くろにゃんこの読書日記

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ソポクレス 「アイアース」

2006年11月06日 | ギリシア悲劇とその周辺
ギリシア悲劇に、いえ、ソポクレスにハマっています。
ソポクレスはかなりな高齢(90歳以上)でも、創作意欲を失わず、
生涯に100以上の戯曲を生み出したそうですが、現存するのはたった7編。
2500年くらい前に書かれたものが、読めるかたちで伝わっているというのも軌跡に等しいですが、それ以上に、織り成す物語の浮き沈みを現代の私達が感じ取ることができ、感動したり涙したりできることこそ奇跡でなくてなんでしょうか。
そんな思いも手伝って、ソポクレスの全ての戯曲を読んでみましょうと、
続けてギリシア悲劇全集を図書館から借りてきました。

本書では「アイアース」「トラーキーニアイ」「エーレクトラー」「ピロクテーテース」の4編の戯曲が所収されていますが、今回は「アイアース」を取り上げています。
(他の戯曲は、順を追って記事にしていきますのでご安心を)
これら4編に直接的なつながりはありませんが、物語に登場する人物達は、
人物それぞれが持つエピソードに、それとなく関わりあいがあります。
ギリシア悲劇というのは、ギリシア神話、いわゆるギリシア各地に伝わる伝承や詩編「イーリアス」「オデッセイア」などを題材にして、悲劇詩人がそれぞれ自分の解釈や構成にそって、
伝承をアレンジしています。
当時のアテーナイ市民は、登場人物の持っているエピソードや物語の前後関係、顛末を知っていて当たり前なわけですが、私達日本人には多少分かりにくいところですね。

「アイアース」は、アテーナイでは知らない人のいない偉大な伝説の英雄、
アイアースの自殺を題材にしている悲劇で、アテーナイ市民にとっては、重要な意味のある悲劇だったと思われます。
解説を読んでみますと、アイアースにはトロイアー戦での船戦用の武器(22尺もある刺股)を振り回し、船から船へと飛び移りって壊滅寸前の味方を大音響で叱咤して回るという義経八艘跳びのようなエピソードがあるようです。
ですが、義経のような奇策を弄するタイプではなく、勇猛な名轟く武人であり、
義に組する廉直な人であるけれども、一途であるだけに愚直であって、感情面の細やかさは皆無で、不器用な性格でもあるようです。

「アイアース」では、誉れの高いアイアースが、アキレウスの武具を巡ってオデッセウスと争い、投票による判定の末にオデッセウスに軍配が上がり、
アイアースは不満を募らせ、狂気に陥ります。
その狂気は、女神アテーナーによって送られるているのですが、そこは、武人としての奢りによる神の怒りというかたちであらわれています。
アイアースは狂気によって、たった一人でオデッセウスとメネラーオス、
アガメムノーンらを血祭りにあげたと信じていましたが、正気にかえってみれば、家畜の無残な死骸のなかで全身血まみれです。
自分のしでかしたことを非常に恥じたアイアースは自殺します。

ここで非常に注目されるのは、この自殺のシーンが舞台上で演じられるということです。
「オイディプース王」の一連の戯曲では、悲劇は知らせの者によって語られ、
舞台上で繰り広げられるということはありませんでした。
ギリシア悲劇では、それが一般的な手法であったようで、
「アイアース」のような演出はむしろ稀であったようです。
アイアースは独白の後、一人自殺を遂げるわけですが、
観客に与える衝撃はいかばかりかと想像してしまいます。
さらに、その遺体はギリシア軍によって埋葬を禁じられ、アイアースの弟テウクロスとアガメムノーン兄弟との間で遺体を巡っての対決があり、その間中、いえ、舞台終わりまでアイアースの遺体は舞台上に晒されたままです。

血まみれの家畜の死体、アイアースの死、アイアースの遺骸。
なんと死に彩られた舞台なのでしょうか。
勇猛で知られた人も狂気に陥るように、今幸福であっても悲劇に襲われないとは限らないし、生あるものは死の運命から免れえることはない。
こういうものの捉え方は、平家物語に似ていなくもないですね。

ソポクレース II ギリシア悲劇全集(4)




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2 コメント

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真犯人は? (迷跡)
2006-11-06 23:28:01
アイアースの乱心、オデッセウスの陰謀ではないんですね。どうも私には、オデッセウス=陰険な策謀家というイメージが強いのです。
なるほど、無常観を平家物語に見立てる視点はおもしろいですね。私は記事を読んで、構造的に、赤穂浪士の骨格の中で自在に「東海道四谷怪談」などを作り上げた江戸時代の歌舞伎作家(or浄瑠璃作家)を連想しました。
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策略家のオデッセウス (くろにゃんこ)
2006-11-07 01:00:56
「アイアース」のオデッセウスは、アイアースの遺体を埋葬してもいいと言ってくれるただ一人の人物で、いたわりの心をもった人物として描かれています。
ところが「ピロクテーテース」のオデッセウスは、策略家としての本領を発揮。
嫌な役回りを演じています。

私が、ギリシア悲劇を読んでいてすごいなァと思うのは、名だたる英雄にも欠点があって、その欠点を含むまるごとを魅力として成立させているというところです。
これは、ギリシアの神たちがよい面も持っていれば、あまり好ましくない面も持っていて、それでも愛されているということに関係があるのかもしれません。
ギリシア悲劇の無常観は、日本の無常観と似ているような、似ていないような。
日本人なら、ギリシア悲劇の無常を敏感に感じ取れるんじゃないでしょうか。
赤穂浪士と四谷怪談は気がつきませんでしたが。。。
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