新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

閉鎖的な組織からどうすればイジメがなくせるのか

2023年11月19日 11時38分06秒 | マスメディア

いまさら 創価学会名誉会の池田大作が 95歳老衰で氏が死去というニュースが昨日流れていたが、巷ではむしろ「まだ生きていのか?!」という声の方が多かったのではないか。
 
もちろん創価学会の関係者は「創価学会 原田会長『深い悲しみ』 HPで談話発表」したらしいのだが、SNSで「池田大作氏のご逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました。ここに謹んでご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々、および、ご関係の方々に対し、衷心より哀悼の意を表します」と投稿した岸田文雄は、政教分離に反するのではという声も聞こえてくる。
 


 
池田大作についてはかなり以前から様々な噂が飛び交い、20年ほどまえから重病でもう長くはない」という話をよく聞いた記憶がある。
 
少々古いがあくまでも噂なので、そんな噂を時間かけて丹念に調べてくれた人がいた。   

池田大作の現在は死んでる?嫁や息子・資産・今の状況など総まとめ」 
 
中身は長いので結論だけを列挙しておく。 
 

【創価学会】池田大作について総まとめすると…
・池田大作は1960年に3代目会長に就任し創価学会を巨大組織に変貌させた
・池田大作は1952年に知人の妹だった香峯子さんと結婚した
・池田大作に子供は息子が3人おり、次男は29歳の若さで病死している
・池田大作の総資産は不明だが、2002年のデータでは納税額1億2774万円(年収3億5000万円前後)である
・池田大作の自宅は創価学会第二別館を自宅代わりに利用していると噂されている
・池田大作は2010年から表舞台から姿を消し死亡説も浮上、実際は脳梗塞の後遺症で認知症となり車いす生活をしている

 
スポーツ取材のみならず構成作家としてワイドショーなどを担当している神宮寺 慎之介が最近明らかになった「宝塚音楽学校いじめ事件」に関して、実は15年前からその体質は変わってないという記事を発表していた。
 
