世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

史実「戦火の馬」

2018-07-28 11:20:16 | 日記
史実「戦火の馬」
NHK-BS 世界のドキュメンタリー2014年12月放送(初回放送2012年8月)

原題:War Horse: The Real Story
制作:Testimony Films (イギリス 2012年)



1914〜1918年、ヨーロッパの覇権を争う戦争が勃発しました。
第一次世界大戦です。

その当時はどんな兵器が使われていたのでしょう。
初期にはライフル銃を抱えた歩兵、剣を携えた騎兵隊が中心で、それから機関銃を装備した部隊。
機関銃は別格としても、まだヒトvsヒトの戦いだったのですね。

終盤になると、近代兵器の代表である戦車と戦闘機が登場しました。
ジブリアニメの「紅の豚」はこの頃を描いた作品です。
しかし、道なき道を行く戦地では、まだまだ騎兵隊のポジションがありました。

この番組は、戦争で活躍したイギリスの馬の起承転結を紹介する内容です。

戦争が始まったときは、軍が所有する馬の数は少なく、圧倒的に足りませんでした。
兵士の勧誘とともに、国中に軍馬の招集をかけ、2週間で2万5000頭の馬をかき集めたそうです。

その馬は、ほとんどが農耕馬。
もちろん、戦争体験どころか、訓練されたこともありません。

ヨーロッパの戦場へ行くためには船に乗せて運ぶ必要があります。
海も船も見たことのない馬たちは、怖じ気づいて動こうとせず、クレーンで引き上げたりしたそうです。

そしてヨーロッパ戦線にたどり着くと、銃弾が飛び交う中で敵に突撃するのです。
農耕馬として育った馬たちには過酷な経験だったことでしょう。
戦士とともに戦火をくぐる中で、ヒトと馬は信頼関係で結ばれ、特に戦士にとっての馬は“癒やし効果”もあったと紹介されました。

軍馬のうち騎兵隊にいたのは全体の2%で、残りの98%は輸送用の馬車を引いていたそうです。
騎兵隊の馬の中でもシーリー将軍の乗るウォリアーという馬は、“生まれながらの軍馬”という勇猛な資質を備えたサラブレッドでした。
どんな場面でも怯むことなく、勇敢に敵の陣地に攻め込み、味方の馬たちを奮い立たせて戦勝を上げ、それが「戦火の馬」として映画化されたのですね。

第一次世界大戦が終了すると、軍馬の役割も終えました。
馬たちのその後の運命は如何に?

イギリスに戻れた馬はほんの一部で、多くはフランスとベルギーに農耕馬として売られました。
元の生活に戻れて何より。
しかし、一部は殺処分されて食肉として売られ、戦争費用に充てられたという悲しい現実も明かされました。

シーリーの乗るウォリアーの消息は?
・・・めでたく帰還し、故郷の草原と海辺を走って過ごし、寿命を全うできたそうです。
番組には、美談の裏には犠牲になったたくさんの馬たちがいたことを覚えておいて欲しいというメッセージが込められていました。

今は2018年、第一次世界大戦が終了した1918年から100年が経ちました。
戦争はヒトvsヒトで戦うことはほとんどなくなり、ロケット弾や空爆、化学兵器、核兵器など、いわゆる“大量破壊兵器”のオンパレード。
民間人を巻き込むと世界から非難されますが、先頭になってそれを言うのが、“原爆”投下で一番民間人を大量殺戮したアメリカなのが歴史の皮肉ですね。

内容紹介
映画「戦火の馬」で描かれた第一次世界大戦の時代、戦場に駆り出された馬と兵士たちが体験した現実を、アーカイブ映像と歴史資料、そして元兵士たち自身の証言で綴る。
1914年、イギリス軍は国中から馬を接収し、ヨーロッパ大陸の戦線に送り込んだ。しかし、兵器が近代化していく中、近代兵器が主力になり、敵の機関銃による攻撃にさらされた騎兵隊は多くの犠牲をはらうことになった。
その後の苦戦が続く中、馬たちは前線に食料や弾薬を運ぶため、砲弾が飛び交う戦場をひたすら歩き続けた。死と隣り合わせの日々、馬と兵士たちの間にはいつしか絆が生まれたと元兵士は語る。
1918年春、騎兵隊が突破口を開き、ついにイギリス軍を勝利へと導く。しかし、馬たちの悲劇は終わらなかった。終戦時にイギリス軍が所有していた75万頭の馬の大半は、農耕馬としてフランスの農家に売られたり、食料にされたりしたのだ。故郷イギリスに戻った馬は10万頭に満たなかった。知られざる史実を紐解いていく。

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