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講演“マツダのブランド価値経営―イノベーションの現場から”を聴いて

先週、神戸商工会議所主催の“マツダのブランド価値経営”という講演会があった。公益財団法人ひょうご産業活性化センターからのメルマガ“HEDニュース”に掲載されていた催し物の標題を見て、最近のマツダの経営革新とその結果の躍進について聞けるものと思って、思わず出先でスマホから聴講を申し込んだのだった。講演会場はポート・アイランドにある商工会議所本部の神商ホールで、講演者は何と代表取締役会長の金井誠太氏であった。

私のファースト・カーは80年代に爆発的に売れたマツダの青いファミリア(本当は“赤いファミリア”が有名)で、当時はワーゲンのビートルを売ってファミリアに乗り換える人が出るほどで、小型車にしてはスタイリッシュな超人気車種で、当時辛口自動車評論家・徳大寺有恒・著“間違いだらけのクルマ選び”でも絶賛されていた。それが購入のきっかけだった。
実際に乗ってみると運転席は私の身体にピッタリの感覚で、非常にすわり心地というか、運転心地の良いものだった。その第一印象とベテランの販売店営業マンの人柄に魅かれて、その後も、カペラ、プレマシーとマツダの車ばかり乗っていて大きな不満はない。なのでレンタカーもマツダにしていて、他社の車に乗れるのだろうかと不安を持つ程である。
その間、90年代初頭にルマン24時間耐久レースで優勝。未だに他の国内メーカーでこれを達成した会社は無い。またこういうことがあってか、ヨーロッパではマツダ車は幾度もベスト・インポート・カーとなっていて、人気は高く、シェアも取っている。最近ではジーゼルの新型エンジン車を発売しているので、フォルクス・ワーゲンのシェアを順調に食って行くのではないかと勝手に皮算用している。

また、株も所有している。素晴らしい経営革新の中にあっても、世間からの評価は無配*1)だったこともあってか低く、千株100円で低迷していた12年夏頃に結構な量といっても私の財力でも簡単に買える範囲だが、その後300円以上に値上がりし、2~3千株を残して売却。そもそもこういう会社の株価を低迷させている世間が悪いのだ。しかし、株主総会は広島で開催されるので行ったことがない。最近は復配もしているので、今年あたりは行ってみたいものだ。その時に何か施設見学をできればありがたい。工場については、かつて80年代だったと思うが、広島で鉄鋼協会の論文発表会に参加した際に、見学会で見た記憶がある。このマツダの代表取締役会長の講演なので、経営者の肉声を聞いてみたいと思ったのだった。

*1)2014年より復配し、2015年は年間10円の配当。(現在は単元株100株で株価1,744.5円[16.4.28終値])

実際に会場に行ってみて少々落胆。というのは、講演の事前資料配布はないのだ。慌ててメモ用紙を準備しなければならないが、A4レポート用紙1枚しか持ち合わせていない。チラシの裏面も使って何とかしなければならない。
事務局側から講演者数は主催者予想より多い約200名ということだった。また講演の初めに、“マツダのロードスターが2016年「ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー」「ワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤー」をダブル受賞の快挙をなされました。”との紹介があった。

副題は商工会議所側の提示は“ブランド強化のためのイノベーションの起こし方”であったが、講演が始まるとパワポの副題は“イノベーションの現場から”となっていた。冒頭、講演者はこの点に、“違っていて申し訳ないが、私は今日これでしか話せませんので、よろしく。”との率直なエクスキューズであった。次に自己紹介として、1974年入社でズーっと開発畑を歩いて来たので、そういう人間の目を通しての話であることを了承して欲しいとのことだった。
次いでマツダの現状と歴史についての概要から始まった。1920年創業の会社。輸出先:130ヶ国以上、グローバル販売台数:130万台以上、売上:3.0兆円、従業員:44,035名(連結)、世界シェア:~2%、海外販売比率:55%、国内生産能力:100万台/年弱(広島、山口)、海外生産拠点:メキシコ、中国、タイ等。(講演メモ及びホームページから記載。食い違う場合は聞き間違いを考慮してHP優先。)
広島には歴史的に“たたら製鉄”の伝統があり、日本中に過半の鉄を生産供給していた。そうした歴史的背景のある広島に創業し、三輪トラックを1931年より生産し、戦時下は民需品の生産には圧力があったが、愛称“グリーン・パネル”として生産販売を継続した。
第1期[1920~1945年]東洋コルク工業として創業。1931年に三輪トラックの生産開始。
第2期[1946~1978年]乗用車のフルラインナップ完成。ロータリゼーション(実用化困難とされたロータリー・エンジンの開発に成功し、実車搭載、生産・販売)で注目を浴びる。その後、オイル・ショックで苦境に。
第3期[1979~2000年]自動車ビジネスのグローバル化が極まる。フォードとのアライアンス(資本提携から始まって経営悪化後はフォードから社長就任)。社名をマツダに変更。90年代にバブル崩壊により、経営苦境へ。

