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福島第一原発~重大事故の連鎖

2011年03月22日 03時00分21秒 | おかしいぞ
現在も予断を許さぬ状況が続いている福島第一原発(以下、『1F』と略)であるが、自信満々の菅総理がこのような事故を生み出した元凶なのではない、ということは言えるだろう。

東電の負うべき賠償責任について、政府が肩代わりするといった観測記事のような報道があるようだが、経営陣を含め、会社としての責任を問われるのは当然であろう。


東電の清水社長が会見で述べたところによれば、今回の事故は平たく言えば「津波のせい」ということらしい。地震対策をやっていたが、想定外の巨大津波の襲われたので今回のような事故になってしまったんだ、ということだ。

時事ドットコム:「心からおわび」「安全確保に全力」=経営責任明言避ける-東電社長

菅総理に悪い結果の責任を押し付けようとする連中がいるようだが、それはお門違いだ。そもそも、東電経営陣に重大な責任があることは明白である。津波は確かに酷い被害をもたらしたかもしれないが、それが決定的な原因であったかどうかは疑問の余地がある。


事故初期から、振り返ってみよう。


①発端は非常用ディーゼル発電の停止

地震で原子炉停止となってから、まず起こったのが外部電源の故障だった。11日web朝日記事によれば2系統のうち1つが故障停止となった、ということだ。そこで非常用ディーゼル発電が起動されたのだが、津波で停止したようだ。

11日>asahi.com(朝日新聞社):東電、福島第一原発、外部電源が一部故障 - 社会

清水社長が津波のせいだ、と主張したり、一部マスコミの論調としても津波で非常用発電機が停止したことが事故をもたらした、というようなものが見られるわけだが、本当にそれが決定的な要因となっていたのか。

これが大いに疑問だ、ということである。
何故なら、1~3号機の全てが冷却・注水機能を失っていたかといえば、そうではなかったようだから、である。

原子力安全・保安院(以下、『NISA』と略)の発表によれば、15:41停止、同42 10条通報(1~3号機)、16:36 15条事象通報(1号機、2号機)、ということだった。
3号機は多分冷却装置が動いていた。
2号機の水位が確認できない、というようなことから始まり、その後に1号機の問題が報じられた。ディーゼル発電が失われたからといって、最初から全ての炉で冷却ができなくなったわけではなかったということだ。つまり、津波が、必ずしも全部の炉の問題を引き起こしたわけではない、ということである。

それなのに、事実を誤魔化して、何でも天災のせい、想定外の津波のせい、というふうにしようとしているのではないか、ということには注意しておくべきであろう。


②初動の問題が被害を拡大した可能性

当初から、1、2号機の冷却機能が止まっていたとは思われない。前記で紹介した朝日記事では冷却系は動いている、とされていた。また、11日の枝野官房長官会見では『炉の一つが冷却できない状態になっている』と発言があり、恐らく2号機は冷却系が作動していたであろうことが推測されるのである。これは非常用ディーゼル発電機が喪失した後であっても、ということである。

すなわち、電源の問題とは別の故障、ということが考えられるのである。朝日記事には、『電源を必要としない一部冷却系も、弁が動かないため炉心を冷却できないという。』との記述があることから、1号機の隔離時冷却系が作動せず、それは弁の不作動=自動減圧系(ADS)の故障?ということが推測される、ということなのではないか。12日未明の記事では、2号機の一部電源が確保されている、とあったので、2号機は冷却系が作動していたと考えてよいはずなのだ。

12日>asahi.com(朝日新聞社):福島原発、放射能放出も 冷却装置が停止 - 社会


電源車が51台確保し向かわせた、という発表があったこと、深夜頃には敷地内に数台の電源車が到着したという説明がなされた、ということ、これらから初期段階で既に電源復旧は着手されていて、電源接続に全力をかけていればということはあるかもしれない。

12日未明から早朝にかけて、1号機の圧力上昇が報じられたわけだが、少なくとも2号機は隔離時冷却系が動いていたであろう、と。3号機は発表時の話題にさえ上っていなかったのだ、ということだ。
更に、ひょっとすると1号機の隔離時冷却系は、当初に動いていた可能性もある。朝日記事では、
『別の装置で炉心に水を入れて冷やしていたが、午後8時半にはそれも止まった。』
と書かれており、ADSの故障から1号機だけ隔離時冷却系が機能しなくなってしまった、ということなのかもしれない。

