キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

物を売るには

2014年05月09日 | Weblog
先日、横浜駅近くで人気のイタリアレストラン「CAMBUSA」へ昼飯を食いながら、モンテチーノロッソの売り込みにと出かけたのだが、昼から予約が一杯で入れなかった。
この地区で一番人気のレストランであることは知ってはいたが、ここまでとは思わなかった。
ホームページをきちんと見ておけば予約の具合も分かったのだが、後の祭りというやつだ。

ここまで来たのだから、鶴屋町の交差点まで出て「サンスイ」でも覗こうかと思ったのだが、跡形もなく失せていた。
その代わりに釣具の古道具屋「タックルベリー」があった。
よく通った15年前はルアーフィッシングの最盛期であったのだが、今は低迷期なのか、つぶれて跡形も無いのは寂しい。
それでも二宮海岸では、真鯒、平目、鱸が上がり、晩飯のおかずに困らないくらいに、投げさびきで鯵が釣れているから、そこそこにルアー人間がいるのであろう。
まあ、投げさびきがルアーフィッシングかどうかには異論を挟む人もあるだろうが。

ぶらぶらと歩いていたら和食の飯を出しているところがあったので、地下の穴倉に入った。
刺身と煮魚を注文して食べていると、一時を過ぎているというのにバラバラと15人ばかりが店にやって来て満員になった。
人気店なんだと驚いた。
刺身には生シラスがはいっていて驚いたが、鮪、鰹、鮭、蛸ブツは冷凍ものであった。
まあ、値段が値段なので仕方が無い。
煮物は鰈で、難を云えば煮えすぎていて、黒々として魚の味があまりしなかったが、〆て1,680円で刺身と煮魚が楽しめたのだからよしとしよう。

山本由樹「欲望のマーケッティング」を読了した。
「美魔女」という言葉さえ知らなかったのだから、世の中から大きく取り残されているのだろうが、生活に不便は感じない。
マーケッティングの肝要な部分で、ターゲットを絞り込むことをこの本から教えられた。
近頃、国分の「鮨」ワインでそれを痛感していたのだが、改めて心に留めた。

しかし、かつて河合隼雄は、女性が年をとってから夕日の夢を見るのは、若かった頃に出来なかった恋愛や若さの発露に対する悔いがそのような夢に現れるのであって、きちんと年相応に成熟して成仏できない人が増えていることを嘆いた。
その欲望を顕在化させてお金に変えたのが「美魔女」である。
成熟(老化)とは逆の方向を提示したわけだが、最後の夕日の輝きが消えたとき、果たして「美魔女」はなんになるのだろう。

今は、半藤利一「日本のリーダーは何故失敗するのか」を読んでいるが、ビジネスマンに受けた講演を文字に起こしたものらしい。
日本軍の参謀の問題転移について多くのページを割いている。
ビジネスの世界の、戦略だとか戦術は元来戦争用語であるから、戦争の経緯を細かく分析し、失敗の原因を掴めば仕事に役立つこともあるだろう。
日本のリーダーの最大の問題点は、失敗したときに責任を取らないことだ。

大伯父が昭和初期に二宮秦野間に軽便鉄道を敷設して経営を始めた。
結局、戦争により潰れてしまったが、私財を社員に配って終わりにしたものだから、一文無しになった。
昔とった杵柄で、パチンコ屋の用心棒をして口に糊していたようだが、小田原藩士としての矜持を全うした点が凄い。
その大伯父が残した言葉に「休みの日は早く起きるな」というのがある。

昨日、川上徹也「物を売るバカ」角川ONEテーマ21を購入した。
場所は芳林堂で、駒でチラシを喰った後であることが、毎度お馴染み過ぎて恥ずかしい。
「美魔女」を買った影響でマーケティングの本に興味がでてきた。
満足できなかったので、満足したいために新たな本に飛びついたきらいがあるが、店頭でちらちらと眺めていたら、安売りが駄目だという説明があった。
買ったときは、安く買えたと消費者は喜ぶが、実際にそれを使ったり食したりするときは、安物だという気持ちがあり満足感を得られない。
浪費は快感、自前で飲め、本は借りるな、この辺りに人間の本質があるようだ。










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旬の鯵

2014年05月09日 | Weblog
昨日は午後、行きつけの割烹料理屋のオヤジから、相模湾の鯵が入ったから、刺身と酢締めにして喰わないかとの誘いのメールが来た。
和食に合うワインがあればどれ程売れるだろうと、もう長い間研究をしてきて、何時もワインを持ち込んでは料理との相性を試させていただいた間柄なので、お誘いがあれば断れない。
しかも今が旬真っ盛りの相模湾の朝どり鯵とあっては断る方が馬鹿だ。

生魚にワインが合わない理由は、香りが強いことと、酸が強いことだ。
熟成したブルゴーニュの白が鮨・刺身に合わせやすいのは、熟成により、強い果実の香りが消え、酸が穏やかになっているからだ。
若いワインで強い香りと酸を押さえたのが、国分の「鮨」だが、ワインとして単独で飲むと平坦で魅力がない。
それを商品化した開発の人たちの勇気に拍手を送るが、してやられたという気持ちも強い。

かつて、「アングラーズワイン・シーバス」を造り、リリースしたことがある。
あのときは果実味があるブーブレを使ったが、魚の生臭さをマスクするのに甘味の要素を考え、やや甘めのブーブレを選んだ。
しかし香りと酸を押さえるところまで徹底出来なかった。

今、横浜ワインコレクションのなかから和食、特に鮨・刺身を食するときに合わせるワインはサン・クリスピーノであるが、これも敢えて合わせるならと云う註釈がいる。

「アングラーズワイン・シーバス」を造ったものの、 鮨・刺身には酒だなあとつくづく思い、酒の研究を長くやって来た。
研究と云うとそれらしく聞こえるが、要するに浴びるほど呑んできたのだ。
研究成果を披露させていただくと、山廃か生酛造りの純米酒を燗にして呑むのが一番だ。

昨夜は大変美味しく鯵をいただいたのだが、さて何を呑んだかと云うと、越後の冷やした中汲み生の純米酒であった。
人間と云うものは理屈どうりに行動しない生きものだ。
























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