いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

川下り事故で思い出した

2011年08月19日 18時27分56秒 | 社会全般
事故は事故ですので、何とも言いようがありません。

以前書いた記事を思い出しました。

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その1

喩え話が、川下りで岩場に激突という事例(船とボートでは違いますけど)だったなんて、と思ってしまいました。


医療が崩壊する、と大騒ぎしていた、当時が思い出されます。

事故調だったか無過失補償関係の会合が開かれる、といった報道をが出ていたのを目にしたように思いましたけれども、医療界の方々はあの当時の熱心さを失ったのかもしれませんね。

司法が医療を崩壊させる気だ、とか、騒いでいたはずなのに、その後に何も変わってなんかいないのでは。


結局、医師の方々がどうしたいのか、何を実現しようとしているのか、わからずじまいです。残ったのは、司法不信と法曹関係者への罵詈雑言だけ、というのも、情けないというか無惨というか虚しいというか、何だか分かりませんね。何も前進が得られなかったのだとすると、医療側のやり方というものがどうだったのか、ある種の脅しのようなものを突き付けただけに終わってしまうのではないか、と思ったりもします。不満をぶちまけて、それで終わったのと何が違うのかが分からない、というようなことです。


福島産科死亡事件の裁判・その7(続)


要するに、問題を解決してゆこう、改善してゆこう、というようなことがなく、司法サイドを批判して終わった、というだけなのでは。

もっと率直に言うなら、警察が逮捕するので「俺らはやる気なくすからな」、裁判官がトンデモ判決を出すので「俺らはもうやりたくないからな」というようなことを、喚いて終わっただけ、と。

なんか、そういうのに首を突っ込んだ自分がアホだったな、というか、意味があったのかどうかさえ、分からないな。


東電、経産省、保安院の3悪人に原子力を委ねることはできない

2011年08月18日 12時43分14秒 | おかしいぞ
日本という国は、今になってでさえ、何も変わらないのだな。
ウソを続ける、重要な事実を隠す、出鱈目を言い続ける、そういう体質が永続しているということである。

事実やデータに基づかない、冷静な議論も解析もできない、そういう国なのである。この期に及んで、嘘に塗り固めた発表を繰り返すような、情けない連中なのだ。まさに、戦時中の大本営発表という出鱈目を続けたのと、何も違いがないのである。

進歩も反省もない、腐敗し切った悪しき官僚主義的組織である限り、原子力などという危険なものを任せるわけにはいかないのだ。


泊原発の再稼動にしても、菅総理退陣が確定的となって、官邸からの圧力や支配力が及ばなくなった時期を見計らって、一気に「既成事実」を作り上げるために工作したのだろう。ドサクサ紛れにやったようなものなのである。権力の移行期間という、ハザマを衝いたのだ。そうした姑息な連中が蠢く組織には、危険なものを持たせると大変なことになってしまう、だからこそ「任せるわけにはいかない」ということになるのである。

次も、またその次も、常に嘘をつき、隠そうとするだけだろう。何も変わらない。その時、その時で、場当たり的にやって、自分は責任逃れというのを繰り返すような連中なのである。そういう組織を信頼などできるわけがない。


中国の高速鉄道事故を非難することなど、恥ずかしくてできない。日本という国は、これほどの原発事故を起こしてでさえ、原因究明すらまともに行えないような国なのである。


福島第1原発:東電、水素爆発予測せず ベント手順書なし - 毎日jp(毎日新聞)


1号機の非常用復水器のことは、以前にも少し話題となったが、この停止を幹部が知らなかったということらしい。

これに関しては、ずっと以前から腑に落ちない疑問点が多いということを書いた。

5/18>続々・Fukushimaは人災か~1号機の疑問

5/18>続々・Fukushimaは人災か~謎は残る

5/24>福島第一原発 1号機はどうなっていたのか



・14:52の復水器の自動起動は何故起こったか
・15:00頃の復水器の手動停止は何故行われたのか
・18:00頃の起動
・18:25頃の停止
・21:00頃の起動
・深夜0時過ぎの停止?

それぞれに、どういう経過で、どのような理由があったのか、ということが示されねばならないはずなのに、全くもって説明がなされてこなかったのだ。事実関係さえも、定かではないのである。


スクラムから津波に襲われるまでの間、どういう体制でどのような循環冷却措置がとられていたのか、その電源は何がどう用いられていたのか、そういうことを明らかにしてこなかったのか、何らかの理由があるとしか思われないのである。


例えば、15時頃の手動停止は、どういう理由だったのか?
東電の説明では、原子炉の圧力が急減して、冷却によって圧力容器が傷む可能性があるので、マニュアルに従い停止した、というようなものだった(上記参考記事にも書いた通りだ)。
にわかには信じ難い。


ならば、きちんと答えてみよ。

通常運転時の圧力容器の温度は大体どれくらいか?
大量の蒸気発生が前提であるから、摂氏100度以上であっても不思議じゃない。だが、これが700度とか1000度にも到達していると思うか?
恐らく、そんな高温ではないのではないか?
だって、中には大量の水が入っているのでしょう?それで、そんなに高温であるとは思えない。せいぜい200~300℃なのではないのかな。

復水器で水を入れたら、高温だった容器が急激に冷えて損傷する可能性があるから止めます、なんて話は、容器温度がそれこそ金属の溶解温度近辺に到達していて、そこに大量の水で急激冷却をすると、金属収縮が起こるから亀裂を生じるとか破断する原因になるかもしれない、というような場合だけだろう。そんなことは、停止後数分の原子炉で起こるとは考えにくい。大体、復水器使用程度で容器の金属損傷を来すようなものなら、高圧注水系とかの「大量の水」を投入する冷却システムなんか使えると思うのか?


