小児アレルギー科医の視線

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“病の姿”が見えない 新潟水俣病の50年

2018年02月16日 07時51分19秒 | 医療問題
 先日、水俣病を世に問うた作家である石牟礼道子氏が亡くなりました。
 水俣病患者の声を、自然からの叫びを「苦海浄土」(くがいじょうど)という壮大な叙事詩にまとめ上げた人物です。

 もう一度水俣病を見つめ直すよい機会と感じ、録り溜めておいたTV番組の中から、新潟水俣病のドキュメンタリーを視聴しました。

 水俣病は工場廃水に含まれていた有機水銀による中毒です。
 しかし、高度経済成長期の日本においては、その責任を企業も日本政府もなかなか認めたがりませんでした。
 健康を犠牲にして経済成長を優先する時代だったのです(原発事故の扱いを見ていると、今も変わらない?)。
 被害者は同情よりむしろ差別を受けるという悲しい現実がそこにあり、名乗り出て患者申請することさえ躊躇されるような雰囲気もありました。
 人間はこのような過ちを繰り返してきたのですね。
 そこに“歴史を見つめる”意味があるのでしょう。

※ 下線は私が引きました。

■ “病の姿”が見えない ~新潟水俣病の50年~
2015年6月4日:NHK
◇ 水俣病と認めて欲しい 認定審査を待つ人々
阿賀野川中流の新潟県阿賀町です。
神田三一さんです。
手足のしびれやめまいなど、水俣病特有の症状を抱えています。
特に深刻なのが手の震え。
物をうまくつかむことができません。
視野も狭く、周囲の様子が分かりづらいといいます。
「(視野は)これが精いっぱい、ここから上は見えない。
なんともしょうがない。」

三一さんの兄、栄さんも水俣病の症状を抱えています。
2人はこれまで、国の救済策などに名乗り出ることはありませんでした。
水俣病に苦しみ亡くなった父親が、周囲から偏見の目を向けられていたのを見てきたからです。
しかし80代後半を迎え、生きているうちに水俣病と認めてほしいと、一昨年(2013年)新潟県に認定審査の申請をしました。
「認定されなければ、いつまでたっても解決のめどはたたないわけだから。」

◇ 水俣病 認定審査 新たな指針
去年(2014年)、国は新たな通知を出し審査の指針を示しました。
これまでほぼ認定されなかった、1つの症状しかない人でも、有機水銀に汚染された魚を食べたこととの因果関係が認められれば認定できるとしたのです。
しかし、「できるだけ客観的な資料で裏付ける必要がある」ともされました。



◇ “新潟システム” 救済の道は開かれるか
今、新潟で認定審査の結果を待つ人は、113人。
国の通知に対し、県は独自の方法を取り入れた認定審査を始めています。
これまで主に医師が行ってきた審査に、水俣病に詳しい弁護士や研究者を新たに参考人として加えることにしたのです。
従来は、手足のしびれなど水俣病の症状を調べる医学面の審査が重視されてきました。
新しい仕組みでは、専門家の視点を生かし、疫学面の審査を重視することにしたのです。
当時の資料がなくても、汚染された魚の流通ルートなどを参考人の意見をもとに丁寧に調べることで幅広く救済の可能性を探ることにしました。

新潟県生活衛生課 藤田伸一課長
「当時の状況ですとか、魚の関係であれば専門的な知識等を補充していただいて、きちっと解明できるという部分で近づければと考えています。」

参考人の1人、坂東克彦弁護士です。
長年、患者側の立場で訴訟に関わってきました。
坂東克彦弁護士「新潟第1次訴訟の原告の診断書です。」
坂東さんは疫学面の調査をするにあたって、50年という歳月の壁を痛感しています。
魚を入手した人の名前や居住地運搬方法や調理法など50項目以上からなる細かな調査。

坂東克彦弁護士「大正11年生まれの方で93歳。」
しかし、高齢の申請者の中には記憶があいまいになってしまっている人も多く、詳しく思い出せない人もいます。
申請者に残された時間が少なくなる中、それでもできるだけ救済につなげていきたいと坂東さんは考えています。

坂東克彦弁護士「取り残すことのないようにね、これが最後の機会だと思ってますから。
精いっぱい落ちのないように、きちっとして仕事を進めていきたいと思っています。」

偏見を恐れ、一昨年ようやく認定申請を行うことができた神田栄さんと三一さんも、2か月前に詳しい調査を受けました。
当時、食べていた魚の種類や量など、思い出せることのすべてを伝えたといいます。
日々、体調の悪化を感じる2人。
一日でも早く水俣病と認められることを待ち望んでいます。
神田栄さん(87)
「認定申請する以上は認定に結びついてほしいなと思いますけど、結果はどうなるのかですね。」

