101号室から

アホだったり、おセンチになったり。
どうでもいい日記(のようなエッセイのような)です。
お暇な時にどうぞどうぞ。

宮古島2009~その15 神様、色々と許してください

2009年10月19日 | Weblog
宮古島から船で15分のところに、大神島(おおがみじま)という小さな島がある。全島でも住人は50名程度で、合同の小中学校の在校生は現在4名。そして何よりも、ここは昔から「神の島」として崇められる存在である。詳しくは調べていないのだが、一度行ってみると得体の知れない「オーラ」があるように感じる。僕は毎年のように、この大神島に足を運んでいる。神のことはともかく、なーんもないただ静かな島になぜ行きたくなるのか。
それはひとえに「なーんもなくなりたい」からである。現世から隔絶されたような、ただ波の音が静かに聞こえるだけの空間で、ベンチに寝転がりながら、通り抜ける風を感じる。何かしようにも、何もすることがない。帰ろうにも、船は2時間に1本くらいしかない。「ああー、いいねぇ…」ただそう呟きたいがために、僕は今年も大神島に行くことにした。

その日はリプトンとティンと一緒に、ぶーらぶらとレンタカーで港まで向かった。2人とも大神行きは初めてなので、わーいわーいと車内はにぎやかである。途中のコンビニでご飯を買い準備も万端!このバカっぷりが神に見とがめられないかだけが心配である。
船に乗り込みいざ出発。宮古の青い空と海が目の前に広がり、気持ちいい風がひたすら吹いている。言葉少なに、その景色を眺める。

着いてすぐ、急な坂道をのぼって展望台へ。笑っちゃうくらい急な階段に「ヒザがアレになっちゃう」「神は我々を拒みたもう」と弱音炸裂。しかし。頂上に着いた瞬間に疲れは吹き飛んだ。「うわあ…」360°パノラマの、ただひたすら美しい世界が目の前に広がった。あっちを見ればさっきまでいた宮古島。こっちを見ればどこまでも続く海。しばし声を忘れ、考えることすら忘れた。「いいねぇ、大神…」誰かが呟いたその言葉が異様に気持ちよかった。

展望台をおり、そのまま広場へと向かう。何のために作ったのか、芝生のような草が一面に敷き詰められたどでかいスペースが存在する。横にはきれいなトイレも完備、おまけに大理石で作られた休憩所は屋根も大きく最高に涼しい。20歩も歩くと海が広がり、画期的に透明な水の中に青い魚が見える。そして、音がほとんどない。
「これは…いいねぇ」僕らはさっそく休憩所に陣取った。暑いと言っては海で漂い、ホースで水浴びをする。「たそがれ清兵衛」などとほざいて一人で海を眺めに行く。つまらないギャグを動画で撮って爆笑する。とにかく本当になーんもないので、当然することもない。というより、別に何もしなくていい気持ちになってくるので、しまいには誰もがベンチに寝そべってダラダラしていた。これぞ大神の真骨頂、骨抜き人間バンザイである。リプトンなどは本当に眠っていた。

「さて、お昼にしようか」
コンビニで買ったお弁当で昼食をとる。ティンは何を勘違いしたのか、港に置いたレンタカーにパンをそのままにしてきたらしい。バカだなーと笑っていたが「あ…」よく考えると、僕もタコライスを持っていないことに気づいた。しかも、である。「そういえば俺…車に持って入った記憶もない…」コンビニを出た直後、ゴミを捨てようとタコライスをどこかに一時避難させた…ところまでは覚えているが、運転席に座った段階では持っていなかった気がする。てことは何か!僕は買って1分でタコライスとさよならしたのか!どれだけ脳がとろけているのだ!
2人の大爆笑をよそに、僕は頭を抱えた。こんな大失態は30年弱の人生を振り返っても記憶にない。「神よ…私はお腹ペコペコです…」泣ける、いや涙も出ない。結局僕とティンは「後ほど肩をお揉みします」「では私は乳のほうをモミモミ…冗談です」と平身低頭しながら、リプトンのおにぎり弁当を恵んでもらったのであった。救えないバカである。

僕らは大神のなーんもなさを満喫して、船で宮古へと戻った。2人とも痛く大神を気に入ってくれたようで、案内人の僕としても大満足な旅であった。
なお、その言葉に尽くせない開放感のあまり、芝生のど真ん中で素っ裸になったという事実は、神のみぞ知る秘密である。ごめんなさい。

宮古島2009~その14 貴族的沖縄生活

2009年10月16日 | Weblog
宿のオーナー・コースケ氏はいつも唐突である。
風のように現れ、テラスでプーカプカと煙草をくゆらせながら朝の陽射しを楽しむ。
ヒョイヒョイと手招きされてノコノコそちらに赴くと、彼はやはり唐突に切り出した。

「カツオくん、屋上でチーズフォンデュしたいと思わんかね?」
…試されているのか?返答次第では出入禁止になるのか?普通のお客さんなら後ろに2歩ほど飛びのくところかもしれないが、そこは慣れた僕のこと。このくらいの変化球なら、渋く流して1・2塁間を抜いてやるのである。リアクションまで0.5秒。

「ふっふっ…実は私もそう思っていたのですよ。セボーン」「やはりそうかねボンソワール」「さすがオーナー。ったくコーちゃんたら甘えんぼさんなんだから」「ぅうんもう、カッちゃんたらツンツン」「これこれ人が見てるわよ」
接客業としてはある意味大失格、他のお客は鳥肌ものの会話が日常。これほど心地よい空間も他にはあるまい。さっそく臨時首脳会談を開催し「遮蔽物がない屋上では、我々がペースト状のフォンデュ化するであろう」との共同声明を発表、屋根のあるテラスで決行することと相成った。宿にいるメンバーも次々に巻き込んで、ここに「ラブリーフォンデュをたしなむ貴族の会」が結成されたのであった。

「兵は神速を尊ぶ」との先人の教えに従い、すぐさま買出しへ。イギリス人の19歳・ニックがカマボコの触感に首をひねる間に、続々と食材ゲット完了。パンを切り刻み、ウインナーとアスパラをマッハ3で茹で上げ、鍋ではチーズがいい具合にとろけている。「おお…懐かしいアルプスの香りだヨロレイヒー」と気分は上々である。

ここで何とか上流階級を演出しようと企んではみたが、南の島にタキシードを持参するほど僕も狂ってはいない。他の方々もそれは同じようで、大変無念だが服装はそのままと決まった。「これではパーリーの体を成さないのでは…」誰もが危機感を覚えたその時、不敵な高笑いとともにコースケ氏が舞い降りた。「こ、これは!バーの備品じゃないのあなた!」そう、彼はオーナーの特権をフルに悪用し、いい感じのワイングラスを持参したのである。「やりたい放題だぜ…彼はいつでもフルスイング」白ワインをグラスに注ぎ、いざ乾杯。

