かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

デジタルとしての表現技法が洗練されないと、紙に取って代わるのは難しいと今だに私は思います。

2010-02-25 22:54:17 | Weblog
 昨日のブログ、初めてニコ動の動画を貼りつけたのですが、こんなことができるなんて思いもよらなかったので、いまだに昨日のブログを見ると驚いてしまいます。でも、元の動画が削除されたらこのブログのこのページも随分間の抜けた物になってしまうんでしょうね。

 若い男性が新聞を読まない理由のはお金がかかるからだ、という調査結果を見ました。インターネット上で、20才から34才までの男性1000人と、35~49才男性200人を対象にアンケート調査したのだそうですが、マスコミ各社に取っては衝撃的な結果なのではないでしょうか。言い方を変えれば、今の新聞はお金を出して買うものではない、とその価値を否定されているようなものです。まあネット上のアンケートに参加するようなヒト達の回答なので、国民一般を代表するかどうかは少々疑問もあるのですが、実際に新聞社も赤字経営と聞きますし、私自身家では新聞を取ってなかったりするので、「お金がかかる」からとらない、という意見には、頷けるものがあります。週刊誌などの雑誌も今は低迷して出版業自体が厳しく、iPadとかKindleへの期待が高まっているのだそうですが、個人的にはああいう電子書籍というのが本当にそんなにいいものなのか、本好きとしては単純に理解しかねますし、もし電子媒体で新聞が発行されたとしても、「お金がかかるから」とらないと言われては、媒体が変わったくらいでまた買ってくれるのか、疑問です。日経新聞も月4000円でデジタルの新聞を発行するそうですが、果たしてビジネスとしてやっていけるものになるのかどうか。
 もしデジタルでそういったコンテンツを出すのだとしたら、書籍や新聞とはまるっきり違うデザインや編集が必要なのではないのでしょうか。今の活字は、長い年月をかけて、紙の上での読みやすさを追求して、字体や文字・行の間隔などの組み方といったものを進化させてきたモノであって、液晶画面で見ることを想定して作られていないはずです。個人的には、ハリーポッターで表現されていた魔法の新聞みたいなのになればいいな、と思ったりもしますが、デジタルな読書は、話題性先行で当分の間は色々と試行錯誤が続くんじゃないか、と思うのです。

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