ボチボチかめさん

良い日本を夢見てきましたが 現実は遠のくばかり
のろまですが小さな脳で考えます
日本のこと 日本人のこと

連続テレビドラマ

2011-01-05 17:16:03 | つれづれ日記
たとえば一番、最初から、
「ちりとてちん」や「ゲゲゲの女房」をご覧になられた方は
鼻が利くと言わざるを得ません。

殆ど政治ブログが中心の方が、「ゲゲゲ」について
何度もエントリーされていて、そんなに良い内容であれば
再放送の時に見てみようと思っていました。

去年の暮れに三日にわたり総集編が放送され
録画していたものを見ました。

これは、最初から見れば良かったと後悔しました。

とても印象に残った「ゲゲゲの女房」のお父さんの
次のセリフを残しておこうと思います。

『一生懸命働いて それでも貧乏なら
堂々と貧乏しとったらええんだ。
それを周りの人まで巻き込んで
ええ風に見せようとするおめえ達の考えが
ワシは気にいらん』

父を送る帰り道にゲゲゲの女房がいいます。
『お父さん、お金はないけど わたし毎日、笑ってくらしてるよ』

そして、父の言葉

『そげか、、、、、、、。』


お父さんが言った、この「堂々と」が
今の日本人には欠けているのかも知れません。

テレビドラマを見ていても
えっ、世間の方は みなさん こんな大きな家に住んでいるの!?とか
みんな、このような高級レストラで食事をしてるのとか
そんなに、年何回も海外旅行とかと、たくさんの「えっ!?」があります。

それで自分の暮らしと比較して、自分がみすぼらしく見えてきたりして
どこからともなく、差別意識が生じ、妬みや嫉妬が生まれ
昔の日本では考えられなかった殺人や強盗、子殺し、親殺しが起きる。

どんな状況でも、現実を受けいれ「堂々と生きる」
わたしも見習わなくては いけません。




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6 コメント

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ゲゲゲの女房 (さらりん)
2011-01-07 13:45:06
ボチボチさま こんにちは。

そのドラマのどちらも見ました。
「ちりとてちん」の後は見事に落語にハマりました(笑)

「ゲゲゲの女房」は子どものときテレビで鬼太郎を見た私にとっては、
懐かしくもあり初めて知るエピソードも満載で見応えがありました。

♪お化けにゃ学校も~試験も何にもない♪
子どもの頃は、この歌詞を聞くたびに
お化けが羨ましかったものでした(笑)

ボチボチさまの述べられたシーンも良かったですね。
そういえば堂々とという言葉さえ余り聞かれなくなった気がします。

義手をつけたがらない茂の言う
「無いもんを形だけあるように見せても仕方ないですけん」

布美枝の姉のユキエの言う
「(遠くに行きたかったと)思うよ。
こっちで結婚して良かったと思うこともある。
どっちが良かったか考えても答えはないけんね。
選んだ道で一生懸命やっていくしかないわ」

誰かのようにではなく自分のあるがままを受け入れることは、
難しいことだけれど大切なことだと思いました。
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自分のあるがまま (ボチボチかめ)
2011-01-08 12:15:37
さらりん様は、鼻の利く方でいらしたのですね!

「ちりとてちん」の後は見事に落語にハマりました(笑)

あはは~ わたしもです。
一番上の兄さんが好きでした。昨年、柳川に墓掃除に行った際、
駅構内で一門の落語会のポスターがあり
さっそく、メモ、メモ。時間が合えば行ってみようと思っています。

貴女様が、書いてくださった言葉も、含蓄のある言葉ですね。
ここのシーンは、総集編ではなかったような、、。

>誰かのようにではなく自分のあるがままを受け入れることは、
難しいことだけれど大切なことだと思いました。

本当ですね。その通りですね。




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吊るし雛 (さらりん)
2011-01-08 21:30:07
ボチボチさま こんばんは。

一番の兄さんは草原さんですね。
私はテレビですが「愛宕山」を拝見しました。
長丁場の口演でしたが、とても面白かったです。

菩提寺は柳川におありなのですね。

柳川には「つるし雛」がありますよね。
私の生まれた地方は北前船の寄港地であり、
京都から古今雛や享保雛など多くのお雛様や御所人形が伝わりました。
今もそのお雛様に会うことができます。

