悔い改めた人の死刑にこそ意義がある

2007-05-27 00:43:37 | Weblog


「死刑は廃止してはならない。
 死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、
 犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を
 贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で
 真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった
 人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを
 思い知ることで等価だ、という真実の裏返しで、そこで
 初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳
 を社会が知る、そこにこそ死刑の意義があるのだ」


本村さんの言葉だということで紹介されていました。

池田小事件の犯人は死刑を望んでいて、比較的早く執行されましたが、その意味において彼の死刑は無意味だったのかもしれません。おそらく本当の意味で反省の気持ちも持たず、更生する時間もなかったでしょうから。

奪われた者の命に匹敵しない価値のない命では贖いにはならないというのは、キリスト教的発想かもしれません。

オーラの泉の荏原氏はは、この世で自分の問題にきちんとけりをつけないで死んでしまった場合、次の人生もまた同じことを繰り返すと説明していたことがあります。このまま今回の「山口県・光市の母子殺害事件」の犯人を死刑にしてしまった場合、また同じ残忍な人間のまま生まれ変わるということになりそうですし・・・

しっかり反省させ、更生させ、その後死刑というのが正しいあり方なのですね。



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