炊飯器を思い浮かべてごらんよ。
鉄釜みたいな容器の温度が1000℃とかになるか?中に、水が大量に入っているんだぞ?
急激な冷却で金属収縮を起こす程の温度に到達しているとは考えられない。
容器破損の危険性がある場合とは、容器の温度は何度?
マニュアルに書いてある、非常用復水器ないし、その他注水系の作動を停止させる場合とは、どういう圧力・温度なの?


復水器を手動で止めた後、他の冷却系は何が動いていた?
高圧注水系?それとも、低圧系?
何も冷却していなかったのかな?
それなのに、止めていたと?

自動起動するということは、他が動いていない、ということなのではないか?
冷却を続けるべきところ、それが作動せず、「最後の砦」としての非常用復水器が起動したのに、それを止めたと?
代わりの冷却システムが動いていなかったのに?


圧力容器内の水が蒸発して、いよいよ炉心が露出するくらいの18時になるまで、何の冷却も行っていなかったと?
まるでスリーマイルの事故のようなものだな。
津波が来る前の、3時半頃までに、圧力容器内の水はみるみる蒸発してゆき、蒸気圧が高まっていったのではないのか?
そりゃそうだわな。新たな水の循環がなく、自然放熱しかないとすれば、沸騰してゆくに決まっているもの。

で、炉心溶融が既に始まっていたかもしれない、18時過ぎとか21時に復水器を起動したと?
水で炉心が完全に埋まっていた15時時点と、18時や21時時点では、どちらが圧力容器の温度が高いと想定されると思うか?
容器の金属部分の露出は、どちらの時点で多いと思うか?
どちらが注水の急冷で容器損傷の危険性が高いと思うか?
15時時点よりも、もっと高温になっていたであろう、21時の時点というのが東電の言い分か?(笑)


津波で非常用ディーゼル発電機が使えなくなったという言い訳を何度もしていたが、その前の時点で、電源も冷却もダウンさせてしまったんじゃないのか?
他の冷却系が動いていなかったからこそ、非常用復水器が作動したんじゃないの?
津波が来る前に、電源は落ちていた、バッテリーもどうだったのか分からない、ということなんじゃないの?
発電機はあったが、津波前に役に立たなかった、ということなんだろう?


嘘に嘘を積み重ねるような組織は、信じることなど不可能である。
出鱈目が続けられるだけ。

そういうヤツラには、危険な原発など持たせられないと言っているのだよ。



映画『ソーシャル・ネットワーク』

2011年08月17日 08時52分34秒 | 俺のそれ
時期外れだけど、DVD借りてきて、観てみました。

どうせ投資会社の差し金か何かで、タイミングよく生み出された投資促進映画(言ってみれば『facebook』称賛)の一種ではないかという先入観があったが、そうではなかったようだ。

一言で言うと、新しいタイプの青春群像、という感じかな。

創業者で大富豪となったマーク・ザッカーバーグが、極々身近な等身大の若者として表現されていた。親友のサヴェリンもそうだし、周りの若者たちもそうなのだ。大企業礼讃やベンチャー万歳(笑、むしろ、f●●●'n、か?)なんかじゃなく、「学園祭の後」っぽさがあるのだ。
思い出すのは、バカ騒ぎをしていた頃の、ホリエモン率いるライブドア、みたいなものだ。ああいう空気だ。


若者たちは、どういうチャレンジをしたか?
どんなヤツが、会社を興したのか?
そういう疑問に簡潔に答えてくれる映画なのだ。
若くして億万長者になるような人間なのだから、相当の変わり者なのかな、とか思うだろう?

どんな変人なんだ?と。
どれくらいヘンなヤツなのか、と。

いやいや、そこら辺にいる若者と同じように、バカをやったり、ふざけたり、悩んだり、迷ったりする、普通の人間なのだ、ということだ。マークはオランダ系ユダヤ移民の末裔
か?
双子兄弟は、バックボーンを持っていた。恐らく、マークは、持たざる者、だった。それが、あのクラブの話なのだ。持たざる者ゆえの、屈折したような、或いは劣等感のような何か、それがザッカーバーグの心のどこかに「引っかかり」のようなものとして存在していたのかもしれない。サヴェリンが劇中で言うクラブ入会に嫉妬したんだろう、というのが、友が感じ取っていたマークの劣等感の表象のようなものだったのではないか、と。友ゆえに分かることだ。双子兄弟は勿論、それを保持していた。生まれながらにして、コネを手にしていた者、それがあの双子だったのだ。マークにとって、それは越え難い壁だった。ボート部員というのも同じ。屈強な肉体は、そう簡単には手に入らない(笑)。195㎝、100kgのアスリートの肉体は、選ばれた者しか持たない、ということなのだ(ぼく自身もよく分かる、笑)。マークには、及びもつかない”高み”だった。
それゆえ、彼らへの反発心は強かったのではないかな。


冒頭のシーンで、クラブ入会という話題で揉めるのだが、マークが「どうして入りやすいクラブを尋ねるのか」ということに強いこだわりのようなものを示したことが、エリカにとっては何のことなのか分からなかったのだと思う。ただ「何となく」訊いただけ(女子にはありがちだ)なのに、そこに自分を侮辱されたかのような錯覚を抱いてしまうマーク。喩えて言えば、「東京6大学で、どこの大学に一番入りやすいの?」と尋ねられた時の心境、みたいなものだ。
そして、つい、うっかり「BU」と(本音を)言ってしまう。ボストン大なんて、ハーバードという一流大学に比べれば、楽勝じゃないか、と。「女の子」がどう思うか、ということよりも、自分の思っている「単語」をついつい出してしまう、というクセが出るわけだ。
最もありがちな、若かりし頃の過ちの一つだ。
相手がどう思うか、ということよりも、”自分”を主張することを優先してしまう、という典型的な誤りだ。大人になるに従い、言葉には衣をまとい、慎重に単語を選ぶようになる。若者ゆえの冒険的な表現は、使われなくなり、正直でなくなってゆく。それは同時に、女性を落とす時の、スキルとして役立つようになってゆくという寸法だ。マークは、まだそこまで大人にはなっていなかった。