15年前の「宝塚音楽学校いじめ事件」、追及できなかった記者の悔恨(1)
「いじめの事実はない」とする宝塚の体質、なにも変わっていなかった

 
■「いじめ」を頑なに否定
 11月14日、宝塚歌劇団の木場健之理事長らが記者会見を開いた。劇団員のAさん(25歳)が9月末に自ら命を絶ったとみられている件に関し、外部の弁護士による調査チームの報告書がまとまったことを受けての会見である。
 この会見で木場理事長は、長時間に及ぶ活動などに対する歌劇団側の管理責任を認めて謝罪をしつつ、週刊文春が中心となって報じてきた上級生によるいじめ・パワハラについては否定した。
 同日、Aさんの遺族側弁護士も会見を開き、いじめ・パワハラを否定したことについて「事実認定と評価は失当だ」と宝塚側の主張を批判した。
 しかし筆者は、宝塚側が「いじめの事実がありました」などと謝罪することはないと確信していたし、そのような報告書が上がってくるとも思っていなかった。
 なぜなら筆者は2009年から10年にかけて、宝塚音楽学校内で起きた陰湿ないじめ事件を取材した経験があり、このとき宝塚音楽学校や歌劇団内のいじめが起きやすい体質、そして問題が起こっても問題の根本を改めようとせず、全力で隠ぺい工作に走る宝塚の構造を目の当たりにしたからである。
 ただ当時は、宝塚側の堅いガード、そして何よりいじめの被害者側がタイミング的に記事化を望まなかったこともあり、世間にむけて宝塚の実態を明らかにすることができなかった。そして、もしあの時、記事にできていれば、今回のAさんの事故は起こらなかったかも知れない。そう思うと忸怩たる思いがある。
 その懺悔の意味も込めて、当時、筆者が取材した内容をここに明らかにすることにする。
■宝塚音楽学校96期の壮絶ないじめ事件
「私の知人が宝塚に入ったんですけど、寮内でひどいいじめに遭ってしまっているみたいなんです。なんとか助けてあげられないですか」
 盛岡市在住の知人から、週刊誌の記者をしていた筆者の元にそんな相談の電話があったのは2008年12月のことだった。知人から聞くいじめの内容と宝塚音楽学校の対応は信じられないものだった。筆者はすぐ盛岡に向かい、知人から詳しく話を聞くことにした。
 宝塚の華麗なステージに立つには、ご存じのようにまず宝塚音楽学校へ入学しなければならない。定員は毎年40人と決まっており、08年3月の試験では854人が応募していた。倍率は21.35倍という狭き門である。
 Sさんは頭脳明晰で、市内の県立進学高校に進んでいた。その一方で、幼いころからバレエ教室に通っており、高校進学後は宝塚歌劇団に憧れを抱くようにもなっていた。身長は172センチ、誰もがハッとするような美人でもあった。宝塚への憧れが日に日に強くなったSさんは、高校1年生の時に宝塚音楽学校を受験、見事合格を勝ち取った。合格の一報は地元紙でも記事になった。美貌と長身を持つSさんだけに、「将来はトップスターになるのでは」と地元の人々から期待されていたという。
 高校を中退し、宝塚へ向かったSさんは、96期生として晴れて憧れの宝塚音楽学校に入学した。自宅から通学できる生徒以外は、学校が運営する「すみれ寮」から通学するのが決まりになっている。Sさんもすみれ寮に入寮した。そこから学校に通い、予科(1年生)と本科(2年生)、計2年のレッスンを経て卒業すると、宝塚歌劇団員となり、ステージに立つ一歩となるワケである。
■「すみれ売り」での出来事
 最初の“事件”は5月に起きた。
 宝塚音楽学校では、5月の日曜日に2度、予科生・本科生がそれぞれ、公演の開演時間前に宝塚大劇場にて、「すみれ募金」と称し、難病の子どもたちを支援のための募金活動を行うのが恒例となっている。
 音楽学校の生徒が袴姿で一堂に会し、募金に協力してくれた人にすみれの造花を配ることから「すみれ売り」とも称される伝統行事だ。ファンにとっては、初々しい将来のタカラジェンヌと間近に接することができる貴重な機会にもなっている。
 このすみれ募金でSさんは、ファンからの熱い注目を浴びたという。一部のファンがネット上に「Sさんが一番綺麗だね」と書き込んだようで、それに嫉妬した同期生からのいじめが始まった。
 もともと音楽学校を受験する生徒の大半は、関西在住者、次いで東京を中心とする首都圏在住者が中心だ。そうしたなか、岩手出身のSさんは稀有な存在だった。そこに妬みが絡まり、いじめが始まったようだ。
 すみれ売りを機に、Sさんは寮内で「存在を消して」「死ねばいいのに」「私の視界に入るな」といった雑言を受けるようになった。
悩んだSさんは上級生にこのことを相談したのだが、これが火に油を注ぐ結果となってしまった。上級生に相談したことがいじめの加害者たちに伝わると、「チクった」とさらにいじめがエスカレートする。事態は悪い方へ転がってしまった。
■不意のテレビ取材
 次の“事件”は、Sさんが岩手に帰郷した8月に起こった。
 岩手出身の元タカラジェンヌに、戦前・戦中に宝塚をはじめ退団後も舞台・映画で活躍した女優の園井恵子(1913~1945)がいる。1943年公開の『無法松の一生』では主演・坂東妻三郎の相手役を演じ、大いに注目された。
 その園井は45年8月、舞台公演のために訪れた広島市で被爆し、敗戦直後の8月21日に息を引き取った。女優としてさらなる飛躍が期待されていた矢先の死だった。もし生きていれば、その後、日本を代表する女優の一人となっていたかも知れないほどの役者で、その悲劇的死もあって地元・岩手では伝説的人物でもある。
