間から下の息子が部屋にやって来て散歩に出ようというので、吾妻山に登って富士を観ようと出かけた。
西の空がややかすんでいたが、雲を下にした富士が観えた。
休みのせいで随分たくさんの人がいて、満開の菜の花を愉しんでいた。
山の管理事務所でスタンプを押して下山、駅の北口の屋台の店を見てから南口に渡り、ガラスのウサギのスタンプで6か所すべてを網羅した。
そのまま東海道を渡り、「みせ吉」でガラスのウサギ饅頭を買い、海に出た。
吾妻山の山頂から観た相模湾は黒潮が接岸して潮が良く流れていたが、風が割と強く吹いていた。
海はやや風波であったが穏やかで沖の瀬に30艘以上の漁船が固まっていた。

昼前に帰ってきたら、妻が豚カツを揚げて親子丼にするというので、肉と揚げ物にうんざりなので断り、牛乳とバナナ、ビスケット、ガラスのウサギ饅頭を食べて昼飯にした。
疲れたので早々に二階に登りベッドに横になったが、直ぐに寝てしまったようで3時に気が付くまで眠った。
3時から武田泰淳の「新東海道五十三次」の茅ヶ崎、小田原、箱根、沼津辺りを読んでいたら、下の息子が須甲氏歩こうと誘いに来たので出かけることにした、4時45分だった。
相撲があるので小一時間だけ南へ出て葛川沿いを大磯方面に歩き返って来た。
相撲は栃ノ心が負けたところで、相手の力士が殊勲のインタヴューに堪えていた。
稀勢の里の取り組みに間に合ったが酷い相撲だった。
負けたあとの土俵下の表情はもう諦めたという顔だったが、これで引退を決めるのではないか、親方に引退を申し入れた時に、田子の浦がそのつもりならもう一番取って辞めろと言って、もし三日目も取るなら緊張がほぐれ勝つのではないか。
今の心のままでは相撲にならないだろう。


風呂に入ってから二階で遊んでいると妻がやって来て晩飯だという。
茶碗蒸しが出来ていて、風呂吹き大根、里芋煮、鶏の蜂蜜マスタード焼きだった。
昼にもう肉はいらないと言ったのを多少気にしたらしく、かねてから喰いたいと要望していた茶碗蒸しと野菜中心のおかずにしたようだ。
久し振りの茶わん蒸しは実に美味かった。
素材を贅沢に使っているので寿司屋で食べるのより格段に美味く、やればできるのになあ。
鶏は塩胡椒で焼いて山椒で喰いたかったが、どうも面倒な調理をして不味くするね。
料理本のレシピーで料理をするのは30年以上専業主婦でやって来た者の行いではないだろう。
新しい食材の組み合わせや、カットの仕方や調理法が機械によって可能になったとしても、そう簡単に新たなメニューが出来るわけだは無く、過去の長い歴史の中で残って来たものは、そうとう優れたもので、それを30年以上やってきて、ただめ新しいというだけで取り入れる必要はない。
もちろん毎日新しい試みをしなければ味は維持されないだろうし厭きられるだろうが、基本的な部分は変えずにゆっくりとした変化を考えるべきだ。
これって、何時も西部邁が書いている保守主義の神髄と同じだねえ。

西部邁に出会う前に、西洋料理というのはフランス料理が明治以降の長い時間の中で淘汰された日本料理であり、簡単に言うと豚カツ、コロッケ、ハンバーグ、ビーフシチュー、グラタン、ナポリタンなどがそうであるように多くのものが入ってきたが残ったものはかなり少ない。
今もフレンチやイタリアンなどで新たな料理が出されているが、今後50年経たないうちにほとんどのものが消えて失せるだろう。
こういったことを雑誌に書いたり、人に喋ったりしていたが、保守主義を知らないうちに会得して体現していたんだなあと、西部邁がいきなり体の中に入って来たことが頷ける。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« どんど焼き | トップ | 平塚へ »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事