西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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覚え書き:ミュッセ/シェークスピア

2017年05月11日 | 覚え書き
作品概観


ロマン派の寵児として出発したミュッセは、まず第一に詩人であった。初期の詩集『スペインとイタリアの物語』(1830)においてその才気は早くも十分に発揮されているが、ロマン派には必ずしも全面的に傾倒せず、たとえば長詩『ローラ』(1833)においては素朴さを追求し、過度の抒情にはしるロマン派から一定の距離をとった態度を見せている。しかしミュッセの詩作は、なによりもサンドとの恋愛による傷心を経て頂点に達する。破れた恋を回想する憂愁の詩人として書き上げた『夜』(1835-1837)、『思い出』(1841)などが、恋愛詩人としてのミュッセの名を不朽のものにしているのである。

戯曲
ミュッセはまた卓越した劇作家でもある。ミュッセの戯曲はロマン派のなかでもっともすぐれるとされ、とくに代表作『ロレンザッチョ』(1836)はフランス・ロマン主義演劇の最高傑作の名も高い。しかし、それらの傑作も発表当初は正当に評価されたとは言い難い。ミュッセは初期の『ヴェネチアの夜』(1830)の上演失敗を機に当時の観客の水準に失望し、「安楽椅子で見る芝居(Spectacle dans un fauteuil)」と称する、上演されないことを前提とした散文の戯曲を書きつづけた。『ロレンザッチョ』のほか、ミュッセが好んだ格言劇(le proverbe dramatique)の多くはこれに含まれるが、これらの真価が認められ始めたのは、ようやくミュッセの晩年や死後になってからであった。

小説
唯一の自伝的長編小説『世紀児の告白』(1836)のほか、ミュッセは晩年ちかく、それぞれ六編の中編小説と短編小説を書いた。詩や戯曲に比べると目立たない分野ではあるが、ここでも『二人の愛人』(1837)や『ミミ・パンソン』(1845)など、高く評価されている作品は少なくない。

  題名        刊年   文献        概要
詩  『夜』      1835-1837   文献5 詩人とミューズとの間に交わされる、恋と孤独をめぐる対話形式の詩。
   『思い出』       1841   文献5 かつての恋人ジョルジュ・サンドとの再会に啓示されて書かれた痛切な恋愛詩。
戯曲  『マリアンヌの気紛れ』 1833   文献4 貞淑な女性の気紛れが純朴な青年にもたらした悲運を緊密な構成で描く。
   『戯れに恋はすまじ』   1834  文献3 交錯する繊細な恋愛心理の綾を真摯に追求した格言劇の傑作。
   『バルブリーヌ』      1835 文献4 軽妙な恋のやりとりの中に女性の徳の勝利を讃えるミュッセ異色の戯曲。
中編小説 『二人の愛人』   1837   文献2 対照的な二人の女性の魅力と主人公の倦怠感が際立つ傑作中編小説。
『フレデリックとベルヌレット』 1838 文献1 パリのお針子と学生の、認められぬ恋の顛末を描いた小説。
短編小説  『白つぐみ物語』 1842 文献1 世に理解されない天才の憂鬱を風刺的に描写するコント。
      『ミミ・パンソン』 1845 文献1 軽薄だが情に厚いパリのお針子の性格を見事に浮き彫りにした名品。
『ほくろ』 1853 文献1 ルイ15世時代のヴェルサイユを舞台に宮廷の内実に迫る物語。

『マリアンヌの気紛れ』 Les Caprices de Marianne, 1833 岩波文庫, 1954 (加藤道夫)
<あらすじ]>
司法長官の妻マリアンヌに想いを寄せるセリオは、友人で司法長官のいとこであるオクターヴに仲立ちを頼む。もともと貞淑なマリアンヌは夫の執拗な猜疑心にあてつけるため気紛れにセリオとの密会を承諾するが、夫のクロゥディオは密会の現場を押さえるため剣客を雇っていた。そして逢い引きの場に現れたセリオに悲劇がふりかかる。

「戀と死だよ、オクターヴ、それがお互いに手をつなぎ合っているんだ。戀とは、此の地上で人間がめぐり逢うことの出来る最も素晴しい幸福の源泉だ。死は、あらゆる苦しみに、あらゆる不幸にけりをつけるものだ。」(セリオ、2幕2場、翻訳文献4、38ページ)

「貞節だとか誓約だとか、考えてみると随分おかしなものじゃありません?やれ娘の教育だとか、心の誇りだとか、そりゃ心というものは何かの価値があるものと思われてるけど、それも結局他人の尊敬を得たい一心に、まず自分で自分を尊敬し始めるってだけのことじゃないかしら?」
                           (マリアンヌ、2幕4場、翻訳文献4、44ページ)
心理 事件
恋の気紛れが不幸を招く、という結末をもつ点で『戯れに恋はすまじ』と共通する。ミュッセ自身はどちらの作品も喜劇と位置づけている。