12日早朝に、15条通報があったのだが、この内容が不明である。1号機は5:22、2号機が5:32ということである。この12日朝までの段階が、その後の運命を分ける重要な時期だったように思えるのである。ここで適切に措置が実行されていたなら、ここまで大事にはならずに済んでいたのではないか、ということである。


③1号機の爆発

12日早朝にかけて、1号機には2万ℓ以上の水が注水された、とのことだ。NISAの説明では、水位計が故障しているのかもしれない、などといった解説さえなされていたようなので、この時点までで、東電もNISAも甘く見ていたのではないかと思えるわけである。

そして、1号機の圧力が上昇を続けていることに焦りだした東電が、蒸気放出開始できたのは準備から数時間も経過した、14:40からだった。
電源復旧の為の作業も、依然としてケーブル接続中、という形式的な説明があるだけであった。結局、何号機に電源車が電力を復旧できたのか、といった情報は全くないままだ。

そうして遂に1号機の水素爆発が起こってしまったのだ。
15:36頃らしい。海外テレビのCNNなどでは、その映像がニュースで流されたらしいのだが、日本ではどの報道機関も沈黙を貫いたようだ。しかも、東電もNISAも隠蔽しようとする姿勢のままのようだった。

NISAのプレスリリースでは、
『直下型の大きな揺れが発生し、1号機付近で大きな音があり、発煙が上がっていることを確認』
などという、まるでオブラートにでも包んだかのような形式的発表をしていたのである。

余震のせい、とでも言わんばかりの、「大きな音」「発煙」というソフトな表現で情報を正確に伝えないようにした、と言われても仕方のない発表をしたのだ。決して、「爆発」とは言わない、映像も見せない、という、情報操作を行ったということだ。
菅総理の海水注入決定は、夜の8時頃にまでずれ込んだのだった。
この時点でさえ、2号機と3号機の注水・冷却機能は作動していた。事態を重く受け止めていれば、その後の惨事を招かずに済んでいたかもしれないのだ。


④3号機は高圧注水系が作動していた

11日以降、1、2号機に問題が発生してはいたが、3号機は高圧注水系が生きていた。外部電源なしでも動く隔離時冷却系とは違い、非常用電源などを用いる高圧注水系が動いていたということなのである。非常用ディーゼル発電が死んだのに、どうやってそれを動かせていたのだろうか?
電源車?でも、それが到着したのは、深夜過ぎだったはず。その時点では、1、2号機が問題の中心だったはずで、3号機には特に何もしていなかったのでは。
それとも、元々バッテリーがあったのか?発電できなくても、大きい蓄電池みたいなのがあれば、高圧注水系のポンプが動かせるということなのか?

そうすると、3号機だけがバッテリーで作動というのも、不思議なのだ。どうして、1号機や2号機も同じようにバッテリーで動かさなかったのだろう?バッテリーが常備してなかったとか?あったけれども、電池切れと同じような状態だった?

13日朝5:10に、この高圧注水系が停止してから、隔離時冷却系も動かず冷却機能喪失となってしまい、通報となった。その後、13時過ぎから、海水注入が開始された。
(この時点でも、2号機は注水機能が維持されていた!)

14日になって、3号機の水素爆発が起こり、その映像をNHKが捉えていて、全国放送されたのだった。NISAはようやく、この爆発以降、情報を出すようになり、爆発という表現を用いるようになった。隠蔽は困難になってきたから、ということであろう。事故発生から3日も経つまで、NISAの連中には事の重大さというのが分かっていなかった、ということだ。


⑤そして2号機も爆発

注水機能が保たれていた(RCIC?)2号機だったが、14日の3号機爆発後に冷却機能喪失となり海水注入が開始されることになった。

15日朝、圧力抑制プールの爆発破損の可能性が発表された。


更には、点検中で稼動していなかった4号機までもが、火災発生となったのである。



11日~12日の動きが、問題を大きくすることになっていなかったか。
東電やNISAは、正しく対応できていたのか。
情報をきちんと出していたのか。

津波で動かなくなった、本当にそんな理由付けでいいのだろうか。


疑問は少なくないのである。




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