櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

ほびっと村学校『舞踏』クラス 報告12/25

2012-12-27 | レッスン・WSノート
舞踏クラスのあと、ゆっくり帰った。
なぜか、このクラスの後は、少しゆっくり歩きたくなる。時間が濃いからか、さまざまに試行錯誤される動作や踊りを注視して、感覚が冴えてしまうのか。ともかく、せわしないのがイヤになるし、しっかりと一人の時間を確保したくなるのだ。

このクラスは自由に踊る稽古だ。

きのうはサムルノリの高まるリズムに躰を馴染ませ、
そのあと気を鎮めて、瀧口修造のテキストからのインスピレーションを試した。

ひたすら床を踏みリズムに興じる人がいる。

眼を閉じて静かに心に聞く人がいる。

思いつくまま、動きを出し遊ぶ人がいる。

直感をじっと待ち、スタッと動いてはまた待つ人がいる。

いづれも、自分の時間に集中している。空気は濃い。
踊りのアトリエとも言える、透明な変化の時間。

リラックスして、解放して、リラックスして、解放して。

自由稽古の面白さ、というのは、ほとんどその時間の過ごしかた味わい方にあるのではないかと思う。

踊りの本来は、いま・ここ、に全てをやり切る事。

だから、自由に即興に、というのは基礎、と両輪の大切な時間である。
なんて言っても、最初から自由に踊れるわけがないのは勿論みな承知で集まっているから、じっさいには、何が出来るかわからないままに、デタラメをやり尽くすことから始まってゆくのだ。表現はいつも冒険、挑戦。

極めてベタな言い方をあえてするならば、表現に挑戦するからこそ、基礎稽古や手ほどきも生きる。

デッサンに対するドローイング、模倣に対する創造、テクニックに対するインスピレーション。

どちらが欠けても、ダンスの楽しみには届かない。

自由に動きたいから欲しくなるのが技術だし、技術を使いこなすことから自由も見えてくる。楽しむこと。磨くこと。その往復から、ダンスは現れる。
僕にはそう思えてならない。

カタチにイノチが追いすがる、イノチにカタチが追いすがる。

そんな命題が有名なのも、なるほどだ。

続けている人の稽古を見ていると、
私、なるものへの視野が変わってゆくのが良くわかる。
ワガママと自由のあいだにある、小さく大きな、歴然たる違い。肉体が、そこに向かってゆくベクトルが、見える。

動くということは、心を解放することだ。
心を解放するということは、開いて音やリズムや言葉や空間や様々つまりは「他」を受け入れるということ。
受け入れるということは、肯定するということ。
聴こえ、感触する、さまざまに身の動きで寄り添う。それは変化しつづける万象とともに、私なるものも柔らかく変化することを恐れない、ということでもある。

流されないで、自分の躰の動きに集中した時間を過ごし切る。

まず、空間に体を放りこむ。そしてあらゆる部位を動きで満たす。

無心になって部屋の真ん中にキリッと立つ。

稽古で、ぜひチャレンジしてほしい一歩だ。

初めての人も、遊びに来て、たっぷりと自分らしい時間を愉しんでください。

…………………………

新クラスstart 1/26から
コンテンポラリー+オイリュトミー 土曜レギュラー
(入門から段階を追って学ぶ久々の新クラスです)
内容/開始メンバー募集!
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