 Sさんが岩手に帰郷した際、ちょうど園井恵子の恒例の法要が予定されていた。地元出身の宝塚音楽学校在校生が帰省しているということで、関係者からSさんに法要への出席依頼があった。これに気持ちよく応じたSさんだったが、会場に着くと、取材にきていた地元のテレビ局にマイクとカメラを向けられた。
 Sさんは「(園井さんのことは)宝塚の先輩として尊敬しています。同郷の後輩をお守りください」と模範的な受け答えをした。この映像はニュースとして流れ、またテレビ局のウェブサイトにもアップされた。
 それが音楽学校の同期生の目に止まったことで、大騒ぎとなった。
 宝塚音楽学校の決まりでは、テレビに出るときには事前に許可を取らなければいけないことになっており、その際の服装(制服着用)や髪形も細かく決められている。ところがSさんはその規則に違反しているとして、音楽学校に戻ると同級生に吊るしあげられたのだ。
 帰省前のSさんは法要に出席する予定はなかったが、岩手に帰ってから支援者の頼みを受けて出席しただけだった。またテレビ局の取材が来ることも知らされておらず、そのため服装や髪形も学校で決められたスタイルではなかった。
 学校にはそのように抗弁したが、Sさんは反省文を提出させられた。そしてこの一件は、後に重大な処分の理由のひとつとされてしまうのだった。
■仕組まれた万引き事件
 その後、同級生によるSさんへのいじめは、次第に犯罪の域にまで達していった。
「Sさんがコンビニでおにぎりやジュースを万引きしました」
 音楽学校の生徒から学校にそのような報告が上がった。学校帰りに近くのコンビニに立ち寄ったSさんの行動を“監視”していた同級生からの報告だった。Sさんの部屋からは、万引きしたと思われるおにぎりとジュースが発見されたが、Sさんには全く身に覚えがなかった。後に判明するが、これらの品物は、同級生がこっそり持ち込んだものだった。
「私はやっていません。(コンビニ内の)防犯カメラで確認して下さい」
 Sさんは学校側に対しこのように主張したが、学校側はコンビニに対しそのような依頼もせず、ましてや警察にも相談をせず、Sさんを万引き犯と決めつけた。たいへんな人権侵害だが、Sさんは事件を公にすることはせずにじっと堪えた。事を公にすると音楽学校にいられなくなるかも知れないと恐れていたのだろう。
■濡れ衣で退学処分
 Sさんへのバッシングはまだ続いた。“万引き事件”直後の08年11月には、劇場内に落ちていた財布を拾ったSさんが、これを届けることなく9日間自室で放置していたという事件も作られた。
 確かにSさんは財布を拾った。現金は入っていなかった。ただSさんは、独断で警察に届ければ新たないじめの口実になるかもしれないと判断し、信頼できる上級生に相談するまでの数日間、自室で保管していた。それを同級生にチクられてしまったというのが事の真相だった。
 だが学校側は財布を拾ったSさんが現金をネコババしたものと判断、しかも財布は観客のかばんに入っていたものを盗んだ、としたのである。
 Sさんは学校側の聴取に際し、こう反論した。
「私は盗んでいませんし、拾った時には現金は入っていませんでした。もし盗んだ犯人だとしたら部屋に財布を置かずに、すぐどこかに捨てるんじゃないですか?」
 筆者には真っ当な主張に聞こえるが、学校側はその反論を受け入れることはなかった。そして、あろうことか、その前の万引き事件を理由にSさんを退学処分としたのである。
 問題の財布は警察に届けられ、落とし主が分かったのにもかかわらず、学校側は落とし主から事情を聴くこともしなかった。
 さらに、後にSさんと音楽学校は裁判になるが、その裁判の中で、財布の持ち主は「Sさんに盗まれてはいません」と主張している。学校側の思い込みが間違っていたことが明白になっている――。
■「記事にはしないでください」
 筆者はSさんを巡るこうした過酷な実態を、盛岡在住の知人から詳しく聞いた。すぐには信じることはできなかったので、当事者であるSさんやその家族、そして宝塚音楽学校に真偽を確かめなければならない。
 だがSさんの父親からは「記事にはしないで下さい」と懇願された。
 盛岡市の中心部から車で20分程度離れた場所にあるSさんの実家を訪ねると、玄関口に現れた父親は困惑の表情を浮かべ、こう言葉を継いだのだ。
「本当に申し訳ありませんが、取材に答えることは勘弁していただけませんか。今は係争中であってそれに影響することは避けたいんです。娘の将来にかかわる大事なことですから……」
 知っていることを記事にすることは可能ではあるが、このように父親から言われてしまえば控えるしかない、と当時の筆者は思ったのだ。
 無論音楽学校に対しても取材を試みたが、
「その件に対してコメントは差し控えさせていただきます。いじめはなかったと認識していますから」
 と、木で鼻を括ったような返答がくるだけであり、具体的な質問さえ遮られる状況だったのである。
 筆者が取材を始めた時には、ちょうどSさんと音楽学校との間で係争が始まっていた。調べた事実を元に記事にすることも不可能ではなかったが、学校と争うSさん側が不利になるようなことにはしたくなかったので、この時はひとまず記事化を諦め、取材を継続することにした。
■法廷闘争へ
 さて、退学処分を受けたSさん側は「退学処分は無効である」として神戸地裁に対して仮処分を申し立て、これが2009年1月6日に認められた。
 ところが学校側はそれからすぐに2度目の退学処分を決定し、Sさん側に通知してきたのである。これも無効であるとSさん側は裁判所に訴え、3月に再度「無効」の仮処分が決定した。

