Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

我痛ム故ニ我アリ。

2004-08-15 | 徒然雑記
 やらねばならないことが山積しているというのに、もう15時間以上偏頭痛と戦っている。薬を飲んでごまかすためには何かを食べなければならないので、仕方なく食事も適当に作る。それ以外にできることがない。ようやっとPCに向かってみて、画面に自分の目がどれだけ耐えられるか目下試している。結構いけるようであれば、仕事にも取り掛かれるというもの。

 昨夜から関東に前線が被ってきて涼しくなってきた模様で、丁度その頃、22時前後から激烈に頭が痛くなり、吐き気がし、目の焦点が合わなくなった。今も焦点はいまひとつおかしいのでミスタイプばかりしている。横になっても眠れず、オリンピックの男子体操などをほぼ片目で見ながら、薬が効くまでとろとろと起きていた。
寝たら寝たで、首が凝り固まっており、悪夢にうなされては目覚める。
通常なら思い出しもしないような面々が次々と夢の中に現れ、目覚めてから、今の誰だっけ・・?と思い出す努力をしたりもする。

「我思う故に我あり」とかさもありなんなことを仰った偉人もいたが
「我痛む故に我あり」と云ったほうが自分にはしっくりくる。

思っていることなんて、もしかしたら夢かもしれないし。明日になったら忘れてしまうことが殆どだし。自分の身勝手な思いの中に自分の存在を認めるなんてあやふやなことはない。他者が私に掛けてくれる思いの中にこそ、自分の存在を見出してみたいと思う。
痛いことは、逃げようがなく苦しい。夢ではない現実感がそこにある。面倒なことに生きてしまっているからこその痛み。哀しくなったり、恋しくなったりすると、たまに訪れてくれるこの激烈な痛みに励まされる。
所詮、自分は一個の動物に過ぎなくて、痛いことを思索や信念や愛情で治したり緩和したりできるものではないと。思いの為にそれを我慢することはできるけれどね。

 昨日に引き続いた偏頭痛が治る気配はまだない。


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2 コメント

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そうそう。 (yuki)
2004-08-16 17:46:25
痛みという現実が生を実感させる唯一の感覚だったりする。

わたしはマイナスの感覚に支配されているときこそ、プラスのエネルギーを渇望できるよ。

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同じ。 (マユ)
2004-08-16 18:51:59
同じですね<マイナスの感覚に支配されているときこそ、プラスのエネルギーを渇望できる



痛みから、優しい気持ちとか愛とか、安堵とか。

怒りから、前進や創造のエネルギーとか。

そんなものが、生えてきます。
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