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続・経済学分野は、なぜ周回遅れの無駄な議論が多いのか

2017年04月10日 19時22分16秒 | 経済関連
ツイッター界隈で、経済学が役立たず?といった疑念が出たりしてたの?
まあ、気持ちは分からないではない。当方にも、「日本の経済学の世界はあんまりだ」と思った経験が昔にあったので(笑)。


何を今更言い出すのかと思えば、こんな学生みたいなことを言うんですね。

>http://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/17p008.html

第1に、政策実務者の調査・分析スキルの向上というインフラ整備が重要である。そのための小さな第一歩は、政策文書において参照文献の引用を適切に行うことである。第2に、学者・研究者の政策現場への理解増進が必要であり、少なくとも専門分野に関連する白書や報告書に目を通し、フィードバックすることを期待したい。第3に、政策実務者と学者の交流拡大である。第4に、EBPにとっては良質なデータが不可欠であり、企業や個人レベルのパネルデータの整備、政府統計を含む各種データと政策情報のリンクが重要である。


もうね、苦笑いしかないですわ。今まで何をどう考え、実践してきたの?要するに、インチキ祈祷師みたいな連中が、あることないこと言い立てて、それを後生大事にしてきた世界ってことでしょう?言った者勝ち、という世界。



典型的なのは、「りふれは」連中と対立勢ですよね。彼らのネット上での行動などを見るようになって、経済学の世界に対する疑念は一層深まりましたしね。

政治中枢に近い政策担当者たちでさえ、大きな違いが見出せないという点で、日本の経済運営の失敗が分かるような気がしました。ああ、これではダメだな、と。喩えて言えば、リファレンスをきちんと書けない、提供を受けてる資金や利害関係についても書けない、といったようなことですわな。卒論でも、論文の書き方に則っているとは思えないような指導しかしてないようでは、身に付くわけもなく。

「良質なデータ」以前に、まず普通に公開されている、調べれば素人でも分かる公的データですら、満足に確かめていない連中(学者や研究者を名乗っているようある)が大勢いるわけで、議論以前の問題。いくら良質なデータを用意できるインフラだけあっても、分析できないんじゃ何の意味もない(笑)。まずは、データを確認するという基本を身につけないと。


ところで元大臣の大田さんは公共政策大学院大学の学長だったか教授でしたよね?その大学院大学とやらは、院生の過半が官僚さんか役人の人が来てたんじゃなかったでしたか?それに、霞が関エリート官僚さんたちは、海外留学を経験してるでしょう?
なら、基本的な学問の手法とかお作法について、トレーニングを積んでるのではありませんか?文献の読み方が分からないとか、引用ができないってことはないのでは?それができてないなら、公共政策大学院大学の存在意義が問われることになるんじゃないですかねえ。何の為の教育なんですか、と。


また、官僚の大多数がうまくできてない、ということなら、大学生時代の受けた教育そのものに問題があった、ということでは?それは、経済学の大学教員の問題であるということだ。


なので、日本での経済学分野に関連する人たちの議論というのは、曖昧とか意味不明とか事実に反するとか、何でもアリな感じになっていることが多々ある。最低限、データを見てから言えよ、というようなことでさえ、きちんと守られてないんじゃないかと思うことは少なくない。
「~である」と豪語する連中は多いが、「~」の部分を立論できる根拠があるかといえば、それは殆どの場合、そんな大きなことは言えないかも、という程度なのだ。にも関わらず、事実関係を確かめたりしたわけでもなく、明確な根拠を提示できないのに、結論だけはいとも簡単に断定している学者風の人たちはいるでしょうな。例えば「倒産件数が増えた」という時、データを調べようね、ということと、一部データの都合のよい切り取りはアウトだね、というのは、最低限の確認事項でしょう。


せめて大学教授とかの肩書で語るなら、具体的な論文を書くべきだと言ったりしてきたが、「りふれは」勢はただの一本のペーパーも出せないみたい。10年以上経っているのに、だ。
けど、本だけは出すんだって。本というのは、論文と同等のものなの?それは、自分が言いたいこと、書きたいことだけ書いた結果を集めたものではないのですか?

査読論文を出せば、「りふれは」の理論がいかに正しく、一般のザコ経済学理論が間違っているのか、一目瞭然にできるのではありませんか?
なのに、何故、誰も「りふれは」の根幹をなす理論について、日本語論文(英語でもいいけど)さえ出せないのだね?専門家同士の批判を浴びて、洗練されれば、他の経済学の学者だの研究者たちだのを、十分納得させ、社会(政治家・政策担当者・一般国民)をも説得できる、強力な武器になるのではありませんか?