 すると学校側はこの決定に対し不服の申し立てを大阪高裁に行う。だが、やはり裁判所は学校側の主張を容れなかった。
 その執拗な行動をみると、もはや学校側はSさんの退学処分の事柄の正否はどうでもよく、Sさんを退学させたいだけのようだった。その後も取材を続けていた筆者も、世間一般の常識が宝塚では通らないのかと改めて驚くばかりだった。
 その後2009年11月、Sさん側は学校を相手に、Sさんの地位保全と1000万円の損害賠償を求める訴えを神戸地裁に起こす。ついに裁判で、Sさんに対するいじめの実態が明らかにされることになったのだ。
 このころになると、Sさんに対するいじめ問題は、一部のメディアや熱心な宝塚ファンにも知られることとなる。週刊誌の記事でも取り上げられた。
■同級生から手渡された注意書き
 裁判では、いじめの加害側とされる同期生が証人として出廷した。そこで彼女がSさんに手渡したあるメモが明らかにされたのである。修学旅行を欠席し、岩手に帰省するSさんへの注意事項が綴られたものだ。
 それは以下のようなものだ。

***

・お店に入ってはいけない(コンビニもだめです)
・外食をしてはいけない
・新幹線、飛行機で寝てはいけない
・出された飲み物を飲んではいけない
・音楽を聴くのもだめ、ブランケットとかも使わない。雑誌、本もだめ
・携帯を使用してはいけない(緊急時はトイレの個室から)
・帽子は建物の中では取る。外を歩く時は必ず被る(暑くても外で絶対脱いじゃだめ)
・取材を受けちゃだめ(学校の許可を取っても受けないで)
・寮に荷物を送るのは30日指定。制服で帰ってきて
岩手についても絶対守ってください。
気を緩めていいのは「ただいま」って家に入ってから。
特に盛岡ではあなたは有名人です。
これ以上、悪名売らないでね。
秋休みゆっくり休んで、色々、同期の事とか考えてきて下さい。
この紙、常に持ち歩いて、守って!
***

