キュヴェ タカ/cuvee taka 「椿庵酔哲湘南日記」

気儘な湘南暮し ー散歩に読書、映画、酒、そして時々釣り-

二宮ゆかりの文化人

2019年01月13日 | Weblog
朝から天気が悪かった。
7時半に起きて雨戸を開けて風呂に入り、豚のロース肉に塩胡椒をしてフライパンで焼き、途中から卵を落として目玉焼きも作った。
スティックブロッコリーを茹でて、白菜の漬物を出し、昨夜の残りの鱈と白菜のスープで朝飯を食べた。

9時半まで少し仕事をして自転車でJA湘南へ向かおうとしたら、庭に雨が降った跡があった。
JA湘南でスティックブロッコリーと八朔を買い、そのまま東へ向かい一色小学校で開かれる生涯連続学習講座「二宮ゆかりの文化人」を聴講した。
途中雨が降り出したが、多少濡れたものの教室に飛び込んだが、40人ほど入れる教室は年輩の人たちで一杯だった。
初めて出席したが、こういったことに興味を持っている人が存外多いことに驚いた。
講師の石井敬士さんは70年代の方で、もうすでに何回も同様な講義をしているようで皆さんにお馴染みだった。
元神奈川県立図書館調査部長だったかたで、小田原出身という事だったが、二宮に縁の文人に詳しかっただけでなく、事業家や民権運動家などにも詳しく、真面目に数十年研究をしているとこうなるんだなあと彼我の差を感じた。
神奈川県立図書館勤務だったから、神奈川県の著名人についてかなり詳しいんだろうね。

武林夢想庵が二宮に居たことは、山本夏彦の著書で知ったが、果たしてどこにいたんだろうと叶てから知りたいと思っていたが、あっさりとうちの近所の妻宮本文子の実家に居たことが分かった。
山本夏彦はフランス帰りの夢想庵とひと夏二宮で過し、そのあと一緒にフランスへ行っている。

原石鼎の家もうちの近所にあるのだが、ちょうど蘇峰堂の裏辺りに当たるが、その近所には名も知らなかった文人が数人棲んでいたことも分かった。

山川方夫は三田文学で芥川・直木賞候補に何度もなった抒情性豊かな作家で、二宮駅前の東海道で若くしてトラックに轢かれて死んでいるが、その家は吉田五十八が設計している。
その吉田五十八は歌舞伎座や吉田邸の設計をしているが、僕が通った幼稚園知足寺の近くに家を持っていた。
萩本欽一がその近くにいることは知っていたが、五十八が二宮に居たのは知らなかった。
先日、読んだ本で、その本が誰のものか失念したが、阿川佐和子が二宮から大磯の幼稚園に通っていたと着てあり、阿川弘之が何処にいたのだろうと思っていたが、川勾神社の近くに住んでいたことも分かった。
平塚生まれで山西に棲んだ二見庄兵衛がたち落花生を開発したことを聴いてびっくりしたね。
二宮の園芸試験場は明治41年伊開設されているが、後に場長になった富樫常治が菊水、白鳳の品種開発をやったことも話されて、守備範囲の広さにさらに驚いた。
もちろん明治39年伊開通した湘南馬車鉄道についての話も出た、ほとんど知っていたことだが、丹沢登山がこの鉄道によって表口から登るようになったというのは初耳だった。
それまでは当時は東海道線、今は御殿場線になったが山北駅から大野山、槍ヶ岳の裏ルートで登っていたらしい。

僕の祖父が二宮の園芸試験場の場長をやったことがあり、僕自身も千葉大の園芸を出ていて知人も多く、大叔父が湘南馬車鉄道の経営をしていたことがあるので、割と詳しいと思っていたがその比ではない。
いっぺんに石井さんを尊敬してしまったね、講義の後で、大磯の文人・画人について知るすべがないので何処を突っついたらいいでしょうかと訊いたら、二宮の図書館に来るときに時間を作って話をしてくれるというので、恐れ入ってしまった。
学問というのはこういう姿勢でやりたいもんだね。

幼いころ教えを受けた書の橋本香所先生が篆刻をやっていて、安田靫彦、前田青邨の落款を彫っていて、橋本香所先生は群馬の富豪の息子で戦後の農地解放までは働いたことが無く、他人様からおカネを頂戴することに馴れておらず、落款の清算は作品だったような人だった。


昼に家に帰ると、妻と下の息子が飯を食べていた。
マサでアジフライ、稲荷寿司、玉子サンドを買って、いい加減な昼飯にしていて、ヤリイカを煮烏賊にして、どうぞ召し上がれと言われたが、何だかバラバラの食い物を喰う気がせず、、鰹節の醤油を入れてお湯を差し、そこへとろろ昆布を入れた吸い物を作り、卵焼きをやいて稲荷寿司と共に食べ、そのあと煮烏賊を摘まんで、最後に玉子サンドを食べて、食後にお茶を淹れてビスケット、はるか、蜜柑を食べた。
まとまりのない昼飯だったが、ちょこちょこ色々食べて満腹になった。
でも、美味かったなあという気になれなかったね。


急な坂道を自転車で登ったので疲れたのだと思う、二階で蒲地幸子を聴いていたらいつの間にか眠っていて、2時半に散歩に行かないかと下の息子に誘われ目が覚めた。
曇り空で暗く、早めに散歩に出るのもいいかと、川勾神社へ向かった。
途中海に出たら凪いでいて平目釣にいい感じだったが、二人ばかり竿を振っていたが、見ている間にヒットは無かった。
しかし、いい風景で、こんなに直ぐに来られるなんて幸せだなあと思う。
川勾神社では、菜の花をーくのスタンプラリーの台紙があったので、今年もやることにして、二見記念館によりスタンプ二つをゲットした。
家に帰ると5時近くになっていて2時間以上ぶらぶらと歩いていたわけだ。
風呂に入り良く温まって疲労を取り、横になって休んだ。

酒を控えているので、風呂吹き大根、鰤とスミイカの刺身などを食べて、晩飯をサラッと済まし、母の部屋でTVを観ながら着替えの時間を待った。
9時に着替えが済んで、濱田岳が眼科医役で、実際にベトナムでボランティア活動をやっている医師の物語を観た。
奥さんが立派だなあと思ったのと、父親も同じように人のために働いた人で、そういったところを観ていた。

志の高い人はもっとたくさん日本にいたはずで、戦後、命を懸けて戦争に行った人たちを、国賊のように迎えた人たちが日本をこんな国にしてしまったが、その人たちは戦中声高に、滅私奉公、贅沢は敵だと叫んでいた人たちだったことを忘れはしない。



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