◇ 立ちはだかる“年齢の壁”
認定申請をしている113人の中には、若い世代の人もいます。
佐藤美穂さん(仮名)、45歳です。
子どもの頃から手足の感覚が鈍く、痛みや熱さに気付くことができないといいます。

佐藤美穂さん(仮名・45)
「この親指のところにビール瓶の破片が刺さっていても何かあるなというくらいで、見たら血が、だーと出て、ああというときもあって。」
昭和45年に生まれた佐藤さんが水俣病と認定されるには、厳しい壁があります。
去年、示された国の通知にはあるただし書きが添えられていたからです。
「阿賀野川流域では昭和41年以降水俣病が発生する可能性のあるレベルの水銀汚染はなくなった」という趣旨の指針が書かれていたのです。
阿賀野川沿いの、多くの患者を出した集落で生まれ育った佐藤さん。
漁師の親戚からもらう魚を食べて育ちました。
当時、自治体は行政指導で魚を食べることを抑制していましたが、集落にその指導は十分に行き渡っていなかったといいます。
さらに、佐藤さんの母親の晴子さん(仮名)も、長年水俣病の症状を抱えてきました。
水俣病患者を長年見てきた佐藤さんの主治医は、母体を通じて水銀の影響を受けた可能性もあると指摘しています。

母 晴子さん(仮名)
「私にすれば、母乳飲ませて、(魚で)離乳食たべさせたからなったのかなと。
負い目がありますよ、悪かったかなっていう。」
新潟の新たな認定審査では、家族の症状も親戚に至るまで詳しく調査されます。
佐藤さんは壁を越えられるのではないかと、いちるの期待を寄せています。

佐藤美穂さん(仮名・45)
「期待はありますね。現に(魚を)食べてるから、食べて今回こういうことになってるから。
だから何年までとか言わないで、とにかく調べるだけ調べて、年齢言わないで調べてほしい。」

◇ 水俣病 見過ごされた“被害”
発生から半世紀以上たっても被害を訴える人が後を絶たない水俣病。
埋もれた被害がまだあるのではないかと指摘する研究者もいます。
岡山大学の頼藤貴志准教授です。
頼藤さんは、母親の胎内で水銀の被害を受けた胎児性水俣病の研究をしています。
水俣病の確認後、しばらくたってから明らかになった胎児性の被害。
成人と比べ、重症化するケースも少なくありませんでした。
頼藤さんが注目するのが、胎児期に比較的低い濃度の汚染を受けた人々の実態です。
高濃度汚染の基準とされる、へその緒の水銀値1ppm。
それを下回る人を中心に調査を行いました。
これまで水俣病の症状としてはあまり顧みられてこなかった、認知機能について調べることにしたのです。
その結果、多くの項目で、一般の人に比べ認知機能が2割ほど低下していることが明らかになりました。
胎児期に水銀の影響を受けることで、脳の機能が広範囲に傷ついたことが原因だと頼藤さんは考えています。

岡山大学 頼藤貴志准教授
「中低濃度の汚染を受けてきた人、生まれつきもしかしたらこれが自分の普通なのかなと思って生きてこられる人がいるんじゃないかと思うんです。
それは外見上わからないですし、そういう人は見過ごされてきたんじゃないかと思います。」

熊本県水俣市の緒方博文さんです。
82歳の母親も、水俣病の症状に苦しんでいます。
緒方さんはいつも欠かさずノートを持ち歩いています。
幼い頃から物を記憶することが苦手だったため、聞き取ったことをすぐ書き留めないと混乱してしまうからです。

緒方博文さん
「パーと書きますね、そんとき。そうせんと忘れるから。覚えとっても、あれどやったかねって自信なくなるから、必ずそれは書きます。」

手足のしびれや頭痛などの症状を抱え、10年前認定申請をした緒方さん。
しかし、これまで自分の認知機能と水俣病の症状を結び付けて考えたことはありませんでした。
緒方さんは、水俣病の新たな知見が見つかれば、補償や対策にそれを取り入れてほしいと考えています。

緒方博文さん
「本気で救済する気があったら、とことん水俣病を検査して調査して、どんな実態か明らかにするのが当たり前だと思う。
最新の医学的、科学的データに基づいて、患者さんをできるだけ救済するという方向に持っていかんと、これはいつまでも解決しない。」

◇ 水俣病 見過ごされたデータ
さらに、新潟水俣病に関してあるデータが埋もれていたことも近年の研究で分かってきました。
毛髪に含まれる水銀の値を示すデータです。
WHOはこの毛髪水銀値に関して、50ppmを成人で神経症状の出現が疑われる最小値としています。
新潟青陵大学の丸山公男教授は、新潟水俣病発生当初に神経症状を発した103人の毛髪水銀値を改めて調査しました。
すると、半数近くの人が50ppmに満たない値で発症していたことが明らかになったのです。
丸山教授は、被害を埋もれさせないためにも基準を見直すべきだと指摘します。