作品中では、マークは美化されるわけでもなく、アメリカンなヒーロー像でもない。共感できるキャラクターか、と言われると微妙だ。憧れる対象かと問われると、それも疑問かもしれない。映画中では、誇大に表現されたり、偶像化されてもいないのだ。少なくとも、英雄ではない。新米の女弁護士に慰められる程度の、一人の若者として描き出されているのだ。

双子兄弟のような屈強な肉体もなく、金持ちでもなく、コネもないマークにとって、唯一勝負できる武器として「持っていたもの」は、彼の類稀な創造性だった。選ばれた者だけが持つ、プログラミング技術という最強の武器を、彼は持っていた。これで勝負しよう、と彼は考えたのだ。そう、勝負だ。

コーディングを愛し、彼の「子」或いは分身であるところのフェイスブックを、誰よりも深く愛していたのだ。

恐らく、友のサヴェリンは「プロジェクト」の一種か「新規ベンチャー」の仕事だったのだろう。ザッカーバーグにとっては「我が子」同然であっても、サヴェリンにとっては金儲けの手段の一つでしかなかったのだろう、と。現実世界では、確率的に圧倒的大多数がサヴェリンの予想通りなのだ。フェースブックのような結末は、そうそう転がっていない。確率的には、そうなのだ。麻雀で、役満の狙える手が入っているとして、それを狙いに行けるかと問われると、難しいのだ。しかも、この場合にはダブル役満かトリプル級だったのだから。それを狙いに行くのは、殆どの場合、無謀か愚か者だけだ。

ショーンは、そういう意味においては、恰好の山師だった。
以前ネット界隈で人気を博した「モチオ」を見るような目で、いたいけな若者がキラキラした目でショーンを見つめたとしても、不思議ではない。実務派のサヴェリンからすると、ショーンは「会社を破滅させる危険人物」以外の何者でもなかったであろう。それはそうだ。堅実なビジネスの場を考えれば、ショーンのような人間は「一発屋」でしかないだろう。だが、ザッカーバーグの心を捉えて離さない、カリスマを備えていたに違いない。颯爽とアポイントを取ってくる男の関心事は、金と投資家と時価総額だった。ホリエモン的な発想とよく似ているのだ。

若者にとっては、銀行家よりも冒険家の方が魅力的に映ることは間違いないからね。
ハーバードの秘密クラブに匹敵するか、それを超えるだけの「見たこともない世界」を見せてくれたのが、ショーンだったのだろう。マークにそれを与えてくれたのは、サヴェリンではなかったし、ルームメイトや特殊な世界しか持たないプログラマーたちではなかった。多分、マークは大人になったような気がしたに違いない。契約とか、特殊な用語とか、経済や法律的な用語やしきたりなんかに触れてゆくにつれ、「大人の世界」に足を踏み入れるワクワク感みたいなものを味わったのであろう。その先導役が、ショーンだったのだ。けれども、ショーンはやはり「溺れてゆく者」だった。金、女、ドラッグ、そういったものにドップリ浸かって、どんちゃん騒ぎをしてしまう人間だった。


マークは尊大な人間なのではないだろう。
多分、自分の解決できない問題には、あまり興味を持てないか、関心を示さないのであろう。自分の貴重な時間が奪われることや、自分にとってあまり意味のないことに煩わされることを嫌っていたのだと思う。けれど、それは「子供時代」だけに許された自由であった。規模の小さな、自分の趣味かそれに少し毛の生えた程度の範囲内の時代であれば、許されていたに過ぎなかった。
次第に、大人になる、ビジネスという場で生きねばならくなる、そういう環境変化によって、ノリでできた学生時代とは異なっていったのではないか。


オタクから企業経営者への脱皮という過程を必要としたのだろう。
Nerdから、CEOへ。
友と離れていったのは、「仲良しクラブ」が終わりを告げたということだった。


それと、facebookからは「the」が取れたのだが、映画タイトルの「the social network」には残してあるのだった。まあ、そういうものなのか。ソーシャル・ネットワークはフェイスブック以外にもあるからね。
邦題からは外してあるのだが(近年の題名には殆ど見られないかな)。

フェイスブックの創業者に共感するというよりも、ただの一人の男子学生であるマークには、「ああ、あるある」とか「何となく分かるような気がするよ」という共感や実感のようなものがある映画だった。映画らしい映画だった。もっと早く観ておけば良かったな。



Goodbye greenback,hello gold

2011年08月16日 13時56分04秒 | 経済関連
通貨離れとか貨幣不信などと言われる流れが、金への回帰をもたらしているのだろうか。

米テキサス州で「新ゴールドラッシュ」、金価格高騰で人気 | 世界のこぼれ話 | Reuters


今更、金本位制に戻れるはずもないのだが、何故か金が人気らしい。

日本には、埋蔵”金”が各家庭のタンスとかに眠っているらしい。
古臭いネックレスやブレスレットなど、昔の栄華(笑)の名残だけでもかなり存在しているようだ。そう考えると、日本人って、色んな意味で凄いな。

江戸時代の小判に始まって、「ジパング」と呼ばれたのはダテではないな。
金山なんかのない現代になってでさえ、そこかしこに眠っているゴールドが存在しているというのは、おもしろいのである。気付かないうちに、そうした蓄財を意図せずに行っているということが、不思議なのである。
砂金を探す手間よりも、タンスの抽斗の中を「断捨離」する方が容易ではある、ということだ。



「泣き男」は論外

2011年08月16日 08時58分16秒 | 政治って?
海江田大臣は、「ポスト菅」にとおだてられて、ホイホイとそれに乗って、福島原発問題の処理等に力を貸したわけだ。

まるで芝居がかったようなこともやったようだが、菅おろし、東電救済と、役に立てと言われてやったものの、既に用済みとなった模様。利用される人間、ということでしかなかった、ということかと。

泣き男は使えない(笑)。



大蔵閥の暗躍?財政再建派の合従連衡

2011年08月15日 22時40分58秒 | 政治って?
妙な動きがあるのかな?