“ロータリー・エンジンの実車化”、“赤いファミリア”、“ルマン耐久レース優勝”、世界一売れたスポーツ・カー“ロードスター”等に見られるように、高い開発・生産技術や業界の常識を打ち破る商品を提供しながらも、激しい浮沈を繰り返す経営の歴史であった。これは販売数量を上げることだけが最優先の近視眼的ビジネス・オペレーションのためによるものだった。具体的には、製品のフル・ラインナップにこだわり、販売チャンネルの拡大に走るという売上至上主義で、無理な値引きをしてでも強引なプッシュ・プッシュ販売をしたため、ブランドを大きく棄損した。輸出型であったため円安で好調になり事業規模拡大に走ったが、これが円高になると経営の足枷になってしまい、借金苦となった。ブランドを重視した需要プル型経営に切り替える必要があった。

このマツダに対し、フォードが考えたのはブランドの特長をどうするかだった。フォードにはリンカーン、マーキュリーの自前のブランドや買収したジャガー、ランドローバーもあって、そうした世界戦略の中での位置づけが課題となった。そこでマツダの尖がった商品の代表であるロータリー・エンジンのRX-8やロードスターに見られるように、スポーティのイメージを伸ばす車のワク・ワク感を強調した軽快なエンジン音の英語擬音語“Zoom-Zoom”をキィ・ワードに掲げることとなった。

足回りの設計をすることが講演者の仕事だったが、90年代にドイツに行ってカペラで、国内では経験できないアウトバーンを170㎞/hで走ってみたら恐怖感で汗びっしょりになった。その後ベンツやBMWで走ってみると、安定感が素晴らしく、そうならなかったことに衝撃を受けた、ということだった。
そういう経験をもとにアテンザの設計主査として、魂を入れて良いものを作ることに専念した、という。目指したストライク・ゾーンはイン・コース高目の難しい所で“Zoom-Zoom”を目指す。世界一の速球で世界のベンチ・マークになる(真意が理解できていないが、画期的製品ということか)。フォア・ボールやデッド・ボールは不可、つまり環境・安全を無視せずに一球入魂する、という姿勢で設計した。(アテンザは2003年に市場投入されている。)

リーマン・ショック前の2006年に10年後の2015年にはどのような姿になるべきかのビジョン策定に入ったという。モノづくりで世界に貢献するマツダならではは、何か。独自の世界No.1のZoom-Zoomの実現。環境と安全への配慮。“楽しくなければマツダでない”、さらに持続的なワクワクと“全ての御客様”に普及できる技術の提供、であったという。“ロマンとソロバンの実現”それが取りあえず、2007年の技術開発の長期ビジョン「サステイナブル“Zoom-Zoom”宣言」となったという。それは、尖がった技術を頂点にして、左右に環境と安全に枝を伸ばした“Zoom-Zoomの木”として可視化された。

そのコンセプトに沿って、ビルディング・ブロック戦略が構築された。それは先ず、自動車会社としての基本技術は何かを見極め、その基本の上に安全と環境を極める技術を載せるという考え方だ。そのベース技術は最重要・最優先されるべきもので、次世代エンジンの開発であり、効率の良いトランスミッション、車体・足回りの剛性確保、これら全体の軽量化である。その上に、アイドリング・ストップや効率的な減速エネルギー回生技術、電気とのハイブリッドやEV、PHEV技術が載るというイメージだ。特に電気デヴァイスは少しずつ段階的に積上げて、価格的に手頃なモノを目指す。燃料は30%しか有効に使えていないのであるから、15%改善でも大きな前進と捉え世界一の圧縮比を実現させる。軽量化は100kg以上とする等々具体化させる。これで環境面での燃費改善は20~30%は可能となる。