「えーと…、ボ、ボンジュール!」
そもそも貴族生活の詳細も、フォンデュの文化背景も知らないわけで、しかしセレブ感だけは失ってはならない。このハードルは思いのほか高く「このワインの艶と透明感…紀元前のものか…それじゃ2000年ものになっちゃう」「素晴らしい味だ!シェフを呼んでくれたまえ…自分たちで作ったけど」のっけから歯車はガタガタである。しまいには誰もが「ハッハッハ!」と某貴族系お笑い芸人を真似るしか手段がなくなり、はたから見れば世紀末的な様相を呈することとなった。しかも午後からのダイハードな陽射しがテラスを襲い始め、フォンデュ化する伯爵たちが続出。紛れもない「アホここに大集合」の図が完成し、社交界への進出を全員が断念することとなったのであった。

ちなみに当のフォンデュだが、やや溶けかたが微妙だったものの、大変おいしゅうございました(料理記者歴40年・岸○子from料理の鉄人)。皆さんもどうぞご賞味あれ。

宮古島2009~その13 これ、落としましたよ

2009年10月15日 | Weblog
その日はクロがお休みの日だったので、お客のカオリンと3人で車ででかけた。天気は快晴、絶好のお出かけ日和である。

「とりあえずシュノーケリングをしよう」という目標のもと、ボラ漁港に行くも何だか不発。悩んだ挙句、近くの荒城(あらぐすく)海岸へ行くことにした。いやぁいつ来ても素晴らしい…クマノミをはじめ、僕らは熱帯魚ウォッチングを心ゆくまで堪能できた。「いいねぇー」休憩がてら波打ち際近くで集まる。のんびりしようかと何となく決まったので、僕はそのまま全身の力を抜いて海に浮かんだ。
耳まで水に浸かっているので、チャプチャプという音以外は何も聞こえない。太陽が眩しいから目を閉じた。「…」ほぼ思考が止まる。とても楽しい、だけどどこか切ないような、よくわからない不思議な気持ちのままで海面を漂った。本当に、説明しようのない感情だった。

ポワワーンとした気持ちのまま、「とぅんからや」へ移動。美味いと評判のもずくハンバーグを食べ大満足。ワイワイと写真を撮ったり、海を眺めて過ごす。沖縄に来ると、必ずこういう時間があって、僕はそれがたまらなく好きだ。「島時間」と呼ばれるものは確かに存在するし、別に何をするでもなくすごすことが最大の贅沢だと思う。まー仕事柄長い休みを取れるから言えるのだろうが、せわしなく走り回る旅はあまり性に合わない。毎年沖縄に来てしまうのは、きっとこのあたりが原因なのかなーなどと考えていた。
併設する雑貨屋で買い物をした後「橋からダイブしたい!」というカオリンの希望により、僕らは続いてインギャーへと足を運ぶことにした。

駐車場に戻ると、沖縄の強い陽射しによって、車の上に置いていた水着とサンダルはすっかり乾いていた。目論見どおりである。まるで小学校で「2時間目と4時間目がプール」だったようなキモチワルイ思いはごめんである。
「みんなで伊良部島に行った時、ビーチを出発すると後続の車がノロノロしててよー。何だよ遅いなぁと思ってたら、俺が車の上で乾かしてたTシャツをそのままにして発進して吹っ飛ばしててさ。『これカツオのだよー』って拾ってもらったんだよーバカでしょ。しかも同じ日に2回だよ2回!頭悪すぎるよなーギャハハハ!」
道すがら、そんな昔話をしたのを思い出した。今考えても「残念」としか表現できないダメっぷりである。もうそんなことしないもんねーと思いつつ車を発進させた。

「…あれ。俺、水着とサンダル回収したよなぁ?」
数百メートル走った頃、僕はふと不安になって車を停めた。2人とも首をかしげるばかり。クロが助手席を降りて上を見てくれたが、ない。だけどしまった記憶も、ない。
「ノオオオォォォォーーー!」車内で爆笑が起こるのと、僕が雄叫びをあげるのは同時だった。音速でUターンし、そのくせゆっくりゆっくりと来た道を戻る。

…………あった。

彼らは「どうせ僕らなんてね…ヘッ」「やってらんねぇよバーカ」とでも言いたげに、路上に転がっていた。僕はその場で幽体離脱しそうになりながら、彼らに駆け寄った。2人のさらなる大爆笑が背中に突き刺さる。「とほ、とほほほほおおおーー」なぜか記念撮影を済ませ、涙ながらに回収してトボトボと引き揚げたのであった。
確かに一日ぼんやりしまくっていたとは言え、あまりにひどい脳のユルみ具合に愕然である。しかも過去の失敗をまったく活かしていないどころか、当のその日に笑いながら語っていたというのだから、もう救いようがない。いや、誰も救いたがらない…。いくら考えても、なぜなのかわからない。僕は象形文字を解読するマントヒヒのような表情で、その日ずっと過ごしていたのであった。

皆さん、沖縄は怖いところですよ。脳が、脳がアレになりますから。
そしてどうかくれぐれも、車の上に物を置かないようにしてください。

宮古島2009~その12 あの頃を超える時

2009年10月14日 | Weblog
5年もヒダマリに通っていると、色んな人と知り合うことになる。
そして、1年経てば宿のスタッフも変わっていることがほとんどだ。確かに、知っているスタッフがいるとに安心する。しかしその辺り、ヒダマリではいつも「間違いない」人たちが働いているので、不愉快な思いをしたことは一度としてない。むしろ、その年ごとの雰囲気や良さがあって、行く度にとても楽しんで帰ってきている。

今回の滞在中、スタッフの人たちと色んな話ができた。
ここからは完全に僕の私見だが(断じてスタッフが話した内容じゃないです)、宿というのは本当に難しいと思う。ある意味で生活を共にし、定期的に人が入れ替わる中で、ある種の「娯楽空間」を作り出さなくてはならない。「南の島に遊びに来たんだから」「そういう仕事なんだから」「好きでやってんだから」んなこと考える必要などないかもしれないが、何度も通っている僕としては思うところが多かった。
本当にみんな、宿のことをまっすぐ考えていて、そんな話ができて嬉しかった。

ある時、王子とのんびり話していると、「ウォーリー」の話になった。

かつてヒダマリにいた「ウォーリー」という男性スタッフは、僕よりいくつか年下で、確か2年余りほど宿の中心にいたはずである。
彼のすごいところは、その若さ(僕が初めて会った時で20歳くらいだったか)で、宿を文字通り「仕切って」いたことだ。ダメなことはダメ、できることはしっかりと。明快かつ厳粛な彼のタクトによって、宿の秩序は素晴らしい状態に保たれ、しかし窮屈さを感じることもなかった。また、遊びの時に見せる無邪気な顔が素敵な好青年であり、バカタレなところも持ち合わせた人格者でもあった。
「奴はすごかった」今でも、友人たちと話すことがある。あの頃は、間違いなくウォーリーが時代を作っていた。

「俺さ、たまに、ウォーリーの時代を超えられないのかもって思うんだよ」
不意に王子がつぶやいた。聞けば、王子もお客としてウォーリーと接したことがあるらしい。「そうかなぁ」僕は曖昧に返事をした。
ゲストハウスの評価なんて、当然単純に数値化できるものではない。一緒になったお客さんを含め、限りなく「印象」に近いものが個々人に残るわけで、設備面などを除けば、そこに厳然たる優劣などない。そして過去のことは、より美しく人の心に残るものだ。それはきっと、王子もわかっていたはずだ。
だけど僕は、今回の滞在が本当に素敵なものだと感じていた。バカやって大笑いして、酒をガバガバ呑んで、時々しんみりと話し込む。それは決して特別なことではないのに、何だろう、僕は本当に幸せだと毎日思っていた。