野田財務大臣が本命視みたいな雰囲気作りが行われているようだ。
どうしてか?
それは、元財務大臣の谷垣自民党総裁が「野田さんなら…」みたいに、民主党との協力に前向きっぽい発言が出てきているからだ。

そう、財務省つながりで、かつどちらも財政再建タカ派陣営に属していると目されるからだ。その結果は、明白だ。「即増税」コレで決まり。間違いなし。一発解答。

つまり、「野田総理」誕生(谷垣総理誕生でもいいが)は、民主内の小沢系が党内野党と化し、自公が党外与党となるということだ。これが、大連立ということの意味である。
この反小沢に「乗り」なのが、仙谷さんの腹の内であり、その一派だろう。別に、野田財務大臣のことが好きなわけでも評価しているわけでもなく、谷垣さんを担ぎたいとも願っているわけではないが、「増税」「反経済成長(路線)」ということでは一致している、というだけであろう。


前原総理を誕生させてしまった場合、外交・安全保障の軸が従米路線に戻ることはほぼ確定的で、昔懐かしの旧自民党時代の「外交・安全保障マフィア」が復活してくるだろう。前原外務大臣時代のニュースをよく読むとよい。総理になった場合の想像がつくというものだ。あの路線戻してはダメだ。


さて、問題は、増税・財政再建派の思惑なのかどうなのかは不明だが、後継者選びの争点を、この増税か反増税か、という軸にしようという意図がどこかで働いている可能性がある。エネルギー政策を争点の軸にされてしまうと困る連中がいるのだ。

喩えて言えば、増税したい財務省、原子力政策に触れられたくない経済産業省、普段は反目し合う仲であろうとも、ここは一つ手を結びましょう、というような動きがあったとしても不思議ではありませんね、というようなことかな。

これが政治家の勢力分布の分け目を付ける時だって、増税か反増税か、ということで線引きして分けた場合と、原発か反原発(脱原発)かで分けた場合では、異なる勢力地図が出来上がる、ということなのである。


反小沢で集まる者、増税・財務省路線で集まる者、原発隠しで集まる者、等々、色々とあるだろうが、その糾合勢力はどんな未来をもたらすのか、よく考える必要がある、ということである。



この真剣さがたまらん

2011年08月12日 18時04分31秒 | 俺のそれ
プランを考えた人、偉い!!

はてなブックマーク - 全速で駆け抜ける勢いでミニスカをパンチラさせる「adizero vs MiniSkirt」 - GIGAZINE


下らな過ぎて笑えるのだけれど、そこがいい!
これをマジで取り組もうという発想が素晴らしい。

そして、男のロマン、駆け抜ける喜び、パワーとスピードが織りなす醍醐味、達成感、予想された結末だが、よく頑張った、という感慨がこみ上げてくるわけでございます(笑)。


と、いいますか、よくもまあ、あんなスカートで軽いふわふわの布地の服を探し出してきましたね、とは思いますな。
ある程度しっかりした布だと、流石にあそこまでボワッとは膨らみません、て。

いずれにせよ、真剣にアホなことに取り組むというギャップが素晴らしい出来栄えとなっているのでございます。
感激、じゃなかった、感心しました。いや、CMとしてだよ、あくまでCMとしての評価ですとも。
別に、パンチラってのが気に入ったとか、昔風な「いや~ん」ってなるふんわり感と微妙な見え具合に納得感とか、そういうことではありませんよ(笑)。あくまで、商品を売る為の広告として、評価したまでですってば。
商品、靴の、素晴らしいグリップ感とか…、走りを支えるソールの…、いや、だから、ネーミングと広告効果の…タイトルが、見出しとしての…(赤)



FRBの”金融政策コミットメント”キター!→日銀「ホレ見ろ」勝利宣言

2011年08月10日 05時50分13秒 | 経済関連
声明発表を受けて、ダウは大幅回復に向かいました。

異例の低金利を少なくとも今後2年間維持、米成長は予想より著しく弱い=米FOMC | Reuters


恐らく、声明発表後に、これが何の意味があるのか?ということで、一瞬の失望を誘い、マーケットは下げた(ダウは一時マイナスに転じたみたい)のではないかと思われます。

が、段々と打つ手に窮しているというか、これといった目新しい手段は示せない、ということかと思います。これは、「日本での経験」(日銀のお得意のフレーズだ)からすると、まあそうだろうね、ということではありますが。

で、今後2年間は利上げしない(低金利を続ける、ある程度のインフレを許容します)という宣言をすることによって、落ち込みを防ごう、という意図であるということかと思います。

あれだ、日銀研をはじめとする、日銀論客部隊の勝利宣言ということですかな(笑)。我々が「最先端を行っている」という自負があるようですからね。

金融政策コミットメント効果についての金融研論文


FRBの狙いや効果としては、既出のものである、ということかと。しかも、日銀の辿った道を似たように進んできている、と。
これ即ち、日銀の「それみたことか、やっぱ同じようなことしかできないんじゃないか」という声が聞こえてきそう、ということかな。

あー、また白川総裁の講演とかで、自慢話が出されそう。
本日の会見なんかでも、記者質疑で解説に熱がこもりそうな予感(笑)。


けど、マーケットとしては、当初「こりゃ、何の意味があんの?」的な反応だったのでは。何が効果あって、どういう政策意図なのよ、と。だから、下げたのでは。買入増額とか、そういう分かりやすい話を期待していたのに、出されなかったから、急に失望売りが出されたのかな、と。

だが、コミットメントとか言うものが、市場関係者にとってどういうものなのかが理解されないと、政策効果は十分に発揮されないのかもしれない。そこは、市場との「応答、コミュニケーション」というやつですか。


本日の東京市場が楽しみですな。



世界中の株安進行とは

2011年08月09日 16時53分52秒 | 俺のそれ
どういうことなのだろう?