その中で「傘福」という布で作った傘の先のひとつひとつに、
縮緬や友禅で猿っ子や軍配、宝袋などを下げ、
対でお雛様に飾ってあるものがあります。
その起源は、はっきりとはしないそうですが、
観音堂の天蓋として奉納されているものが多く、
庶民の現実的で切実な願いを込めて飾られたものだろうということで、
子どもが健やかに育つようにとお雛様に添えられたのではないかと言われます。

このときに柳川と伊豆の稲取に「吊るし雛」があることを知り、
それ以来、一度は訪ねてみたい街になりました。

稲取では初節句を迎える女の子のために、
祖母や姉、母や親戚縁者が幸多かれと願いを込め、
縁起物を一針一針縫い上げ送ったと聞きます。
その吊るし雛の多くはお嫁に行くときに、
嫁ぐ娘の幸せを願い焼き捨てたために、
古い原型はほとんど残っていないそうで、
何とも物悲しいような切ない親心を感じ、胸を打たれました。

形代として子どもの災いや病を引きうけてくれるように、
信心しか救いのなかった時代の親心が偲ばれます。

柳川とお聞きし、ついつい長くなりました。
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さげもん (ボチボチかめ)
2011-01-16 00:19:17
こんばんは。沙羅凛さま

「さらりん」を変換してみたら、こうなりました。素敵な漢字が集まりました。

その吊るし雛のことですが、柳川では「さげもん」と呼ばれています。
確か、2月中旬から「さげもん祭り」がおこなわれ、柳川の町がさげもん一色になります。
どこの家でも、とくに商店では店先にその家に伝わる「さげもん」をさげます。

さらりん様は、博識でいらっしゃいますね。私は地元ですが、知らない事が多いのでネットで検索しました(お許しを!


柳川さげもんは城内の奥女中が着物の残り布で、
子どものおもちゃや琴爪入れを作ったのが始まり。
そのうち、それらを下げて楽しむ様になり、今日に
至っています。
 
さげもんは、7X7=49ですが、子どもの健やかな
成長と人生50年と言われていた時代に、1年でも
長生きしてもらいたいという親の願い、さらに縁起
をかつぎ50という偶数では割り切れるので
さげもんの輪の中央に大きな毬を2個下げて51に
して飾るようになりました。
 
さげる順序は上中段に飛ぶもの山のもの木になる(咲く)
中下段に水中のも、の動物、人形を基本としてます。
最下段は這い人形、柳川まりになります
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ありがとうございます。 (沙羅凛)
2011-01-16 12:47:15
ボチボチさま こんにちは。

寒い中デモの会議へのお出かけ、お疲れ様でした。

さげもんの詳しい話をお調べ頂きまして有り難うございます。
琴爪入れから始まったとは初めて知りました。
下げ方、数、色々と謂れがあるのですね。
柳川の町の美しく華やぐ姿を是非見てみたいです。

眞子内親王殿下ご誕生の折に吊るし雛が献上されたとお聞きしました。
その作者の方の手による吊るし雛をお見かけいたし、
その作りの見事さに何度も何度もお店に通いました(笑)

立春を過ぎるとどんなに寒くとも春めいて参ります。
お雛様で祝ってもらう歳はとうに過ぎましたが、
今でもお雛様と聞きますと心が浮き立ちます(笑)
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桃の節句 (ボチボチかめ)
2011-01-18 16:28:41
沙羅凛さま

「さらりん」を勝手に変換して、改名したのに、さっそく使ってくださってありがとうございます。
もし、よろしければ 拙ブログでは「沙羅凛」さまでお通し頂けると大変、助かります。

私の勝ってな事情で申し訳ないのですが
脳が「さらりん」様と別の方を混同して認識しているみたいなのです(すみません

>寒い中デモの会議へのお出かけ、お疲れ様でした。

これね、、行ったのは良かったのですが、なんとなく引っかかるところがあって、、、。
ちよっと用心しながら(深入りは止めた方がいいかな、、)と思いながら帰ってきました。
だから、この時の様子も、いまはエントリー控えています。

ネットで調べたことを そのまま貼り付けて 手抜きのご返事を差し上げたのに恥ずかしいです。

柳川は、激流下りとは違う、川下りがあります。のんびりしたものです。
発展もしないけれど、廃れることもない柳川そのものです。秋の夕暮れか、春の夕暮れをお奨めします。

幾つになっても、うきうきしたくなる桃の節句は、もうすぐですね。

>立春を過ぎるとどんなに寒くとも春めいて参ります。

はい、これが主な理由だとおもいます。



 
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