「うまく言えないけどさ、王子。俺は本当に来てよかったと思ってる。色んな宿に泊まって、色んな人に会ってきたけどさ、俺、今が最高に楽しい。だから、ウォーリーの頃よりも、今のヒダマリは素敵だと思うよ」

僕がそう言うと、王子はとても嬉しそうに笑った。
「そっかぁ。超えられてるかなぁ。よかった、嬉しいなぁ」
その顔を見ていたら、何だか涙が出そうになった。変な奴なのに、妙なボケばかりするくせに、何て真面目で実直なんだろう。すごく、心が温まった。
30歳を目前に控えたいいオッサンのくせに、ヒダマリはずっとこうあってくれたらいいなぁなんて、青臭いことを考えてしまって笑えた。

人は流れるし、時も流れる。それは誰もが知っているけれど。
ひとつの交差点で偶然出会えたから、ひとついいものをもらえた気がした。
王子、君はがんばっているかい?
ありがとう。

天国の様変わり

2009年10月08日 | Weblog
出版業界が不況、らしい。なるほど雑誌は相次いで休刊しているし、新聞によれば返本率(書店から出版社へ本が戻るパーセンテージ)も一部では4割超などというとんでもない状態のようだ。そのあたり、業界の構造自体に原因があるようなのだが、僕としては何ともさびしい気分になってしまう。

以前も書いたが、僕は自他ともに認める活字中毒者である。読めるもんなら何でもこいの節操ゼロ読書野郎であり、推理小説から哲学書までどんなボールもジャストミートだと自負している。僕がこうなった元凶は、間違いなく僕を遥かに凌ぐ極度の読書ジャンキーであるウチの母親なのだが、今となっては肩車して街を闊歩してやりたいくらい感謝している。
ありがたいことに、時々「どうやったらそんな言葉が出てくるのだ」というお褒めの言葉をいただくことがある。確かに僕の使う単語はやや突飛な角度から出ることがあり、周囲は「次はどこからくる」と楽しみにしてくれているようだ。大変ありがたいことである。
さてそれを説明しようとすると、はっきり言って難しいのだが、結局「本を腐るほど読んでるからでしょうか」と説明することにしている。まぁ関西人である以上、誇りを持ってボケとツッコミの研究に邁進しては来たが、ボキャブラリーや言語感覚に関しては本からもらった知識が最も多いと断言できるからだ。そういう意味では、逆に「ヘンな本を出版してくれてる人のおかげ」と言うこともできるのだろう。

ところが、こよなく本を愛する僕なのだが、最近本屋に行くのが楽しくない。
「何だろうなーおかしいな」程度の感覚ではあったのだが、どうやらその原因が新聞を読んだことでわかった気がする。

端的に言えば、本屋も激しい生存競争にさらされている。本が売れないとマズい。そりゃ昔からそうなのだろうが、今は特に出版社側も厳しい状況なので余裕がない。そこで売れセンの本を多く仕入れる。話題の本は平積み(表紙が見えるようにして低い位置に並べること)して目立つところに置く。その本も、映画化だのドラマ化された作品のノベライズだったりすることが多く、帯の文章も「○○さんも絶賛」「史上最高のラブストーリー」などと賑やかしいことこの上ない。どれもこれもNo.1ヒットのハリウッド映画じゃないんだから。
必然的に、他の本が置いてあるスペースは圧迫されていく。流行りの本が嫌いなわけじゃないが(まぁ僕は極度の天邪鬼だけど)、のんびりと「おおこの本…いいかも…」なんつって書店散歩を優雅に楽しみたい僕としては、どうにもやるせない気持ちでいっぱいである。
これも新聞の言だが、読書というのは元々個人的な体験なのだから、売るほうも買うほうも「流行っているから」という基準で本を扱うというのはいかがなものか。まったく同感である。そんなこんなで、最近は決まった用事がない限り立ち寄ろうと思わなくなってしまった。

商売でやってる以上、理想を述べても仕方がないのは重々承知である。
しかし本のおかげで人生を豊かに暮らせている僕のようなトンチキからすれば、もっと夢のある本屋がいいなぁなんて、つい勝手に思ってしまうのである。

宮古島2009~その11 夕暮れには散歩をしよう

2009年10月07日 | Weblog
前にも書いたが、パイナガマは市街からほど近い場所にあるビーチである。人もそこそこいるのだが、ボケーとするには最適の場所であり、何より気軽に行ける距離なのが嬉しい。
「夕陽でも見に行こうかなー」と言うクロについて、僕も散歩に行くことにした。

歩いて30分弱くらいだろうか、とりとめもない話をしながらゆるゆると歩く。傾きつつある太陽はそんなに暑くはなく、むしろ風が気持ちいい。宮古島は観光スポットが市街地から離れているので、どうしても車で動くことが多いのだが、こういう時間は本当にいいもんだと感じる。
着いてすぐ海に入り、波に揺られながらのんびりとまた話す。音楽の話やら、お笑いの話やら。僕は結構理解されがたい嗜好を持っているので、話が合うととても嬉しくなる。ただ心の赴くままに、思ったことをポイポイ投げあう。ひたすら、時間がゆるい。

海からあがると、ちょうど夕陽がいい具合になってきていた。「おおー」写真をパチリ。「何だよーどっか行け」雲が邪魔しだしたので、手でパタパタ追い払ってみる。浜では、誰かがビーチフラッグの真似事をしてはしゃいでいる。いい夕方だ。本当にいい時間だ。全身の筋肉が弛緩していくのがよくわかる。沖縄にいるということは、こうじ時間を過ごすことだ。
…その時。

ジャジャーン。突然後ろのほうで、アコースティックギターの音色が響いた。驚いて振り返ると、宿のお客であるセサミンがギターをかき鳴らしている。どうやら彼はこちらに気づいていないようで、そのまま朗々と熱く歌い始めた。曲はコブクロで…『風』。
「セ…セサミン!素晴らしい熱唱だが…その歌、春の歌や!」
ズコーと2人でこけてみる。さらにライブは続き次の曲は一青窈『ハナミズキ』。
「おいこら…いい曲なんやが…ハナミズキも、春の花や!」
夏全開、南の島気分をブルドーザーで果てへと押しやる、何ともいえない演出である。しかもセサミン、その真面目な性格からか手抜きができない。
「…ますようにぃぼーーくのーーがまんがーー!」
一人じゃ難しい重なりパートを無理して歌うから、呼吸困難で息を引き取りそうじゃーないか!いかんぞ、彼はとても真剣だ、笑ってはいかん笑っては…とポーカーフェイスで横を見ると、クロは必死に笑いをこらえていた。「あんたって子はほんとに…」
つくづく、ヒダマリは愉快な宿である。

ほてほてと歩く、とても涼やかな帰り道。すっかりいい気分になった僕とクロは、帰ってすぐビールを開けようとはしゃいでいた。…するとそこに、嗅ぎ慣れた異臭がすかさずカットイン。おお、これは、もしや!マッハ2でゾウリの裏を確認!