何がそんなに問題なのだろうか。
まあ、米国経済の先行きが不透明ということだとして、格下げ食らったばかりの米国債にみんな逃避している、ということのようで、何といいますか、「逃避先誘導」でもカマしているのかな、と疑いたくなるくらいの騒ぎっぷり。

債務上限問題のカタがつく直前までは、みんな、そんなに心配していたかな?

そうでもなかったような気がするけど。
東京市場だって、久々の値上がりとかで、一息ついていたような。


それが、ここに来て、何故かパニック売り。

うーん、逃げ出しているようにも見えないのだけれど、何がどうなって、こんなことになってしまったのか。
ドルから逃げると言いながらも、米国債が大幅値上がり。
ダウは爆下げ。

ドルは底堅い。
で、他通貨が一斉に売られる。

なんだ、コレハ?


謎が多いマーケットでございます。
混乱している、ということなのでしょうか。

んまあ、判りません。



ところで、日経平均で400円以上の下げから、切り返したのは、今後の明るい材料かも。
今日の夜にNYが大幅挽回ということになれば、悲観一色だった景色は変わるかもしれませんね。

というか、一気に下げ過ぎでは。ダウがあんなに下げる理由というのが、イマイチ分からんもの。



為替介入より、雇用を生み出そう

2011年08月09日 09時55分31秒 | 社会全般
前の記事では、ひとしきり輸出企業への恨み事を書いてしまったわけだが、別に本気で恨んでいるわけではない。企業にだって、「もの作り」の事情があるってもんだ。それは分かるよ。
だから、製造業とか輸出企業の工場とか、全部海外に出て行け、と思っているわけじゃない。

そうではなく、きちんとした社会保障制度を基盤とした、働ける社会を目指しましょう、ということと、それには企業の責任を果たしてもらうべきだ、ということです。

これはおいといて、本題に入ろう。

例えば、携帯電話の料金とか、導入初期には非常に高額だったわけです。インターネットとか、パソコンもそう。もう少し前なら、家庭用録画機だってそう。非常に高価なものだった。だけど、技術進歩とか、普及率が高まると、価格は安くなり、高性能に進化していったわけです。そういう産業分野を育成してゆくにはどうしたらいいか、という話をしたいのです。

日本全体にとって考えると、まず、企業が海外移転して仕事を失うよりも、減税や補助金を出してでも残ってもらった方が得なことはあるのです。失業して失業手当を払ったり、生活保護費用が増大したりするより、減税や補助金などの額が低ければ、そちらの方がお得だからです。
更に、今回の一件で改めて確認できたことは、円売り介入をやって巨額損失を食らうくらいなら、輸出企業に補助金をダイレクトにやった方が、まだマシだということです。

つまり、コストとして比較するべきは、
 失業手当等社会保障・福祉制度の費用増+為替損失分

 減税・補助金・利子補給等
ということです。


ならば、具体的にどうするか。
今は、丁度電力問題というのが喫緊の課題ということなのですから、発電分野、蓄電池分野、節電分野、それぞれの企業や事業に資金投入を行う、ということにします。

例えば太陽光発電設備には、初期費用の負担が高額なので、これがネックになる、と。そうであれば、初期費用は、設置企業への補助として資金提供を行い、利用者は利用料に一部上乗せしてリース料として払う、とかでもいいのでは。インターネットプロバイダの普及などでも、似たような手法が取られていたのではないかと思います。携帯電話の普及でも、本体費用は利用料の中から出されていたものと思います。なので、発電設備も、一般利用者が多額の初期費用を投入するのではなく、企業向けに資金を供給(長期借入金の優遇とか、そういうのでもいいはずです)して普及を促進し、利用者は設置費用を気にしなくてもよくなりますから、どこの家庭でも導入可能となってゆくのでは。

比較するなら、
・これまでの電気料金
・(これまでの使用量-発電分)の電気料金+発電設備利用料
となり、後者が費用削減になっていればいいわけですから。

同じく、売電ということばかりだと電力会社の負担が重いということなら、蓄電技術を普及すればいいのです。これも設置費用は補助するものとして、リース料を利用者が払えば導入コストを大きく引き下げられます。トータルの費用が下がるなら、多くの利用者は喜んで導入するでしょう。

どうして、こうした補助を企業向けに行うのかといえば、
国内雇用の維持に役立つ=失業手当などの費用を減らせる、為替介入で損失食らうよりマシ
ということもあるから、です。

1000万世帯が導入すれば、そりゃあ製造・設置コストは劇的に引き下げられるのではありませんか?
製造業の雇用も生み出せる、設置業者やそれに付帯業務の雇用も生まれる、ということです。録画機と同じくらいの世帯普及率ならば、きっと劇的な変化が訪れるのではありませんか?
そういうのを可能にするには、為替介入という手法に拘って40兆円もの為替損を食らうより、マシなのではありませんか?これらの普及に、本当に何十兆円もかかりますかね?

太陽光発電は、電線網などの基盤的設備がなくても発電できる、ということが真価なので、どちらかと言えばメインというより、サブ、或いは災害対策的なバックアップですかね。未開地域などのような設備が不十分な環境下でも、発電できるというようなことです。送電網のような費用がない場合に威力を発揮するのでは。蓄電池の普及が進めば、小型の発電システムであっても、風力や太陽光を手軽に利用できるようになってゆく。小川の小規模発電でもいいし、大雨の雨水を誘導して発電するのでもいいし、利用方法はいくらでも出てくるのでは。
こういう蓄電池市場に費用を投入するとして、仮に1兆円を投入するとすれば、かなりの効果が出るのでは?利用者は利用料として、長期間負担してくれるから、いずれは回収されるのだし。一回設置すると、ずーっと使用が続くこと請け合いですし。携帯電話みたいなもんですから。リース料で回収できるなら、企業が設置の初期費用を捻出できる制度さえあればいい、ということになりますよね。

他の節電技術とか、エネルギー効率を高める技術(例えばヒートポンプみたいなのとか)とか、そういうのにも資金を投入すればいいのです。基準になる指標として、エネルギー効率化の程度、二酸化炭素排出量削減効果(製造工程や輸送での排出量削減もカウントすればいい)、雇用増寄与度、等々、効果の高い順に資金を多く配分するのです。

これを、今後3年なり5年後に普及率○%、とか目標を定めて、ガンガンやればいいじゃないですか。どうして、そういうことを本気でやらないのでしょうか?