次に安全面での改善。これは自動運転として注目されるがそれは究極“無人運転”を目指すものなのか。マツダとしては“走る喜び”を目指したく、そこでは“誤操作しない”、“思った通り動く”だが、それには“(危険には)車が警告し、ついには自動ブレーキ介入”となるシステムを目指す。また“事故を起こしても、致命的にならない”ようにしたい。
最近のマツダの具体的対応は、前方視界つまり左右特に運転席に近い側の斜め方向の視界を遮っているAピラーを後方へずらし、ドア・ミラーと車体の間隔を空けるようにしている。誤操作防止にはアクセル・ペダルとブレーキ・ペダルの間隔を広げるために車輪を前へ出す設計とした。
デザインの改善も“魂動デザイン”として進めている。これは“生命感あふれる心ときめかせる動き”が出来る車であること。一目見て“欲しくなる”、“マツダと分かる”車を目指すことである。ここまでが、“ロマン”。

“ソロバン”については、長期的・安定的収益の確保に尽きる。それは計画通りの新製品の市場導入である。これは2012年頃から一斉に切り替わった。製品としてはSKYACTIVの投入、それを支える“モノ造り革新”の実施であった。
開発から市場導入に5年、市場導入から展開完了まで5年かかるのをもっと短くし、多品種少量生産に対応できる体制の構築を目指した。そのために、“将来導入する車種を車格やセグメントを越えて一括企画することで、共通の開発方法や生産プロセスを実現し、より効率的に多品種の商品を開発・生産する”ことへ取り組んできた。“開発面では「一括企画」による、多様な車台(プラットフォーム)や部品の基本骨格(アーキテクチャー)の共通化”を実施し、“生産面では、台数変動、新車導入などにスピーディかつ最少投資で対応できる柔軟な生産体制”を築いて来た。つまり、開発のデザイン段階で既に生産技術者を参加させ、決定されたプロトタイプのデザインが生産設計の段階で修正され本来のデザインの醍醐味が失われてしまうことを防いでいる。(提携先のトヨタはこの点を高く評価しているようだが、マツダはそこだけに価値があると見ているのだろうか。)

一方、ブランド価値経営の一環として、販売姿勢の方向転換も必要だった。PushからPullへの“つながり革新”つまり (“規模は小さいが、顧客にとってなくてはなら ない「one a nd only」のブランドへ”*2)の)“ブランド・ロイヤリティ”の確立。それには高品質の製品、価格、人材、店舗、販促の態様の変革が要求される。
このための“新コーポレート・ビジョン”を2015年に発表した。それは、“私たちはクルマをこよなく愛しています。人々と共に、クルマを通じて豊かな人生を過ごしていきたい。未来においても地球や社会とクルマが共存している姿を思い描き、どんな困難にも独創的な発想で挑戦し続けています。/1. カーライフを通じて人生の輝きを人々に提供します。/2. 地球や社会と永続的に共存するクルマをより多くの人々に提供します。/3. 挑戦することを真剣に楽しみ、独創的な“道(どう)”を極め続けます。”である。

*2)講演では語られなかった部分。HPより補足引用。

以上が第4期[2001年~現在]の“ブランド再構築”の動きだった。こうして、ブランドメッセージの“Zoom-Zoom”を具現化し、リーマン危機を少しずつ乗り越えて来た。現状、国内生産比率が高く、そのため海外輸出比率も高いが、地元広島を大切に考え、国内生産は維持して行きたい。

ここまでで、重要なのは“バック・キャスティング”だったという。“未来を見据えた上で、足下を見て発想し、現実化する”こと。先ずは現状に捉われずに未来を語る。真剣に語っている内にそうなりたいと思うようになる、という。しかし、そこには障害があり、それを乗り越えなければ明るい未来はない。そして、10年後には現在の商品群は全て無くなっていることになる。これを実行して行くならば、5年後にはその一部が始まっていなければならない。つまり現在の商品群は一部が無くなっていなければならない。この段階に至って、人々に不安がよぎる。これが最大の障害となる。“これで正しいか”、“大丈夫なのか”、“集中と選択は誤っていないか”、“他社に遅れないか”等々の不安だ。具体的にはハイブリッドや電気自動車対応はこれで十分なのかという声だったが、資源が十分でないマツダにはそこに集中せざるを得ない。ここで、その不安を取り除くのが経営者の仕事であり、“夢と希望を与え、自信と情熱と誇りを持って仕事をしてもらうように”説得することだったという。(しかし、こうした姿勢は、最近の三菱自動車と違ってマツダを成功に導いている。)

