友人がクリスチャン・ウォルフの音楽をコンサートで演奏したことがあり、そのときの音が、なぜかよみがえって聴こえた。
何年か経っています。
当時は強い感情ではなかった。
細やかで注意深い時間の流れが、とても確かだったのですが、
あまりにデリケートで、心が動いたと分からなかったのです。
だけれど、鼓膜には深く刻まれていたのでしょう。
たまに、そのようなことがあります。
そのようなことがあると、やはり、音を探し始めます。
たとえ沈黙のなかにあったとしても、耳を、神経の可能なかぎりを、きく、ということに傾けていくような、そういうことから、初めて熱が通いはじめる身体があるようにも思えます。
それから、たとえ音が鼓膜を震わせているときでも、本当に美しい音だと思える音ならば、その音の奥に、深い沈黙がひろがってゆくことがあります。
沈黙からはコトバが微かに始まっていきます。
そういう音に出会ったとき、身体もまた、ざわめきや主張を静かにして、新しい存在の仕方を探す準備を始めるような気がします。
Stage
Lesson
何年か経っています。
当時は強い感情ではなかった。
細やかで注意深い時間の流れが、とても確かだったのですが、
あまりにデリケートで、心が動いたと分からなかったのです。
だけれど、鼓膜には深く刻まれていたのでしょう。
たまに、そのようなことがあります。
そのようなことがあると、やはり、音を探し始めます。
たとえ沈黙のなかにあったとしても、耳を、神経の可能なかぎりを、きく、ということに傾けていくような、そういうことから、初めて熱が通いはじめる身体があるようにも思えます。
それから、たとえ音が鼓膜を震わせているときでも、本当に美しい音だと思える音ならば、その音の奥に、深い沈黙がひろがってゆくことがあります。
沈黙からはコトバが微かに始まっていきます。
そういう音に出会ったとき、身体もまた、ざわめきや主張を静かにして、新しい存在の仕方を探す準備を始めるような気がします。
Stage
Lesson