地熱発電を本格稼働させるのに期間が必要だ、ということなら、過渡期の対策を出して、火力に頼るのをできるだけ少なくできるような方法を考えればいいのでは。

トヨタやパナソニックだって、本当はやる気満々なんでしょう?
そういう大手一流企業がやれるというのなら、本気でやったらいいんじゃないの。どうして、そういうことをやれないのかな。インターネット接続の初期の頃とか、モデムは貧弱だったけど、今じゃ、性能アップは著しいよね。やっぱ、導入して、普及させて、それが技術を高めて、という循環になって行かないと成功には繋がらないのではないのかな。今は、躊躇ってばかり。アホかっての。
為替介入で40兆円も損失を出すくらいなら、いっそ介入を止めて、40兆円を上記のようなことに資金投入した方がマシなんじゃないのか?トヨタやパナソニックなどの企業が40兆円分も恩恵を受けたとも思えないし、これを弁償してみろと言われたって困る(いや、そう言ったのはオレだが、笑)だろうし、復興財源の10兆円をどうするんだとか、すったもんだを繰り広げているくらいなら、ドーンと金を入れて、ちゃっちゃとやった方がいいだろうよ。たったの10兆円やそこらじゃねえか。
この前の為替介入で作った借金は、わずか1日で4.5兆円だったそうだぞ。
な?財務省。

そんなのに比べりゃ、復興財源の10兆円とか20兆円くらい、直ぐに調達できるだろうて。


どうして、日本ではそういうことができないのだろうか。



外為特会の為替損失

2011年08月08日 18時07分09秒 | 経済関連
日本の遅々として進まぬ政治と、機動的な運用ができないということが、国民にどういった損失を与えるのか、ということの見本ではないかな。

外国為替資金特別会計 : 財務省


21年度末で見ると、為替評価損は約26.3兆円である。
ドル円は、91円だそうで。

それが今では、78円くらいとなれば、更に損失が拡大しているであろう。
82円前後でも介入をやったことがあるので、それも更なる損失拡大に貢献したであろう(笑)。

ざっとの推計でいえば、78~80円程度の円高になっていると、恐らく10~12兆円くらいの評価損拡大になっているのではないか。つまり、36.3兆円~38兆円くらいの損失額、ということである。


この意味が分かっているのか?

復興財源をモメる連中が、どういうわけだか”為替損”は「気にしない~ 気にしない~ 気にしっなっい~~」(アニメ一休さんの歌)ということなわけである。

財政審の心変わり



外為特会は、「国の借金だ!!」と言っておったのに、どうして一部の特定大企業が泣きついて「介入してくれ」と大騒ぎすると、これだけの大借金をこしらえてもお咎めなし、どころか「介入資金で数十兆円もの大損失」を国民に与えておきながら、「こんな円高の日本からは出て行ってやる、工場を潰して海外移転してやる」とか啖呵を切られる、と。

愚かって、本当に素敵ですね。


介入が無駄に終わるのならば、全く違う手法を考えるべきではないのか?
いや、当方も幾度となく「介入すべき」という意見を書いてきたわけだが、それも限界があると感じるようになったわけですよ。

ここまで損失を拡大することはなかったはずだ。何回も書いて恐縮だが、08年の北京オリンピック前だったなら、損失を回避できる手法はいくらでもあったはずです。なのに、やらなかった。

それにだな、為替介入に何兆円もブッ込んで、結局「ヤラレましたー」ってなるくらいなら、その損失を受けるより国債発行で公共事業なり補助金事業なりをやった方がまだマシなんじゃないのか。

仮に、為替介入に十兆円投入し、為替損を5000億円食らうなら、十兆円の国債発行→企業に長期資金として低利貸出とか利子補助で5000億円分使う方がまだいい、ってことなんじゃないの?
それとも、輸出企業の5000億円分の補助を割当たっていいんじゃないの?

そういう方向に頭を使うべきなんじゃないのか。


介入やって、と主張していた大企業群は、この損失を弁償してくれるのか。
好き勝手なことを言ってるのと、何が違うのか。

責任取れよ。


ちょっと追加。

現時点の為替介入は無駄

為替介入の話の補足ですけれど

輸出企業の呪い

こう言ってはナンだが、オレの予想通りの結果だったんじゃないのか(笑)。



米国債格下げと為替介入

2011年08月07日 23時58分59秒 | 経済関連
もうすぐ、月曜の朝を迎えることになります。
米国債の格下げを受けて、マーケットの反応がどうなるのか、世界中が固唾を呑んで見守っていることと思います。

フタを開けてみれば、案外と大したことがないんかも知れません。
が、リーマン・ショックの前も、ベア・スターンズ危機とか、ファニー&フレディ危機なんかがあったけれども、「きっと何とか乗り切れるだろう」みたいに、どうにか過ぎ去っていたが、その後にやっぱりポシャッてしまった。
そういうようなもので、今回の格下げはこれから先の「はじまり」に過ぎないのかもしれません。ま、よく分かりませんね。