…………ウ○コ踏んでる。
「ガッデーーーム!ファアアアアック!!」
お腹を抱えて爆笑するクロを横目に、僕は哀しみの雄叫びをあげたのであった。


ウン○の始末は、飼い主の責任です。

宮古島2009~その10 前浜の正しい遊び方vol.2

2009年10月06日 | Weblog
日本でも随一の美しさを誇るビーチ・前浜。白く伸びる砂浜、透き通る水色に光る海。マッチョで日焼けしたメンズ、さらにプリティな水着のギャルも華を添え、とにかく素晴らしいのひと言である。カップルで行った暁には「トシコ…あの青い海より君のほうが…いやあのピンクのビキニのおねーさんのほうが…」「死ねっケンジ!ドス!ボカ!」という展開があるやも知れぬので注意が必要である。まぁとにかく素晴らしいのだ。

しかしご存知のとおり!…いや前回も書いたようにlゲストハウス・ヒダマリ、いや少なくとも僕にとって前浜は「戦場」である。
思い返せばほぼ毎年、ここで「死の運動会」を開催している。ドッジボールやサッカーあるいはリレー、果ては組体操やシンクロナイズドスイミングまで、とにかく動けなくなるまで遊ぶのだ。何が悲しくて、こんな素晴らしいビーチで酸欠で喘ぐのか…ちなみに僕は3年前くらいに、張り切りすぎて肋骨にヒビが入ったバカタレでもある。さて今年の運命やいかに。

「ポセイドンごっこやろうぜ」海中でプロレス技をかけ人を投げ飛ばし、ひと通り遊んだ後でコースケさんは平然と言い放った。まるで「ちょっとお茶しよう」程度の軽いトーンだが、両者最大の相違点は「その事象に対して共通認識があるか」である。ポセイドン?ごっこ?「いいっすねー」とは言えない。この方の放言、年々ひどくなっとりゃせんか…周囲が銅像のように動かない中、誰かが「何すかそりゃ」と質問した。対するコースケさんの説明はこうである。
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アニメ『バビル2世』の下僕の1人「ポセイドン」は、その巨体の肩にバビルを乗せ、海を渡るという。これこそまさに男の浪漫と言えよう。そこで我々もちゃっかり浪漫を感じるべく、人を肩車し海底を歩き、向かいの来間島までたどり着こうではないか。
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何という壮大な夢だ…これは革命、いや維新だ!時代が変わる、その時を作るのは俺たちだ!さぁ行くぞ来間島!…とは当然ならなかった。「いったい何なんだ」「さっきそこら辺で『ここ足つかねぇ!』って叫んでたのに」「名前が大仰すぎるよな」と微妙な意見が続出。それもそうである。何せ端的に言えば「肩車して自爆」という行事なのだから。
「やるったらやるの!コーちゃん泣いちゃうもん!ママー!」34歳・新進気鋭の経営者の鶴の一声で決行となった。やると決めたら、事情が飲み込めなくてもやる!イエーイヤッホーイ!すぐポセイドン3機がスタンバイ。僕はクロを肩車し、出撃の合図を待った。

「ポセイドンだから、当然掛け声は『ポセポセポセ…』だな」
横でぼそりと呟くコースケ氏。この男は…もう何も言うまい。「了解、各機に伝達します」そして遂に、ポセイドンは海底へと旅立った。「ポセポセポセ」「ポセポセ」順調な進軍だ。「ポセポ…クスクス…ポ…ポセ」誰かが笑っている。水はどんどん深くなってくる。「ポセポセ…グハッゴホッ!ボゼ…」次々と僚機が海に沈む!みんな…俺は行くぞ来間島まで!「ボゲラボゲ…ボゲブ…グハー!」カツオ機、あえなく水没。

「大体ねー、人を肩車して海底に向かうってのはね、簡単に言えば入水自殺ですよ!」
そりゃそうである。岸では誰もが爆笑している。うーん…何て無駄に爽快なんだ。全力でメーターを振り切ったアホ行為は、これだからやめられない。
ポセイドン、海底に堕つ。そして当然のことながら、その後何かにつけ「ポセポセ」と呟く人間が続出し、宿はしばらく何とも言えない雰囲気に包まれていたのであった。

あ、ポセイドンごっこ、よい子はマネしないでね☆

宮古島2009~その9 前浜の正しい遊び方vol.1

2009年10月05日 | Weblog
日本でも随一の美しさを誇るビーチ・前浜。白く伸びる砂浜、透き通る水色に光る海。美しい曲線を描く来間大橋が華を添え、とにかく素晴らしいのひと言である。カップルで行った暁には「ふっふっミドリ、どうだい」「タケシ…何て素敵なの」「むひょひょ」「うふふ」的な展開は間違いなしである。というか、実際そういう人たちをよく見かけた。

しかしご存知のとおり!…いやご存知じゃないかもしれないが、ゲストハウス・ヒダマリ、いやいや少なくとも僕にとって前浜は「戦場」である。
思い返せば去年、僕は「胎児の格好で首だけ出た土葬」の状態でスイカ割りの的となっていた。照りつける太陽、撮られまくる写真。そして徐々に薄れてゆくこちらへの興味が、何よりもつらかった…。「たたた助けて!ギャー!」頭の僅か30センチ横にバットが着地した時は遺言状を残したくなったものだ。そして海に向かって埋められた青年スパシオは「誰か…おしゃべりしようよ…構ってよ…」と切なく懇願していた。とにかく前浜では毎年何かが起きているのだ。

その日。休憩で寝そべっていた僕は、理由もなく10人がかりで埋葬され、あっという間にエジプトの偉い国王風土製棺桶に収納されてしまった。早い話が、仰向けで埋められたわけである。「2年連続で埋まるとはな…しかし砂浜で人を埋めるしか考えつかんとは、浅はかな奴らよ」去年の経験があるので、僕にはとても余裕があった。今回はスイカ割りの標的になるわけでもあるまい。私をクフ王あるいはラムセス2世と呼びたまえふっふっふ…てなもんである。ところが。

「はいここに寝てー。そうそうそんな感じ」
おや?僕の腰の左部分を枕にして、女子大生・エアリーの顔がセットされた。そしてそのまま埋められているではないか。ま…まさかの2人目!さらに被害者が続出しているようで、僕が見れない足元のほうで「ヒー助けて」「ギャー」と悲鳴が断続的に響く。いったい…何人が犠牲になっているというのだ!高らかな笑いとともに、さながら怪人のように跳梁跋扈するのはおなじみコースケ氏。横にはだらしない笑顔を浮かべながら写真と動画を撮りまくるクロ。客もスタッフもごちゃまぜに、どんどん人が埋められていく。悲劇を通り越して喜劇である。