技術的ブレーク・スルーについては、品質vsコスト、軽量化vs強度・剛性・・・等の一見して相反する特性を180°の線上で引き合うものと考えるのではなく、90°の直交するグラフ上に載せて、双方の特性が右上に行くような方策を考えることで解消させる姿勢が重要。
それから芋虫変革、つまり小さな改革の積み重ねで、遠くへ行くことを目指す。あまり焦ってつつき回すと萎縮して前進しなくなることに注意しなければならない。
PDCAマネジメントが言われるが、通常はCA重視型とPD重視型のマネジメントに分かれる。その内CA重視型の仕事の進め方が多いが、これは頂けない。物事がうまく行かなくなった段階で、PDで何故やっていないかを担当に迫っていることだ。これと反対なのがPD重視型マネジャーで、計画しておくべきことを最初に確認し指示する。そして、初期段階で問題を察知し、英知を結集して解決を図る姿勢が大事だ。初期であれば問題は小さいことが多く解決しやすい。これが本当のフロント・ローディングだ。このタイプのマネジャーは目立たないことが多いので、経営陣にはそれを見抜く力量が求められる。

エンジニアにはknow-howよりもknow-whyが重要である。マニュアルにある“○○の時は××しなさい”に従うだけでは、現場のオペレーション力や問題解決力は育まれない。“何でもマニュアル”、“何でも分業”、“何でもパソコン”では力不足のエンジニアになってしまう。メール<電話<面談<現場や言葉<画像<現場<俯瞰図の活用という優位度を理解しているのは重要。“担当領域を熟知”、“周辺事情にも精通”、“5ゲン主義”、“自分なりのビジョン”、“自信と謙虚さ”を持っていること。“飽くなき挑戦”、“完璧な技術は無い”、“常に進化と挑戦”、“失敗はある。失敗は成功の素、成功は失敗の素。”、“優れた技術も普及してこそ貢献できる。そのためには手頃な価格であること。”という精神で仕事に取り組むべきである。

日本には資源がないので輸入に頼るしかない。輸入したモノを使って製品にして輸出できてこそ立国できる国だ。そのための技術が大切であり、知恵と工夫を重んじなければならない。だからこそ、日本の最大の資源は“人”であり、これを尊重しなければならない。
“得たものに当たり前はない”、“今の人の存在は幸運そのもの”、“人類の叡智の尊重”を踏まえて“自然の恵みと先人への感謝を忘れない”、“受け継いだ財産に知恵と工夫を付加して次の世代に引き継ぐ”、“次世代の人材を育てる”を実行して行きたい。
マツダには幸い結構人気があって、人材の確保は今まで困難は感じていないが、これからは難しくなるものと思っている。“人”を尊重して経営して行きたいと考えている、で講演は終わった。

受講時のメモを頼りに細大漏らさず書いたつもりだ。メモを見て理解できない部分はHPで確認した。その結果、申し訳ないが思わずダラダラ長くなってしまった。しかし、これが結構勉強になった気がする。
マツダの経営革新の第一歩は良い製品なら売れるハズという姿勢でプッシュ型販売ではなくて、ブランドを大事にする需要プル型販売を体質化した企業文化の変更からだった。そしてその後、企業コンセプトを明確にして それを愚直に徹底的に忠実に実行して行った。そのことによりリーマン・ショックのような外部環境の激変にも動揺せず、戦略を練って自らの決めた道に企業資源を分散させず集中して、コンセプトを製品に実現させて行った。正にPDCAのPDを重視することにより、効率的・効果的に巨大な競合他社の中で生き抜く姿勢であった。問題を起こした三菱自動車の研究開発費が、スズキより下位であると指摘されているが、マツダも贅沢に開発費を使っているようではない。しかし、こうした姿勢により経営は現在見事に成功しているし、その企業文化が持続する限り継続的な改善と成功が期待できるものと確信した。またブランドは重視するが、“手頃な価格”へのこだわりを捨てていないのがありがたい。
真面目で尊敬おくあたわざる会社として伸びて欲しいものだ。いささかコンセプトが多すぎるのが気懸りだが、今後整理され、洗練されてくることを期待したい。

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