一方で、財務省の円売り介入というのがあったみたいなのですが、どういう意味があったのか、まるで分からなかった。自己中心主義的な財界人なんかは、2兆円も国債発行してばら撒くなんて、ポピュリズムが云々とか、財政規律がどうとか、財政破綻させるとか、御託を並べるくせに、何故か介入資金については「やって、やって、もっとやって」ということになっているのだな。

これまで、介入資金の為替損について、大企業が数十兆円も弁償しましたとか、穴埋め資金を国に返しました、とか、聞いたことはないわな。
円安の利益享受を自分の懐に入れるけれども、国の借金を増やした挙句に国民の金を数十兆円もの為替損に追い込んでも、責任を取るわけでもなけりゃ、弁償するでもないということだな。

なんて都合のいい連中なんだ、とは、ちょっと思う。
が、今回の為替介入は国際理解も得られず、効果も乏しく、ただ単に気分の問題か、やったというアリバイ作りのために数兆円も無駄に使ってしまったようなもんだ。


そんなことするくらいなら、もっと方法を選べ、と前から言ってるのにね。

ワケが分からん。
格下げになって、世界各国の「ドル離れ」という中で、敢えてドル買いを無駄に行うという、その意味不明の感覚が、理解できない。

震災の影響で貿易収支が赤字になってでさえ、円安が亢進せずにいたのに、復興過程で輸出の数字がある程度回復してゆけば、輸出企業が円買いを再開してしまうのだから、それ以外の要因に変化がないなら、その分だけ円高が進むことになるわな。

そういう環境下にあって、なお米国債不安とか、米国経済の先行き不安とか、そういうのが重なれば、ドル安トレンドを止めることは極めて困難というのは、分かりきっているのでは。

それを、無駄に数兆円も介入ですか?
愚かな対応としか思えん。


サッカー元日本代表 松田選手の急性心筋梗塞

2011年08月03日 23時00分11秒 | 社会全般
松田選手の一刻も早い回復を祈念いたします。

中日スポーツ:元日本代表・松田 心肺停止 練習中に急性心筋梗塞:サッカー(CHUNICHI Web)

今回、比較的若年のプロスポーツ選手の心筋梗塞例ということで注目を集めたようです。
普通は、もっとメタボな感じの、もうちょっと年齢の高い人がなりそうな病気というイメージがありますが、今回はスポーツ選手がなったということで驚きを与えたのであろうと思います。


詳しくは専門家のお医者さんに聞くべきと思いますが、テレビのニュースなどでもあまり触れられていなかったようなので、思う所を書いてみます。


全くの個人的予想を言えば、恐らく冠攣縮が発生して心筋梗塞に至ったのではないかな、と思います。spasmは動脈硬化のような血管病変の形成は、直接的には関係ないことが多いと思います。若年層の冠攣縮発作は狭窄病変がなくとも見られ、初発の発作が重篤な(時に致死的な)症状を呈する急性心筋梗塞を惹起することは有り得るでありましょう。


松田選手の場合を想像するに、
 冠スパスム発生で狭心発作
→心筋虚血で胸部痛・胸苦のような症状+吐き気などの苦悶感
→攣縮が続き遂に冠動脈閉塞
→Vf発生

のような経過だったのではないかな、と。

本人は狭心症状が起こっていた時、胸が苦しいと思っていたのだろうけれど、体調が悪いせいなのかな、と思ったか、練習がキツく感じられたという程度で、「自分が我慢しなければならない」と耐えてしまったのでしょう。この時、すぐに運動負荷を止めればよかったのだろうけれども、言い出せなかったのでは。

攣縮が発生する理由は、よく分からないでしょう。ただ、Mg欠乏などの電解質異常とかがあったのかもしれませんし、脱水気味だったとか、元々の体調が悪かった(寝不足や深酒?)とか、そういうことがあったかもしれません。
我慢強い性格とか、強い責任感とか、そういう性格の持ち主であれば、普通の人ならば立っていられないくらい苦しいのを耐えてしまったのかもしれません。

回復されることを願っています。




タイトルに偽りありの記事

2011年08月02日 15時27分00秒 | 経済関連
学者ならば、学者の作法に則って議論するべきではないかと思うが、今は本題ではないのでおいておこう。

卑怯な議論―言葉がどぎついと言うなら、不誠実な議論と言っておこう―のやり方というものは、一見するとまともなことを言っているかのように見せかけて、巧みに誘導するものなのである。いくつもの仮定を伏せたまま、というか、何段論法みたいに組み立てているもので、そのうちのどれか一つにでも対立論者の意見が含まれていれば、さも間違っているかのような印象を与えることができる、というものなのである。
もし簡潔に反論するとすれば、「そうは言ってない、そんなことは主張してない」というものであろうと、勝手に論を組みたてて、言ってないことの部分を否定することで、その流れの中にある意見をも否定できているかのような錯覚を与える、という戦法なのである。
まことに、卑怯なやり口なのだ。
こういう手口を誰がどこで教えるのか知らないが、まともな学術的研究を行う者が使う手とは何とも情けない話ではある。

閑話休題。

下らない主張を散りばめたコラムを拝見した。
「政府紙幣発行で財政再建可能」のウソ:日経ビジネスオンライン

タイトルにある「まっとうな理論」を見て、腹を抱えて笑うしかない。日本の経済学界というのは本当にロクでもない巣窟なのではないか、と訝る気持ちを理解してもらえるだろうか。「まっとうではない理論」が主流派ということなのか、横行してるということなのでしょうか(中には経済学者気取りの肩書きだけ騙ってるような人物も見かけたことはありますが)。私のような部外者にとっては、判らないことですが。

特徴的な記述を以下に引用してみよう。

『我が国の財政再建や復興財源確保のため、政府紙幣を発行すべきとの意見もあるが、果たしてそうした紙幣は“木の葉”に戻ることはないのだろうか?』

『この納付金は、現在でも税外収入の形で予算に組み込まれている。この通貨発行益を、日銀券を大量増発(論者によっては数十兆円)することで膨張させれば、財政赤字を大きく削減できるとの意見がある。そうした政策は本当に有効なのだろうか?』