 帰省に際してはコンビニにも入るな、外食もするな、音楽を聞くな、雑誌を読むな、これ以上悪名を売るな――。「宝塚音楽学校の生徒らしく」というつもりなのかも知れないが、これほど事細かに行動規制を同級生が指示するというのは異常だ。Sさんが同級生からかけられていたプレッシャーの重さは想像以上だった。
 裁判官も驚いていたようだ。メモを渡したという証人に対し、「あなた自身は実家に帰省するとき、これを守っているのか?」と尋問したほどであった。
 また前述のように、裁判では、“財布事件”の落とし主が「Sさんに盗まれてはいません」と証言している。学校側が、いじめの加害者たちの言い分を鵜呑みにした実態も明らかになった。
 結局この裁判は2010年7月に学校側とSさん側で調停が成立した。骨子は、学校はSさんの卒業は認めるが、Sさん側は宝塚歌劇団への入団を求めないという内容であった。これでSさんが宝塚のステージに立つという夢は完全に断たれることとなった。
 Sさん側がこの内容で十分に納得していたかどうかは不明だが、大きな組織を相手に法廷闘争を続けるのはさぞ大変なことだったのだろう。こうしてSさんは失意のうちに宝塚を去った。
 逆に学校側は、Sさんを体よく宝塚から追い出すことに成功した。ただ、裁判の過程が一部の週刊誌などで報道されたことで、多くの宝塚ファンは学校の対応に不信感を募らせることにもなった。
■15年前から宝塚の体質は変わっていない
 今年9月末に亡くなった宝塚歌劇団の団員Aさんの事件によって、改めて宝塚歌劇団と音楽学校の体質に世間の注目が集まっている。
 過去にSさんの事件を取材し、Aさんの事件を受けて宝塚歌劇団の木場健之理事長の会見を見た筆者が痛感するのは、宝塚の体質は何も変わっていないということだ。劇団側は形の上では謝ってみせているが、内心は、この苦境が過ぎていくのを待つだけの作戦をとっているようにも見える。
「宝塚にはいじめはない」「いじめの事実は確認できない」という態度を貫き、音楽学校や歌劇団に在籍する多数の生徒・団員のことを守ろうとするが、たとえ本人に非がなくとも、そこから弾かれた者へ手を差し伸べようとはしない。ひたすら「タカラヅカ」のブランドイメージを守ることを最優先にしているように見えるのだ。
 宝塚には熱狂的なファンが多いだけに、ブランドイメージを常に維持することは確かに最重要課題なのだろう。上級生から下級生への厳しい指導や厳格なルールもそのためにはある程度、必要なのかもしれない。しかしその陰で、そのしわ寄せが一部の生徒や団員にきている可能性があることをあまりに軽視していると言わざるを得ない。
 冒頭でも述べたが、筆者は15年前、Sさんのいじめ問題の責任を記事を通じて追及することができなかった。Sさんの代理人弁護士にも何度も取材を続けたが、「守秘義務があるために答えられない」と拒否された。逆に弁護士から「なぜそんなに夢中になって取材をしているのか」と問われたことがある。それはこの実態を世間に知らしめると同時に、今後このような事件が起きないよう宝塚側に警鐘を鳴らすためだった。
 そのためSさんの同級生にも取材を試みたが、やはり応じてくれる生徒は一人もいなかった。生徒たちも学校側の悪しき体質に染まっていたということなのかも知れない。
 それでも、あの時なんとか文字にして、学校側を厳しく批判していたらSさんも夢を諦めることはなかったかも知れないし、さらには宝塚歌劇団の一員であるAさんが25歳という若さで亡くなることもなかったかもしれない。
 今回のAさんの事件を契機として、宝塚には本気でその体質を改める努力をしてもらいたい。いわれなき理由で組織から疎外されたり過度な責任を押し付けられたりしている者がいないか、そうした人たちへの救済や配慮は十分になされているのか。学校や劇団にはそのことを常に自問しながら生徒や劇団員を見つめてしてほしい。
 それができないようでは、自慢のタカラヅカブランドも、いつか崩壊する。いや、もしかしたらすでに崩壊への序章が始まっているのかも知れないが……。


 
どんな組織でも内部事情を外に知らされることは決して愉快なことではなく、一般企業はもちろんのことだが、とりわけ組織の面子に拘る昔からの古い体質を継続している組織では、内部の不祥事はことさら隠蔽するものである。
 
大きな権力組織の警察や自衛隊などはその典型なのだが、民間でも100年以上も続いている組織では、一般常識から外れた行為が平然と行われている。
 
旧ジャニーズ事務所の 破廉恥な事件も明るみに出て、世間の厳しい批判を浴び、予想以上のメディアからの制裁も受け始めている。
 
今まで関西の宝塚の女の園と言われた宝塚学校や歌劇団も決して例外ではないことが世間に知られ、「古き良き伝統」という言葉もこれからは見直す時代に入ってきたのではないだろうか、とオジサンは思う。    
 

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