かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

死刑廃止を訴えていたヒトが執行を許可してその刑に立ち会うに至った理由にすごく興味があります。

2010-07-28 21:54:33 | Weblog
 法相留任で死刑執行は当分ない、と思っていた矢先の執行報告。案の定いろんな批判があちこちから出てますが、自民党の方が言うような、「国民にノーと言われた人が死刑執行のはんこを押した」などというようなコメントは、何か間違っている気がいたします。選挙区で出て負けたわけですから、ノーと言った国民はごくごく一部の方ですし、第一、落選しようがなんだろうが、それが良い悪いは別にして、天下の総理大臣が指名して法相の席につかせたわけですから、法的には立派に判を押す資格があるわけで、それをとやかくいうのはおかしいと思うのです。もちろん、全国区で投票したとしても恐らくは敗北したに違いない、と私は思いますし、私自身、仮にそんな機会があったとしても絶対にこの方には一票入れなかったハズなのですが、それとこれとは話は別だと思う次第です。まだ、総理大臣の任命責任を追求されている公明党の方のコメントのほうが、非難としても筋が通っていて分かりやすいと思います。
 まあそんな揚げ足取りはこの際置いておいて、私の疑問は、死刑廃止論者である法相殿が、ここに来て何故執行を許可したのか、という1点に尽きます。同じ廃止論者の国民新党党首がいみじくも語っておられるように、「死刑をすべきではないという信念を変えるのであれば、考え方が変わったと国民に説明しないと」いけないと思うのです。また、法相の職においては死刑執行は義務なのですから、執行したことそのものは職務を全うした、と言えると思うのですが、信念として死刑を認められないというのなら法相にならずに一政治家として死刑反対を貫かれればよかったはずなので、その点からしても、どうも疑問が消えません。
 結局この方は何をやりたいんでしょう?
 今回の執行に立ちあって改めて死刑について考えさせられた、とのことでしたら、その思考の軌跡と現時点での結論を国民に説くべきなのではないのでしょうか? 私は基本的に死刑存続の方に1票入れる立場ですが、廃止論者の法相が何をどう考えて執行の断を下したのか、その思考の中身には大変興味があります。執行した上で、やっぱり死刑はダメだ、と改めて考えるようになった、というならそれでも結構ですから、是非発言してもらいたいですし、マスコミはそれを引き出してこそのマスコミだろうと想いますので、その活動に期待したいです(無理なのかもしれませんけど)。


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