かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

平重盛卿の邸宅「小松殿」が出土という一報に、少しく心が踊りました。

2019-06-25 21:04:44 | Weblog
 今朝の最低気温は17.2℃、最高気温は31.2℃、五條市の今朝の最低気温は15.1℃、最高気温は30.5℃でした。今日は朝から文字通り雲ひとつ無い快晴の青空が広がりました。午後には雲が出てきて時折日差しが陰りましたが、日が落ちるまでよく晴れ、気温もしっかり上がりました。この晴れの天気は明日朝までは続くようですが、その後は急速に傾き、夜には雨が降り出す模様です。できれば帰宅するまではもって欲しいところですが、多分無理っぽい気がします。

 さて、京都市南区に、800年ちょっと昔、平清盛の長男平重盛の館「小松殿」がありましたが、この程、建物の建設に伴い民間会社の手で発掘調査が行われ、これまで見つからなかった「小松殿」の遺構、庭の池跡が発掘されました。
 場所は、平安京の左京の方、八条二坊五町の一角で、およそ215平米を調査したところ、調査地の東の端から、東西15m、南北10mに渡り池の跡が出土しました。その遺構の遺物として土器や瓦が出土し、その様子から、平安時代末に完成、鎌倉時代初期には埋められたものと推測されます。
 その才能を嘱望されながら平家の栄光を背負う前に父清盛よりも早くに夭折し、資盛、維盛ら息子たちが清盛亡き後一門の棟梁となった宗盛に疎まれて非業の最期を遂げることになるという、平家の栄枯盛衰を体現する悲劇の一族ですが、今までその邸宅が発見されていなかったというのは少しばかり驚かされました。もし早死しなければ平家が傾くことも無かったかも? と思わせるような、完全無欠の王子様として平家物語に描かれた重盛卿ですが、史実では結構乱暴者だったという話もあり、その人間像にはなかなかに興味が尽きません。まあさすがに平家物語に描かれたような完璧人間であっても、もし仮に清盛以後まで長生きしたとしてあの時代の流れを止め、壇ノ浦での滅びを回避できたかというと厳しいと言わざるを得ませんが、それでも、宗盛が采配を振るっていたよりはもしかしたらもう少し何とかなっていたかも? などと期待させるものがあったようにも思えます。まあそれもこれも平家物語の影響が大きいですが、源氏と雌雄を決する前に歴史の舞台から退場してしまったのは残念なことだと思います。
 
 ・・・しかし、「小松殿」が出土して、建物の建設はちゃんと進むのでしょうか? 京都とか奈良は掘ればなにか出てしまう土地柄で、しかも何か建てるときは自費で発掘調査しないといけないと聞きますが、こうしてなにか見つかったりしたら結構面倒なことになるんじゃないかと思います。今度の場合はどうなるのか、報道が続報を出すのならその結末を知りたいものですね。

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