櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

3.11から、2020年の3月11日へ

2020-03-12 | 日々のこと(daily)

やるべきことはやり、控えるべきことは控える。

そんなことを真剣に考えていると、稽古というものの大切さに思いが行きます。

劇場が閉じても、稽古場のドアは開きつづけます。

美術館が閉じても、アトリエの扉は開きつづけます。

戦時中もそうだったと、教わってきました。

日々つづけてきたことを、こういうときこそ中断してはならないと、

ほとんど動物的な直感で、そう思うのは、震災のとき以来です。

芸術芸能関係の打撃は皆さまご存知、僕も御多分に漏れず。

公演やライブを控えなければならないのが、震災の時との違いです。

あのときは、むしろ、そういったことをするべきだった。

祝祭的な力が必要だったから。

でも、今回は、むしろ、もっと地道で日常的なものが大切になっていると思います。

学びの場、対話する場、コミュニティー、、、。

なんとかして働き、学びつづけなければ、大切に育ててきたものが病気になります。

文化の根っこを絶やさないこと。個人の文化を、、、。

思いを蓄える。思考を整理する。

これまで、大切にしてきた何か。積み重ねてきた何か。

不安に惑わされないように気をつけねば。

世相不安が自らの心に入り込むと、

大切にしてきたものを、ないがしろにして目の前の事にばかり気を取られる。

やがて足も取られるにちがいありません。

 

きのうは3月11日でした。

しばらく眼を閉じて、そのあと、お稽古をしました。

写真は、あの年の桜です。

東日本大震災から9年たち、僕らは、また新たな困難のなかに立っています。

 

あの日から始まった試行錯誤がたくさんあります。

あの喪失から始まった努力が沢山あります。

いま、僕らは道の途上にいます。

あの日、そして、その数日後、ここに書いたことを引用します。

 

あの揺れを追うように

道路に水があふれ出してきました

ひび割れや、きいたことがない、低い音がしました

ひとがさけんでいる

なのに しんとして感じてしまう・・・

そんななか、湾岸から都心へ、都心から家路へ。

朝がくるまでのあいだ、ほんとうにいろいろなことを見てしまった

そして、ほんとにいろんな感情がココロの中をかけめぐってゆきました。

とても怖い、ほんとうに大変なことになってしまったけれど、

ここから始まってゆく新しいものがきっとあるはず。(2011年3月11日〜12日)

 

いま私に出来ることは何だろうか、

日本中の人がそんな思いで過ごされていると思います。

地を踏み鎮め、天に手を伸ばして祈り、

身を寄せあい、たがいの命をよろこびあって、

つらいこと、かなしいことを乗り越えてゆく。

そんな行為を、いつしか私たちはダンスと呼ぶようになり、

そんな行為のつながりのはじっこに触れたくて、

少しくらいはつながりたくて、

踊りの学びをしているんだと、あらためて感じています。

地がゆらぎ、水がさかまき、放射能におののき、

この国がはじめて経験するのだというほどの、

世界にも例がないのだというほどの危機。

どうすればいいのかわからないことが、

山のようにでてくる毎日、

刻一刻・・・

深い深い不安だけれど、

でも、

人と人が支えあおうとしているのだということも、

だんだんと肌身に迫ってくる。

そんな現在を、

捨てたもんじゃない、

新しい時代が始まっているのではないかと、

こころひそかに感じてもいます。

とてもちいさな一人一人が、

ちいさくとも一人一人の力を信じて、

歩いてゆけば、

きっと大丈夫だと思う。(2011年3月16日)

 

 

 

 

 

 


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