還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

篠山波々伯部神社例祭

2013-08-05 20:45:10 | 日記
篠山市は兵庫県にありながら京都府に隣接していることもあって、京都文化の影響を色濃く受けているように思えます。
街並みもそうですし、祭りもそのように思えます。(同じ地方紙でも神戸新聞よりも京都新聞を購読している人も多い)
その篠山市の東方、京都府に近い宮ノ前にある「波々伯部神社(丹波の祇園さん)」の例祭が8月の3、4日に行われました。

波々伯部神社の創建に関しては諸説があるようですが、承徳二年(1098)波々伯部村の田堵(有力農民)十三名が二十五町八反余の田地を八坂神社に寄進し、荘園・波々伯部保となり、祇園社を勧請した(京都八坂神社の古文書)のが始まりと言われています。



室町時代末期の延徳2年(1490年)に建てられたと言う珍しい青銅製の鳥居。篠山市の有形文化財に指定されている。


参詣道、氏子の各集落から8基のだんじりが午後1時にここを通って宮入します。

それぞれ地元の子供(男女)が乗り込んで笛、太鼓、鉦で囃子ます。


神社です。ここで8基のだんじりが集合して神事が行われます。



だんじりの大きさはそうでもないのですが、周囲の見送り幕が豪華で歴史を感じさせます。

舟形のだんじりも2基あります。


御旅所(オトシモリ)への巡行を先導するお稚児さん

境内で神事を執り行ったあと2時半に約600m西方にある小さな大歳森神社へ巡行します。

猿田彦を先頭にホラ貝、獅子頭、踊り子、お稚児さんなどが8基のだんじりの先導役を務めます。





のどかな田園風景の中を行く渡御行列、素朴な風景が魅力的でした。


三年に一回奉納される「おやま(キウリヤマ)」、2基あります。
今年は上手い具合にちょうど3年に一回の年にあたりました、偶然ですがラッキーでした。

波々伯部神社が天正7年(1579年)に明智光秀の丹波攻めで焼失し、天正17年に豊臣氏の命により再建されたのを祝って、当時華やかな京・祇園祭の鉾山を参考に手持ちの材料で「おやま」を建造し、手作りの神事芸能を奉納したのが起源だそうです。
キウリヤマの上部は青竹で組まれた枠組みに青と白の幕が張られ、デコ(木偶)ノボウと呼ばれる操り人形による人形戯を奉納する舞台となる。
デコノボウは六体一組で二組十二体あり、頭と胴串だけの素朴な作りですが、文楽の元型となる大変貴重なもので県の無形民俗文化財に指定されています。

本場の祇園祭のような派手な賑やかさはありませんが、素朴で地元に密着した本来の祭り行事のように思えました。
田舎のことなので観客よりも素人カメラマンの数ばかりが目立ちました。
それにしてもどこへ行ってもカメラを持った元気なお年寄りが多いですね(エッ、お前もその一人だろうが・・・って)

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