そしてやはり今年も哀しいのが「忘れられていく感覚」である。埋葬部隊は常に新しい案件に取り掛かっているため、既に埋めたこっちに興味なんぞない。「我々は断固抗議するー!顧客虐待、はんたーい!」と声高らかに主張してみたが、微苦笑という屈辱的な反応がこぼれるのみ。芸人にとっては、真綿で首を絞めるような拷問である。「絶対に復讐してくれる…」怨念の炎が心で燃え上がる。
しかし長時間の地中生活によって、身体に相当な負担がのしかかってきた。エアリーは僕の腰と左腕に乗っかってるし、誰かが右足のほうに頭を置いているようだ。土の重さも相まって、手足が痺れてきた。「このままだと壊死しますです」誰も聞いてない。全力で突如飛び起き、犯人どもにラリアットからフライングボディプレスへの連続技を炸裂させようかとも思ったが、どうせ「あーあ、せっかく埋めたのにーカツオー」というメガトン悶絶級の薄いリアクションには精神的に耐えられない。哀しきは芸人の性、である。

「せめて少しずつでも手足を動かせないか…よいしょ…」
苦しい微調整を試みると、横から「ちょっとカツオさん動かないでよ」とエアリーから厳重注意。これじゃまるで、満員電車で密着しあう女子高生VS禿げ散らかした中年ではないか…。「この人チカンです」と言われたら誰も信じてくれん!会社も守ってくれん、裁判でも勝てん!家のローンも残ってるんだぞ!…あまりの混乱にバッドトリップしそうだ。その時。
「ふっふはははは…カツオくん、コーラ飲む?」
その声。あのいたずらっ子34歳だ…見上げると、満面の笑みをたたえ仁王立ちのオーナーがいた。「あんたアホや」「えっ、いらないのかそりゃ残念」「社長!いやーさすがですな!何かわからんけどとりあえず素晴らしい」「うむうむ余は至極満足じゃ。飲むがよい」ジャバジャバジャバ。寝たまま開いた口にインしてくるコーラ…冷えてて甘くて美味しーい!僕はコカ・コーラの社員一人ずつに礼状を書きたくなるほど感動した。
「ありがとうコースケさん!」言葉に出し、猛烈な違和感に首をかしげる。違う…元はと言えば奴らのせいだ!「フフフー」見上げると、クロが懲りずにデジカメ片手に笑っていやがった。

結局埋葬されたのは僕を含め6名、3名が実行犯であった。全員脱出後、周辺はまるでゾンビが這い出したかのような惨状を呈し、ロマンティークな白い砂浜をこれでもかと汚していたのであった。そして復讐に燃える僕は、容赦なくクロを海に叩き込んでやったのであった。

今回は長くなったなぁ。

朝のルール

2009年10月04日 | Weblog
色んなところでブツブツ言っているのだが、最近本当に太った。
僕は自称清純派アイドルなので、具体的な数字は控えるが、社会人になった頃から何と8キロも太った計算になる。
その数字を体重計の上で見た瞬間は、冗談抜きで4秒ほど気絶したと思う。「もしや背後霊が2キロほどあるのでは」「無意識の内に鉄アレイを持っているとはな」などと呟いてみても虚しいばかりで、体重計の野郎は「間違いございません!」とプロの主張を変えることはなかった。抜群に愕然で俺撃沈、である。ラップにもなりゃしない。

原因は明快である。
ひとつは車を買ったこと。なければないで不便しなかったのに、今はついつい乗ってでかけてしまう。昔は50分ほどかけて京都駅までチャリで行ったこともある自転車バカだったのに・・・運動量が画期的に減少しているのだ。
もうひとつは食べる量が減らないこと。僕は白ご飯に合うおかずなら何でも好物という、ともかく食の守備範囲がメジャー級な男である。昼夜構わずいつもモリモリ食う。しかもよく呑みに出る。こりゃ太るはずである。

その昔高校生だった頃などは、何と体脂肪率が1ケタだったこともあるのに・・・そして順調に太って行く同僚を嘲笑っていたのに。余談だが同期のAくんなどは、7年で25キロも増量した剛の者である。「小学生1人抱えて暮らしてるのと同じだぞ。お前 with 小学生というユニットか」などと言っていたが、正直笑えなくなってきた。
僕は遂に決心した。今まで無縁だったダイエットに着手することにしたのである。

愕然とするくらい前置きが長くなったが、最近僕はウォーキングをしている。たかが歩きと侮るなかれ、これが結構いい感じの運動になるのだ。実は様々な運動で身体がボロボロな僕にも、あまり負担がない。
大抵は会社から帰って夜歩いているのだが、ごく稀に早起きした時は会社に行く前に歩いたりもする。
この朝の散歩が!実に気持ちいいのだ!!あまりに素敵すぎるので、比叡山の山頂からでかい声で叫んでもいい。
朝の冷たい空気が、僕のゾンビ状態な脳みそに新鮮な酸素をくれる。イヤホンからはご機嫌な音楽が流れ、身体を動かすともうたまらない気分になるのである。突如周りに花畑が現れたなら、間違いなく「あっはっは!さぁみんな踊ろうよ!」と踊り出す自信があるほどだ。実際にやると変質者としてスムーズかつマイルドに処理されるのでやらないが。

最近の僕の定番コースは、近所をぐるりと一周して身体を温め、そこから少し大きな公園に向かう。ここは大きなグラウンドの周囲にウォーキング用と目される道があるので、そこでぐるぐると何周かせっせと歩く。人目もあまりないので、時々ダッシュなぞすることもある。実にファンタジー、ヨロレイヒーな時間を満喫し、たくさん汗をかいて帰宅するのだ。

それにしても・・・ひとつ気になるのが、朝公園で会う人々の習慣である。知り合いに一人として会ったことはないのだが、皆さん必ずニッコリ度150%くらいの笑顔で「おはようございます!」と挨拶してこられるのだ。別に登山してるわけでもなし・・・郷に入っては何とやらで、僕ももちろん挨拶を返すのだが、朝の爽やかすぎる空気がそうさせるのか・・・ひたすら謎である。ある時など、設置してあるぶら下がり棒に掴まった初老の男性が、鬼の形相で「おお、おはよ・・・うござい・・・ます・・」と挨拶してきた。しないと怒られるのか?はたまた公園に通う者の譲れないプライドなのか・・・?

ともかく大きな疑問を抱えつつ、朝のワンダフルウォークを僕は続けていくつもりである。
ちなみにその努力あって、ピーク時より3キロの減量に成功!このまま高校時代にまで戻してやろうかと、虎視眈々とチャンスを狙う29歳の秋なのである。

噂のリクエスト

2009年10月03日 | Weblog
数ヶ月前に発売された、ニンテンドーDS用ソフト『ドラクエ9』の勢いがすごいらしい。まー詳しいことは割愛するが、とにかくやり込み要素、つまりゲームを「極める」ための素材が山盛りあるらしく、ひたすらゲームに没頭する人が日本中で笑っちゃうくらいいるようだ。
実は僕、ようやくここ最近冒険を開始したばかりである。ゆえに「やったーようやく鉄の槍を買えたぞバンザーイ」と喜んでいるザ・赤ちゃんプレイヤーだが、周囲の同僚の熱中具合が半端じゃない。ほとんどが既婚者のくせに、把握しているだけでも彼らのプレイ時間は200、180、140、110(単位:時間)と驚異的で、少ない人でも既に50時間であるとのこと。「あんたの1年から何日が消失してるんだ!」とお説教したくなるほどである。

