あるSEの業務日報

日報代わりの記録です。

叔母の命日

2016-08-31 04:46:18 | 出来事

 1年前の今日、8月31日に叔母が亡くなった。明日9月1日に法要が行われる予定。

 1年前の事を思い出して振り返ってみると、叔母は春からずっと入院していたが、8月になって意識がない状態になり、8月31日の午前11時50分に永眠した。ずっと父が看病しており、8月28日金曜日だったと思うが、もう長くない様子なので夜間は私が付き添うことにした。いつも深夜は起きていいるので私には都合が良いのだ。テレビもあったのだが地上波しか映らず観るつもりはなく、ずっとスマホで本などを読んでいた。だが深夜の病院は本当にやることが無い。叔母は眠ったままであり、時折看護師が巡回に来るだけだ。病院の5階は6年前に私が脳梗塞で入院していた時で、叔母の病室は2つ隣が私の病室だった。私の時はずっと満員の状態だったのだが、今の病室はどれも空室の状態になっている。数年前に大きな手術などは北見の病院で行う事になったようなので、その為なのかもしれない。空っぽの病室は何とも寂しい感じだ。その日は明け方まで何事もなく帰った。

 29日土曜日。夜7時に父と交代のため病室に入る。叔母がたまにうなされて体が動くようになり、看護師さんの話では意識はないが、痛みに反応したらしいとの事。「叔母さん」と声をかけても反応はないので、ますます辛い。それと確か花火大会があったと思うが、病室は反対側なので見ることはできなかった。後から考えると食堂なら見えたのかもしれないが、花火を見たいとも思わなかった。9時くらいになり、楽天銀行で入金しなければならない用事があって、近所のセブンイレブンに行くが、ドーナツを初めて買ってみる。ワールドビジネスサテライトでプレス発表をいち早く報じられて気になっていたが、せっかくなので翌日にはじめて食べた。

 30日日曜日。やはり夜7時に父と交代するが、昨日よりも激しく体を動かすようになり、目にガーゼが覆われていた。痛みで目を見開いてしまうので、そのための処置らしい。また心電図などのモニターが付けられて、心拍数や血圧の数字が表示されている。夜11時を過ぎたあたりだと思うが、激しい痛みがあるのだろう。ピッピッピッとアラムが鳴って看護師さんが駆けつけてきた。血圧が180を超えている。それまでは最高血圧が60を下回っていたのに、突然跳ね上がったのでアラームがなったのだろう。私は看護師さんに「今朝まで持ちますか?」と尋ねた。「難しいかもしれません。」と厳しい表情。寝たきりで動かないはずの脚が痛みで上がろうとするのだ。思わず「痛みを和らげる事はできませんか?」と質問すると「先生と相談します」と当直の先生が来てくれて、点滴に注射を入れてもらい、少し痛みは納まったようにおもえた。だが、午前1時を過ぎたあたりに、再びアラームがなり看護師が飛んできた。「父を呼んだ方が良いですよね。」と看護師に尋ねると「そうですね」と厳しい表情。スマホで父を呼び出した。10分くらいですぐに来たので経緯を説明し、「痛みを和らげる薬をいれてもらったけど、時々激しく体を動かしている。朝まで持たないかもしれない」と話した。午前3時くらいに父が、3日間夜つきそってくれたし、休んでいいと交代してくれた。病室は座りにくく正直、疲れていた。

 それからだが、午前7時には私の従妹も来てくれたそうで、父と共に11時50分に最後を看取ったそうだ。私は最後のお別れはできなかった。

 あれから1年。たいへんお世話になったおばさんに、あらためてご冥福をお祈りします。

 

 



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