到底、学術的な誠実さを持ち合わせている内容とは思われない。言うなれば、専門外の素人の書いたブログ記事と同レベルであろう。ただ、記事の趣旨が「気軽なコラム」ということなのかもしれないので、この論者の責任というものではないのかもしれないが。まあよい。

もしも、本当に誠実で理論的な検討をするというのであれば、きちんと問題を明確にするだろう。

例えば、
 ◎通貨発行益は財政再建にどの程度寄与するか
というような、もっと狭い範囲の論点について検証するべきだろう。それとも、「通貨発行益は財政再建に有効か」でもよい。言うべきことを限定して、その点について検討し結論を示すべきであろう。
論者が専門家でも何でもない人ならば、別に学術的お約束とか作法に則るべきとまでは思わないが、専門知識を有してない一般人を相手に専門家として語るならば、「惑わせない、平易な」議論が求められてしかるべきだろう。
この論者が独自の経済理論でも有しており、新たな知見を披露するというものでもないのなら、特別な理論を展開せずとも、先行研究の成果を紹介すればそれで事足りる。具体的には、「通貨発行益は財政再建には殆ど役立たない」とか「過去の財政再建例では、通貨発行益が有効だった国や事例は殆ど見られなかった」というようなこと(あくまで例示です、実際の研究成果は知りません)を示せば済む話である。

こうしたシニョリッジは財政再建に役立たない、ということと、政府紙幣発行は妥当か否か、という検討は基本的に別問題なのに、これを同一の議論として「誤魔化している」ことが不誠実極まりないのである。問題点の切り分けとして、「復興財源確保を目的とした政府紙幣発行」や「復興財源確保を目的とした復興債の日銀引受」という話は、シニョリッジの額がどうだの、日銀の納付金の多寡だの、財政再建の役に立つかどうかだの、そういう論点とは全く別物であるのに、まるで「政府紙幣が木の葉同然」の代物であるかのような幻想を抱かせることによって、「復興財源確保に政府紙幣発行は無駄(=木の葉だから)」であるかのように結論づけるという論法なのだ。

本当にまっとうな議論を目指すのであれば、まず「通貨発行益で財政再建を行う、これで再建できる」といったような主張を行っている主要な論者を特定すべきだろう。一般素人衆などではなく、学界の主要な人物を挙げて、だ。或いは、他の著名な論者でもよい。その人がどういった主張を行っているのか確認できる形でないと、國枝氏が偶像として作り上げた論を提示するだけでは意味がないからだ。


因みに、拙ブログでも政府通貨発行などの話題を取り上げたばかりだが、これまで財政再建の為に発行せよ、などという主張を行ったことはないはずだ。デフレを脱却するという目的であって、財政再建などの為ではない。
例えば通貨発行を増大せよ、とか、国債買入償却を増額せよ、とか、”日銀がどうしても拒否するなら”政府通貨発行でもいいよ、とか、そういう話をしているのであって、それは財政再建ができるから発行せよ、ということを言うわけではない。
そうではなく、中には愚かな主張をする連中がいるので、副次的作用として「そんなこと言うんだったら、財政再建だってできてしまうじゃないか、バカ」ということを指摘したまでである。
例えば、国債買入を増大しても「インフレは起こらない」だとか、紙幣発行を増大しても何も起こらない(が、ある時点で崩壊を迎えハイパーインフレになるらしい)とか、そういうことを言う連中がいるから、「何も起こらない」のであれば、「100兆円とか200兆円とか通貨発行を増額し、同額の利付国債を購入して、償還期限が到来する度に双方同時に燃やしてしまえば、国の借金が減らせることになる(財政再建にも貢献できてしまう)ぞ」というような極端な話を出したまでだ。


小判や金貨改鋳によって、貨幣量を増大させると、それは、インフレを招く、というのが過去の歴史的事実とか現象として観察されてきたのではないのか?つまり、通貨供給を増やせば、デフレ→インフレという現象が起こりうるということを意味するわけで、その可能性に賭けることが、そんなに悪であるとは思われない。
過去20年にも及ぶディスインフレ~デフレという期間を考えれば、そう簡単に補正ができるとは考えられないのである。世界経済、という全体からすると、日本単独だけの話ではないので、外的要因の影響度が昔に比べて大きくなっていれば、通貨供給量はそれにも影響を受けるかもしれない。だからこそ、もっと供給せよ、ということを言っているのである。

これらはあくまで「通貨発行益で財政再建」みたいなちんけな目標の為ではない。経済活動を支え、日本の経済や財政の「治癒」に必要なことだからこそやるべきだ、と言っているのである。



上限引き上げ問題という名のプロレス(笑)

2011年08月01日 12時04分09秒 | 経済関連
ようやく決着がつきそう、ということで、オバマ大統領の緊急会見があったそうだ。

まあ、プロレスも筋書きは大体あるけれど、カウントが入るまでの「ワン、ツー、・・」うう~ん、というのが幾度となく繰り返されて、まだ勝敗は決まらない、ということで観客の興味を引っ張り続けるわけである。だけど、最終的な1,2,3は大体初めから決まっているもの、ということですね。観ている人々も、やっている方々も、みんなそういうことでやっているわけだ。

今回の米国の債務上限を巡る問題も、これと似ているものだった。
政治ゲームというか、政治という名のリングで繰り広げられるプロレスを見せられた、ということだろう。

けれど、今回の興行は中々のもので、あやうく「返し」が遅れそうになって、カウント3が入りかけたりとか、そういうスリルを味わうことになったわけだ。
そうは言っても、米国債の金利水準が猛烈に上がっていったわけでもなし、みんなは「きっと筋書き通りにゆくのだろう」という、やや冷めた感じの、それともタカをくくったような雰囲気ではあった。


終わってみれば、まあ、こんなもんなのかな、と。