さてドラクエと僕の出会いは、小学校時代にさかのぼる。当時社会現象を巻き起こしていた『ドラクエ3』がどうしてもほしくて、僕は父親に「なぁー買うてぇなぁー何でもしまっさかい」と関西の商人風に1日200回ほど迫った。一人息子の過度な要求にほとばしる狂気を見たのか、父親はある日知り合いに頼んでソフトを持ち帰ってきてくれた。
「おい、ドラゴン『リクエスト』買ってきたぞ!」
リクエスト!いったい何するゲームだ!…とツッコみたくなるところだが、彼は当時50歳近くゲームとは無縁のサラリーマンである。そこは流すのが人情、それよりゲーム早くやりたいと小学生の僕は即座に判断し、「ははぁー!謹んで御礼申し上げます」と土下座でそれを受け取った。

いち早く冒険を進めたいところだったが、当時ウチの母親ときたら筋金入りの教育ママであり「ゲームは1日30分!約束破ったら八つ裂きにして空き地に埋めるわよ」と鼻息が荒いお方であった。しかしRPG(ロールプレイングゲーム)というのは長い迷宮をクリアするのが醍醐味であり、しかも途中で記録できるポイントは限られている。父親と同じくゲーム音痴の彼女に「宝物を集めつつ迷宮の奥にいるボスを倒して町に帰り教会で記録」という難解なシステムを理解してもらうのは、サンショウウオに因数分解をさせるより困難であった。
だからこそ、そんなゲーム内外の問題を解決しながら、最後のボスを倒した時はまさしく「感無量」のひと言であった。確かソウルオリンピックで鈴木大地さんが金メダルを獲ったのもその頃であり、横で見守っていた友人が「磯野カツオ!き、金メダルううぅぅぅーーー!」と絶叫したのを記憶している。何つーか安い金メダルもあったものだが、本当に涙が出るほど嬉しかったのだ。

さて現在。
同僚と昼飯を食いに出ると、ほぼドラクエ9の話になる。
「○○の町の東の山の近くにアレがあるんすよ」「ピンチの時はあの技を使ってだね…」「なるほどそうか!」「そういや××ってアイテムの活用法知ってる?」
僕はさっぱり会話について行けない。それはそれで寂しくもあるのだが、彼らの瞳の輝きを見ていると何だか妙に笑えてくる。小学生の僕も、同じような瞳で画面に向かっていたのだろうか。ゲームの功罪が語られるようになって久しいが、少なくともそれを肴に爆笑していられるのなら、悪くないのかななんて思ってしまうのであった。
ま、大人の本気遊びほどタチの悪いものもないけれど(笑)

そんなわけで、僕もほどほどに頑張りまーーす。

宮古島2009~その8 飛べ!海の果てまで

2009年10月02日 | Weblog
「インギャー」という地名は、本来シュノーケルを楽しめる美しい公園「インギャーマリンガーデン」を指す。しかし、もしもヒダマリで「インギャー行く?」と聞かれた場合は、若干意味合いが異なる可能性があるので注意が必要だ。それは「インギャーダイブする?」という質問と同義であり、下手に頷こうものなら、公園内にある橋から8メートルほど下の海に飛び込む羽目になるかもしれない(まぁ念のため言っておくと、ダイブを強制するようなことは絶対にないし、無茶しなければとても安全に遊べるのだ)。そして僕は、毎年ここで飛んでいる(しかも毎度、平均4回は飛ぶ)バカタレなのである。

もちろん今年も!というわけで、みんな連れ立ってインギャーへと向かった。
潮は結構引いていたので「横に並んで一斉投身」などの荒業は封印。頭から行っちゃうコースケさんはさすがだが、僕は度胸のないタンドリーチキンちゃんなのでフツーに飛び込む。いやー爽快で楽しい!やはり宮古に来たらインギャーでピョン!みんなもワーワー騒ぎながら次々と飛び込んでくる。立ち泳ぎしながら、次の人を待ちつつ橋の上を眺めるのは本当に好きな時間のひとつなのである。

さてそんな中、飛び込みをためらう2人がいた。一人は仲良しカップルの彼氏のほう、ビバリーである。彼はそもそも泳げないどころか、「アマゾンの川で溺れそうになり、スペイン人女性に救助された」という抜群に意味不明なエピソードがトラウマになっているらしい。うーんわけわからん。もう一人は宿のヘルパー・クロ。こちらは純粋に飛び込むのが怖いようで、意欲はあるものの、明らかにギャフンな負のオーラを垂れ流している。

「お前なんかビバリーじゃなくてビビリーじゃ!」
橋の欄干を跨いだビバリーに野次を飛ばすのは、他でもない彼女のほう・ヒルズ。あんた…励ましとかエールとかないんかい…。思わずツッコみたくなるが、それも愛情表現のひとつかもしれないので流しておく。愛。愛ちゃん。サー!…うむ、深い。彼は水中での呼吸法がわからないが、シュノーケルは大丈夫なので、コースケさんと揃ってマスクを持って下で待機。「こういうパターン、ためらい始めると長くなるんだよなー…ていうか泳げないのに飛ぶなんておいらにゃ無理。おーこわ」
そう思った瞬間、「おおう!いったるわい!」そう叫んだかと思うと、ビバリーはいきなりドカーンと飛び降りた。圧巻の瞬殺ジャンプである。浮かんできた彼にマスクをつけさせひと息…いや、ほんとすごい。その日一日語り草になった男前ジャンプに、僕も思わず感動してしまった(ちなみに奴はもう一度飛びました。アホですな)。

さて残ったのはクロである。普段は穏やかな雰囲気の彼女だが、「かかってこーいバッチコーイ!」なんつって案外飛びそうかも…と思っていた。しかし、やはり怖い。高所が恐怖な症である僕は気持ちがよーくわかる。クロも泳ぎ苦手らしいし。「今日の晩飯のことを考えたまえ。無理なら…えーと、明日の朝飯でもよいぞ」あまりに芸がなさすぎたか、アドバイスの甲斐なく彼女はジャンプを断念した。よほどそれが無念だったのか、その日中クロの表情は冴えなかったのだった。

そして翌日。
「カツオちゃんが夢に出てきたよ…」起きてきたクロは、開口一番そう告げてきた。何と…私の溢れる魅力が彼女を虜にしてしまったのか…ふふっ罪な男さ…「橋の上でさー。飛べない私の横でさー。悲しそうにこっち見てるの」あんたー気にしすぎやー!!しかもよくよく聴くと、「昨日はずっとモヤモヤしてたからシャワー浴びてからお酒いっぱい呑んで寝て今日は気分すっきりした」とのこと。あんたーそれが原因で酒に逃げたんかーい!!
そんなこんなで、この話は「クロは飛べなかったので酒に逃げ、浴びるように呑んで呑まれて呑んだ」という伝説となった。浴びたのはシャワーなのに…。

にしても、今年も来間大橋から飛べなかったのが残念ではある。次回こそ…

宮古島2009~その7 アルゴリズムをマスターせよ

2009年09月30日 | Weblog
「アルゴリズム体操」あるいは「アルゴリズム行進」というものをご存知だろうか。
NHKの番組「ピタゴラスイッチ」内の1コーナーで、妙に簡単そうな振り付けと、頭に残る単調なメロディが魅力のおかしなダンスである。たぶん、その筋では有名だと思う。

