善意の捏造が悪意に利用されるまで

2005-05-19 15:36:36 | Weblog
サハリン残留朝鮮人の2世が来日、日本に謝罪と補償を求める

◆【産経抄】 沖縄・集団自決
<何とも痛ましい事件だった。が、その悲劇性に輪をかけたのは、この集団自決が両島に駐在していた日本軍の隊長による「命令」だったとされてきたことだ。戦後、地元の新聞がそう書いたのをはじめ、沖縄県史などにもそう書かれてきたのである。

 しかしその後、曽野綾子さんの『ある神話の背景』などさまざまな調査で、これが偽りであることがわかる。特に座間味島では「命令」があったとする唯一の証言者だった女性が、島の長老に頼まれてウソの証言をしたことを告白する。命令説は完全に崩れた。

 民間人が戦争で亡くなった場合、軍の要請で戦闘に協力したのなら、遺族年金などがもらえる。そのための悲しい口裏合わせだったのだという。「命令」を出したとされた隊長もそうした事情や、住民を自決から守れなかった責任から沈黙、不名誉に甘んじていたのだ。>


こうやって真実が隠されて、捏造したことが真実となって流布されてしまったことはいったいどのくらいあるのだろうか。

まだ証言者が生きているうちに、歴史資料が散逸してしまう前に、甘んじて罪人であることを受け入れた人たちの無実や真摯な思いを、証明してあげられたらと願わずにはいられない。

自分たちは傷ついた傷ついたと60年間賠償を求めて騒ぐ人たちは、この60年間にどれほどの同胞やアジアの人たちを自分たち自身が傷つけてきたかの反省もない人たちだということが許せない。
彼らは被害者である人たちを利用するだけで、本当に犠牲者を悼む気持ちなどあるはずもない。そんな気持ちがあるなら、同胞を簡単に抹殺したりしないはずだもの。自分の都合で反日暴動を理由に同胞を逮捕したりしないでしょう?そもそも自分が煽ったことなのに。なんというご都合主義。

そしてもっと許せないのは、いえ絶対許せないのはイデオロギーのために同じ日本人の罪を捏造することに加担する日本人。