読書日記
http://undertheironbridge69.seesaa.net/article/127361967.html

注)「マリアンヌの気紛れ」はシェークスピアの『ヴェローナのニ紳士』と非常に類似している。
in 「フランスに於けるシェイクスピア」岸田國士
https://books.google.co.jp/books?id=Hes4-kuEwDUC&pg=PP7&lpg=PP7&dq=%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%B0%97%E7%B4%9B%E3%82%8C&source=bl&ots=oBuDL3xXw1&sig=9DOlN0CZSWdE0GPRIlyoX8A79Cg&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiU0PHQ4vXTAhWBMJQKHXi9CuE4ChDoAQhMMAg#v=onepage&q=%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%B0%97%E7%B4%9B%E3%82%8C&f=false

「フランスに於けるシェイクスピア」岸田國士 
・シェイクスピアは、17世紀まではフランスでは知られていなかった。
・17s、二人の英国劇に通じた仏人がいた: 
 ーSaint-Aman と Sainte-Evremont=軽く触れている程度  専ら ベン・ジョンソンに傾倒
 ーNicolas Clément = 極めて生気に富んだ力強い作品を発表したが、粗野で残虐な部分があってフランス人の嗜好には適さない。
・18世紀、『マノン・レスコー』の作者、Abbé Prévostが, そのイギリス滞在中の感想記 "Le pour et le Contre" (1733)の中に書いている。
翌年、ヴォルテールVoltaire が矢継ぎ早にシェークスピアを絶賛する評論を発表。自分もシェークスピアを模した脚本を書き、その影響を受けていると告白。フランス人が関心をもつようになる。
Ducis :シェークスピアの翻案を次々と発表、舞台化される。 その後、17776年に Letourneur という人物が翻訳を完成。
Emile Faguet (1847 - 1916): ヴォルテールが大好きで彼を弁護した。ヴォルテールは、最初は革命家だったが数十年後には反動家に変貌した。

・19世紀 スタンダールの一大論文:『ラシーヌとシェークスピア』(1823):ラシーヌを批判、シェークスピアを称揚
1827年、イギリスのシェークスピア劇団がパリ上演。パリの演劇界や文壇にセンセーションを巻き起こした→これにより危機感を煽られたロマン主義の演劇革命が一層激しく行われた。
当時のロマン主義の詩人たちは、イギリスやドイツの詩に傾倒していた。A.ヴィニー:『オセロ』『ヴェニスの商人』を翻訳
ミュッセ:シェークピアに負うこと大。17才で文学者になる決心。
   1. 20才で始めての戯曲:『ヴェニスの夜』:エピグラフに『オセロ』の文言を挿入している。
2. 「マリアンヌの気紛れ」はシェークスピアの『ヴェローナのニ紳士』と非常に類似している。
3. ハムレットは、ミュッセのローレンスという人物と実によく似ている。

『椿姫』のデユマ・フィス『ハムレット』を翻案。これを当時の第一の悲劇俳優のMounnet Sullyが4回も上演したが、回を追う毎に立派な演技を披露した。
また、François Hugo という人間が、シェークスピア全集を翻訳している。

・20世紀 19世紀末の自然主義運動に押されやや影を潜めるが、再び盛り返す。
アントワーヌ座で『リヤ王』を上演。ピエール・ロチの翻案だった。これまではカットばかりだったが、原作通りに上演。大成功。2h50分の上演。これは、アントワーヌ一派、新劇、革新運動に携わっていた若者からは熱狂的に受け入れられた。が、古いアカデミックの批評家は、嘲笑した。:『リヤ王』はメロドラマにすぎないと言った(E.ファゲ)
・ジッド:シェークスピアを絶賛。
・ゲーテ:シェークスピアは眼前に神秘なものを展開してくれる

ーフランス人はシェークスピアを理解できるか?
シェークスピアの理解を妨げている2つのフランス人の性癖:1)不自然を嫌う 2)先ず分析してかかる
フランス人は明言しなければ承知しない わからない=自尊心を傷つける  

ーーー     
ミュッセ『バルブリーヌ』 [戯曲] Barberine, 1835 加藤道夫 (岩波文庫、1954)
[あらすじ] ハンガリーの女王に仕えるため王宮へ伺候した若きローゼンベルク男爵は、ボヘミアの貴族ユルリック伯爵の妻を軽率にも侮辱したことから、彼女の貞淑いかんをめぐって全財産をかける羽目になる。ローゼンベルクは伯爵の城を訪れ、留守をまもる妻バルブリーヌを誘惑するため手管を尽くすが、逆にバルブリーヌに手痛くあしらわれる。
宮廷に仕えようと美しい新妻と離れ離れになる騎士に、 別の若い騎士が新妻の貞節など自分の誘惑で奪えるとケンカを売り、 女王の立会いのもとで賭けを行う。
結局、新妻とその忠実な女奴隷の機転などによって 若い騎士は手痛い思いをし、女王が婦人の貞節の勝利を 高らかに宣言する。



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