でも、これといった代表的論文を、誰も書けない、と。
どういうことなんだろうね。5ページくらいであろうと、まずは出せばいいのに。長いのがいいと限ってるわけじゃないんだし。それは学術的議論には耐えられない、ということの裏返しですかね?違うなら、結果を出すべきだよね。


日本の経済学分野では、学術誌はどこかにあるんだろうけれども、それは実務とは遠い世界のものかもしれず、現実の政策決定の場面ではあまり利用されてないという可能性があります。
著書に、好きなことを書いて、多くのことを言おうとする気持ちは分からないではありませんが、いっぺんに沢山のことを言うのではなく、小さい事実を積み重ねることも必要ではないかと思いますね。その方が、大勢の研究者の手を借りられるので、研究が進みやすいかもしれないし。


法学の人たちにも共通するように思うが、きちんと学会なりで基本的な用語の定義を決めるべきと思います。議論の土台となるべき「専門用語」が、論者により意味が違って用いられていると、それでは学術研究になっていないのでは?

それは、どの経済学者に尋ねても、基本的に同一の答えが返ってくる、ということをもたらします。経済学者間の共通理解さえないのであれば、いつまで経っても体系的な研究推進なり、研究成果なりが得られないのでは?

経済学の学会が中心となって、学会の基本的部分や、共通部分の土台を構築するのは、一般的なのでは。日本の経済学には、「標準」に該当する基礎部分が欠落しているように思われる。


あと、日銀やesriのペーパーは論文体裁としては、割とそれなりになっていることが多いと思うので、政策担当者たちは勉強する機会を設けてみては?
毎週○曜日の朝は、メンバーが順番に論文を紹介し、概要等を解説・質疑も担当者が受けて答える、というような。偉くなった人たちは忙しくて参加できないなら、比較的年次の低い若手中心でやるとか。始業前の、任意の勉強会だけどな(笑)。

例えば「FTPLに関する論文A」を選んだとして、内容を解説するのと、参加者たちから質問が出るので、それに返答しなくてはならない。返答する為には、自分自身がよく理解しておく必要があるし、周辺論文を調べたり読んでおくとか、最近の議論のテーマはどういうものがあるか知っておく必要があるとか、勉強になることは多いと思うわけですよ。


大体、研究者と標榜していたって、ろくに文献や白書やらを読んでもいないという人たちは多いわけで、そんなんでは学術面での水準が向上するということなど到底期待できんでしょうな。まずは、教授クラスをどうにかした方がよいのでは?


あーだこうだ、と議論になったら、「Xというペーパーをお読みください」と提示すれば、ある程度時間の浪費を回避できるものを、そういう蓄積が乏しく、共通の土台とか理解が存在してないので、延々と同じ質問なり議論が蒸し返されることになるのである。


そういうことを、誰もおかしいと感じてこなかったのか?
日本の経済学の「学界」というものは。
それが、あまりに謎過ぎるのである。


ああ、専門家でも何でもないド素人に、あれこれ言われたくないわ、それはお前が経済学を全然知らないからだ、といった批判はあるかも。確かにそうです。けど、素人から見ても、余りに酷い状態になっているとしか思えないですね。



参考:

EBPM(Evidence based policy making)という観点から、経済財政諮問会議を批判した記事がこれだ。拙ブログは、経済素人であるが、普通に考えるでしょうに。素人ですら、一回りも前に気付ける程度のことを、12年も経った今になって「EBPが…でんでんw」って言いだす経産研の気が知れんわ。

05年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c45eedda9a203837477c5a8278db2f19


一方、経済学者等、専門家たちは、自らの経済学的分析結果について、その後、誰か検証したりしましたか?

例えば>http://www5.cao.go.jp/j-j/kozo/2005-12/point.pdf

岩本康志東大教授は、自らの分析結果については、どういった評価をされているのか?経済学者自身が、PDCAサイクルなんぞ回してはいないという見本なのでは?

屁理屈で分析をやった、政策決定に大きな影響力を誇った、で、その結末はどうだったの?
政策は、妥当性が高かったのか?それとも不十分だったのか?こうした事前分析は何がどう役立ち、どこが不備だったのか?無駄だったのか?


経済学の連中は、そういう具体的な方策を自ら検証したりはできんのだよ。言いっ放し、やりっ放し、評価も反省もなし、そういうことでは実践では使えんね、ってことになりがちでは?だって、過去の知見を「次に活かす」という、基本姿勢が欠落しているから。だから、同じような失敗を積み重ねるだけなんだよ。同じ種類の毒キノコ食って、まんまと中毒になってるようなもんだ。
学問も、知識も、データも役に立ってないのさ。だって、自分たち自身が、活用しようとしないから。だから、いつまで経っても、蓄積の効果がないんだわ。

福島原発事故と同じだな。態度と、思考の根本において。
それで学問と言えるのかね?



それから、データをどう用いるか、という批判等。

06年11月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/94b7bbd3d914ebf85129940256f53ebc


その他諸々:

10年8月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e8394844963d7edcde10376abb8b3196

12年10月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/df7d3aa0138ab4ad8af5571420140704
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/801cbb53e39bf3cfb73f3ba326833dc7



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