ある日の昼下がり。ノープラン大王として宿に君臨していた僕は、完全にヒマを持て余していた。沖縄に来るからには、こういうへっぽこな時間の使い方こそが素晴らしい。しかし何かしたい。できれば、限りなく無駄でくだらないことがしたい。幸か不幸か、お客さんはほとんどが外出している(てめぇもお客だ)。よし、ヒマそうな奴を片っ端から拉致してくれよう。そして…アルゴリズム行進でもやったらいいだろう。適当だけど。
こうして「アルゴリズムプロジェクト」は盛大に幕を開けた。その場にいたコースケさん、リプトン、王子、クロを次々と巻き込み、強制的に参加してもらった。宿にはテレビも音源もないので、Youtubeで歌詞と振り付けをいきなり猛特訓開始である。

「『手を横に~』の箇所はどちらに回転するのだ」「こっちで…右手がこうだから逆時計回りですかね」「こうやってこう…ステップが合わん!」「暑い。汗が止まらん」「終わりの部分、振り付けが違うみたいだ」「待て、もう一度動画で検証だ…なるほど」
想像してほしい。いい大人がよってたかって、しかも南の国のゲストハウスで、ひたすら真剣に踊りを練習する姿。しかも歌詞がひたすら牧歌的なので、滑稽具合が20パーセントもアップして大惨事である。

しかし思い返せば、3年前はもっとひどかった。宿にはサザンオールスターズの新曲「Dirty Old Man」が延々と流れ、チェックインとほぼ同時に踊りを練習させられ、汗だくになって毎日厳しいダンスのレッスンが続いた。しかも動画編集のためと称して、宮古島の至るところでロケを敢行。さとうきび畑の中や宿の屋上はいいとして、コンビニの店内でまで僕らは踊っていたのであった。何という無駄な努力!そして一体感!これこそがアホ生活の醍醐味だと、その時に確信したものだ。
なお余談だが、その時の首謀者・ジョジョと僕は義兄弟の契りを交わし、メールも「よう兄弟」で始まる仲である。先日東京で2年ぶりに会ったのだが、待ち合わせ場所に現れるなり「カツオッ!店の階段に座ってるカップルの女のほうのパンツが丸見えなんだ!ちょっとこいッ!」と連行された。しかし到着すると、そこには坊主頭にハチマキを巻いたオッサンが煙草をふかしているだけ。「おかしいなぁ…いたんだよ…絶対に…」心底残念な顔で何度も現場を振り返る彼に、僕はただ「あのジョジョ…2年ぶりやし…もうちょっとこう…」と繰り返すしかなかった。心から素敵な奴である。

思い切り話が脱線してしまった。そんなこんなで、厳しいレッスンを終えた僕らは、ワイワイと動画を収録してゲラゲラ笑った。何というか、そもそも行為自体がマヌケなのに、誰もが半笑いのビミョーな空気が何とも哀れなのである。しかもリビング部分では場所が足りず、際どい歩幅調整とカーブの角度が必要になり、誰もがそこに気を取られているのがよくわかる。「こりゃ気まずい」「お前の含み笑いは何なんだ」何時間も練習した結果が、これ。やはりヒマな午後は無駄に限る。
その後、宿近くの繁華街で行進しようという極バカプランが提唱されたものの、「行進したまま警察車両に収納されるであろう」という至極もっともな指摘により却下となった。

ちなみにその後、僕とクロ、そしてリプトンは猛練習の末「アルゴリズム体操」も習得。TPOをまったくわきまえず、さまざまな場所で披露しては失笑を買っていたのであった。

こんな沖縄の楽しみ方、どうですか?僕は大好きです。

取材という最大の敵

2009年09月29日 | Weblog
今現在、僕の仕事は落ち着きに落ち着きまくっているわけだが、もう少ししたら繁忙期がやってくる。
そこで避けて通れないのが「取材」である。
僕は現在広報関連の部署にいるわけで、冊子の編集なんぞをしているわけなので、つまり必然的に取材をしなくてはならなくなる。
「取材」。あまり縁のない方は「おお、それって『真相はどうなんですか』『今はノーコメントで』なんつってカッコよろしいアレではないのか!」とお思いかもしれないが、そんなもんではない。まー僕は大学に勤めているので、OBやら在学生に話を聞いて写真を撮ってってなもんである。残念でした、プププ。

・・・とは書いてみたものの、この取材というのが恐怖なのである。
実は根っからの照り焼きチキン、いやビビリである僕にとってはこれは拷問に等しい。この部署に来て1年余りが経つ今でも、思い出すだけで軽く尿意を催すほどだ。場合によっては漏らす可能性もある。

まずアポイントメント。
先方に電話だのメールだのしてコンタクトを取るわけだが、OBであればほぼお仕事されているわけで、業務時間中に連絡せねばならんのがツラい。「えーと実はこれこれこれでございまして、取材なんぞさせていただければ・・・」ここで既に半分気絶していると言ってもよい。それで「何だ君は、え?」なんて言われようものなら即脳死である。そんなメに遭ったことなど一度もないが、「取材?マジでーやったー!」まではいかなくとも、好意的な反応が返ってくるまでは油断できない。

次に当日、まず現地集合。
これが最も恐怖である。何しろ僕は「50年に一度の逸材」「無事たどり着ける場所は地球上に皆無」と言われるほどの方向音痴だからだ。関西でも土地勘ヤマ勘全てゼロなので、電車の乗り換えが2回以上あると両生類まで先祖返りしそうになる。何とかたどり着いても、自分にこれっぽっちも自信がないので「えーと駅の西口のはず・・・だけど東口のほうが人が多いぞどうしよう」とこれまたセルフパンデミックが発生するのだ。取材陣の一人と合流するまでに、僕は毎回寿命が6年ほど縮んでいる。

そして現場。
これも実は怖い。かつて某有名スポーツ選手にドタキャンされたことでもわかるように、とにかく本人が現れるまで油断はならない。さらに現れたら現れたで気遣いしなくちゃならんので、汗が毎分5ℓくらい出て困る。そしていざインタビューに入っても油断はできない。「主にですね、ホニャララのピーコピコなシステムを開発し、それをイングリモングリかつドデスカデンな活用をできるような研究をしています」的な話にも「おおなるほど」「実にファンタスティック」と相づちを打たねばならない。こういう取材の場合、大抵はライターさんというインタビューと原稿起こしのプロがいるため、僕はカカシかヌイグルミのようにしていればいいのだが、やはり色んな角度から話を展開しなくてはならない。あまりにハードボイルドな専門トークに遭遇すると、僕は両足のスネ毛がもれなく抜け落ちるほど混乱してその場で号泣したくなる。

いやー書いてるだけで救急車を呼ぼうかと何度か思ってしまった。
とにかく取材というのは何やらかんやらと気を遣うものなのだ。そして悲しいかな、精神的ヘボさでは日本代表クラスの僕がこの任務に当たらなくてはならない。世の中不条理にできている。この恐怖から解放されるため、ドラゴンボールでも集めに行きたいと思うのだが、おそらく上司は有休取得を認めてはくれまい。
しかし僕が異動になった時「よりによって、最も外に出してはいけないお前とはな!ギャハハハ!」と嘲り笑った同僚どもに復讐するためにも、鉄の意志にて臨む所存なのである。