新潟青陵大学 丸山公男教授
「一番新しい知見に基づいて、科学的な根拠に基づいた基準を考えていくべきだろうと思います。」

◇ “病の姿”が見えない 新潟水俣病の50年

ゲスト尾崎寛直さん(東京経済大学准教授)

●新潟は独自の方法で臨もうとしているが、救済はこれで広がるか?
今回の新通知を受けて、より疫学的な資料を重視しようという流れの中で、参考人制度が入ったと。
今までの認定審査会自体が、行政が指定した医師によって構成されて、どういう審査が行われたのかということが非公開で、ある意味でブラックボックスだったわけですね。
そこに患者さんのことをよく知ってる、水俣病などのこともよく知っている弁護士や医者が入るということは、今までのそうした不透明な問題を1つ変える第一歩にはなるだろうとは思っています。

●なぜ50年たっても声を上げることができなかった人々がいるのか?
1つはやはり、今までの認定制度のハードルが高すぎたっていう部分があると思います。
認定されればいいけれども、もし却下されたら偽患者だという差別を恐れると。
そういうこと自体が患者さんの被害を訴える気持ちをなえさせて、ちゅうちょさせる、そういう側面はあったと思います。
(なぜ、そのハードルをかなり高く設定した?)
典型的なのは、昭和52年の判断基準なわけですけれども、やはり国としては、いつまでも被害者が出続けると、加害企業の財源が破綻するんじゃないかという心配があったんだろうと思います。
ですから、あるところで、その財源を前提に線引きをすると。
そのために認定基準を作って患者さんを振り分けると、そういうようなことを考えたんじゃないかというふうに思います。
(被害者の視点に立っていないアプローチだと思うが、今では加害企業の懐具合という視点では考えないのでは?)
そうですね。
加害企業の財源によって、救済される人とされない人が出てしまうというのは、これはあってはいけないことだと思います。
今の拡大生産者責任だとか、そういう流れの中では、やはり単純に直接の加害企業だけではなくて、その材料を使って製品を作った企業であるとか、それに融資をした金融機関であるとか、さまざまな関係主体というものが実際にはあるわけですから、そこまで幅広く網をかけて補償の責任を負ってもらうということは、あってもいいんじゃないかなというふうに思います。

●胎児期に低濃度の水銀に汚染された影響、どの程度分かっている?
やはり、今のVTRにもありましたように、長期微量汚染の健康影響ということは、実際にはまだ解明されてないところがたくさんあると思います。
やはり今までの水俣病ということ自体が、重度の方々を基準に考えられ、認定制度が作られてきたということがありますので、本当のところは、そうした長期微量汚染の影響はどこまであるのかというのは、もっとやはり最新の知見を取り入れて、被害者の実態を直視して考えなきゃいけないことだと思います。

●昭和41年という線引きも1つの基準として出ているようだが?
実際には、その昭和41年以降も決して汚染が終わったわけではなくて、濃度が低くはなっていくんですけれども、決してなくなったわけじゃないと。
そういう意味では、暴露も高濃度ではないけれども、中程度、軽度の暴露を受けてる方々が次々出ているのは事実ですから、そういう方々の実態に合わせた水俣病の考え方というものを、ちゃんと作っていかないといけないと思います。

●水俣病の50年とは?
もしひと言で言うならば、何が水俣病なのかということを巡って、その水俣病の病像を巡って争いが続いた50年だったと言っていいと思います。
そしてその何が水俣病なのかということを国が握ってきたわけですから、結局、実際に健康調査だとか、健康診断を地域全体に行ってないわけですから、どのくらいその広がりがあるのか、そして症状のバラエティーがどんな形であるのかということは、やはり正確に解明されていないと言っていいと思います。

●救済を急ぐ方策はある?
そうですね。
実際には認定制度で認定を勝ち取るまでに、10年、20年かかってる方がおられます。
やはりそこまでの時間と労力ということは、今の高齢の患者さんには非常に負担だと思います。
そういう意味ではもっと、ある程度の客観的な資料を前提に、迅速に救済を受けられるような仕組みを作っていくということも考えられていいと思います。
(誰が、どうやってスピーディーに認定する?)
そうですね、やはり今まで認定を行っていた判断権者が国だったわけですけれども、結局今までは、その加害者性を認定された国が続けるということで来たわけですが、それはもう今後はできないんじゃないかと、もっとそういうものを、例えば裁判所だとかですね、第三者に委ねる形で、客観的に公平に審査をしていくような仕組みを作らなきゃいけないと思います。

●水俣という名前は世界に広がっている 今、何をすべき?
やはり日本語名が付いた、人類初めての病ですから、これは日本人自身が解決をしなきゃいけない問題ですし、国もそういう方向で研究を進めていく責務があると思います。
(被害者へのきめ細かな救済というのも改めて問われる?)
そうですね、介護や医療以外のサポートもしていかなきゃいけないと思います。

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