ファンとは何だろうか

2009年09月29日 | Weblog
先日、たまたまプロ野球中継を見ていたら、中日ドラゴンズの井上一樹選手の引退セレモニーが行われていた。

彼は元々「ゴリラ顔」と言うべき愛嬌のある顔立ちである。花束をもらうたびに、その顔をクチャクチャにして必死に涙をこらえている姿に、僕もテレビの前で思わず泣いた。スピーチも男らしく、「僕のような弱い人間を支え、励ましてくれた人たちに・・・」のあたりで、我慢できずに号泣(僕が)。ファンに愛された男の、素晴らしい花道だった。
高卒で鹿児島から出てきて、ピッチャーとして失格の烙印を押されながら、野手として活躍し、ドラゴンズ一筋20年の現役生活。選手会長として、ファンサービスの重要性をいち早く主張し、また先頭に立ってそれを実践した、偉大な選手だと思う。何よりその人柄は誰からも愛され、だからこそこういった終幕を迎えられたのだろう。

僕は物心ついた頃からの阪神タイガースファンで、40年くらい連続で優勝してくれても構わないと思っている。
だが同時に「プロ野球ファン」も自認していて、決して阪神以外の球団や選手が嫌いなわけではなく、むしろその全てを愛していると言ってもよいと思っている。
だから井上選手のような素晴らしいプレイヤーが球界を去るのは本当に寂しいし、彼の現役時代を見ていた人間として、心から拍手を送りたいと思う。

んで今回、何を言いたいのかと言うと、ファンって何なんだろう、ということである。

僕は最近の読売ジャイアンツが好きだ。有能な若い人材を積極的に登用し、実績に関わらず可能性を探る。かつての金満球団イメージはまったくなく、原監督の采配は多少無茶も感じるが、非常に男気に溢れ、先入観や過去には囚われていない。だからこそ、今回のペナントレースはジャイアンツの圧勝に終わったのだろうし、今後何年もいい時代が続くと思っている。

ただ、そういう思想をあまり許してもらえないこともある。

「阪神ファンならアンチ巨人が当然」という発想は、関西に住む人間としてはまぁわかる気もするのだけど、最近極端な思想に偏っている人を見かけることが多い。同じ阪神ファンとしては悲しい限りで、そんなもん楽しみ方は人それぞれでいいだろとついつい思ってしまう。
それならまだしも、インターネットの書き込みなどを見るともっと酷い。
チャンスで凡退した選手に平気で「こんなクソはクビにしろ」「○○とトレードしたらいい」と書いている。こんなのはまだいい方で、読むにたえない暴言も普通に飛び交う。彼らは選手をコマとしか見ていないのだろうか。失敗した選手は、他の選手と換えたらそれでいいのだろうか。全ての打席でヒットを売って、全ての試合を0点に抑えて、全ての試合に勝たないと気が済まないのだろうか。もう読んでたら悲しくなってきて、最近は読まないようにしている。

「プロは結果を出して当然」
それも正論だと思う。人情や思いやりだけでは、プロ選手を愛することはできないのもわかる。
だけどそれでも、愛情を持って試合を観て、ミスしたって「何だバカ!練習しろボケ!」と言ってしまったとしても、「次の打席はヒット頼んまっせー」と言えるファンでありたいと僕は思う。

井上選手も、ここ数年の成績はとても満足できるものではなかったはずだ。それはファンも知っている。
だけどそれでも、「20年間お疲れさま」「一樹最高」と手作りのボードを持って、彼らはスタンドに陣取り、あらん限りの声を張り上げて応援し拍手を送った。引退という節目だったからだとしても、僕はそういうファンが本当に大好きだ。自分もそうあらねばと思う。つまらない、人をこき下ろすだけの人間には絶対にならない。


おおっ、怒りのせいか何書いてるかわからんなった。長くなりましたが、これにて。


宮古島2009~その6 南の島は相撲日和

2009年09月28日 | Weblog
ある日の午後、ヒマだったのでリプトン、ティン、王子と4人でパイナガマで遊ぶことにした。パイナガマは、市街地近くにあるためとてもアクセスがよい反面、まーその他の海に比べたらそこまで…といった感じのビーチである。しかしのんびり散歩するにはほどよい環境にあり、お手軽な夕陽スポットとしてもナーイスな場所なのだ。

確か15時過ぎくらいだったと思う。「パイナガマでいったい何をするか」を話し合ったものの、妙案は誰からも出ない。挙句、メンバーは男2女2なのに、何を血迷ったか相撲をすることに決まった。何とも安直な結論だが、やると決まったら全力なのがヒダマリ愚連隊だ!
「相撲といえば…ストリートファイターで『エドモンド本田』ってのがいたな」「いたいた。百烈張り手とかサバ折りとか」「スーパー頭突きって技あったね」「『ドッコイ!』とか言いながら相手にビョーンて飛ぶアレだ」「ワッハハハハ!エドモンド!」「ドッコイ!」「やめてーお腹痛い」「ドッコイ!」「だはははははは!ドッコイ!」
何ともひどい会話である。新首相も、僕らにだけは日本の未来を背負わせたくないと駄々をこねるであろう。

そんなこんなで、ワイワイとビーチへ向かう。とりあえず海に入って漂いリラックス。砂浜に土俵を書いたら2009年大相撲パイナガマ場所の開幕である。「誰であろうと手加減なし」と固く約束。しなくてもいいのに。
ティンを容赦なく投げ飛ばし、続く王子との一戦。「こいつぁマジで強えな…」引き締まりまくった彼の一寸のムダもないボディ。対するは、30歳手前の心身ムダ満載サラリーマン。ていうか最近本当に太った。「貴様のような小僧には負けられん。殺す!」つつつ強い!押してもびくともしない…こいつの足腰はサイボーグか!拮抗する展開の中、結局耐え切れず投げを打った僕はバランスを崩して倒れた。「ふっふははははは」ぬおーー腹立つ!次のリプトンにはもちろん勝ったが、猛烈な悔しさが止まらない。

と、そこで足の裏の鋭い痛みに気づいた。見るとガラスで小さく切れている…確かに違和感はあったが、怪我をしてたとは…。
こうなったら得意の言い訳しかあるまい!「やはり…敗因はコンディションにあったか…」「何だそりゃ!」冷たいツッコみになど屈するか!「そして実は…右肩を亜脱臼していて…あと左足は複雑骨折…それと実はぎっくり腰が…」「この人アホだ」「アスリートとして、万全の状態で君と戦いたかった。残念だ」
もはや聞く耳持ってくれない3人に向かい、延々と敗戦の理由を捏造する哀しき姿。結局僕はさらに「最近肌荒れがひどく、目が霞み、軽いうつ病」という謎の力士になってしまった。まったくもってバカバカしい、爽やかな午後であった。

余談。「ドッコイ!」はその後も密かに流行し、ティンはそれを聞くたび笑いの発作に苦しんでいたのであった。アーメン。