こころがかるくなる心理カウンセラーかきかわのブログ

山口市で心療カウンセリングルームを営みながら日常のエピソードをまじえて泣いたり笑ったり感情を動かすお話を掲載しています。

義母のお葬式にて・・・

2011-11-01 20:44:35 | 日記
なぜ、今、義母なのかよく自分でもわからないのですが、今夜は6年前に他界した義母のことが
思い出されて・・・ご葬儀の時のお話をしたいと思います。

現在の住まいは山口県ですが、それは夫の転勤で移り住んだのがきっかけです。
私の生まれは大阪、夫は徳島です。

徳島の実家は阿南市の山間部にあり、昔ながらのご近所の繋がりを大切にされているところです。

夫と結婚した時にはすでに義母は施設入所中であり、年に一度ほど施設にお見舞いにうかがう
以外はお会いすることもなく、夫の兄弟のお嫁さんたちに較べて亡くなられた日、通夜、ご葬儀と
徳島の夫の実家に居りましても、皆様のように故人の思い出を共感しあえることもなく・・・
嫁としての不甲斐なさを痛感しておりました。

縁が一番薄い嫁であったと思います。
夫と私は共に再婚同士であり、夫は現在65歳、私は42歳。23歳もの歳の差があります。
そして、私たち夫婦の間には子供がいないことから、田舎に帰っても居心地の悪さは否めませんでした。

お葬式の時に、夫の兄弟が口を揃えて言われたことです。
義母は一番夫のことを気にかけていたと・・・中学を出てすぐに生活苦もあり大阪に働きに出た息子の
ことが気掛かりだったのでしょう。
兄弟の中で最もやんちゃだったのが夫だそうです。
今もその片鱗は残っております。(^_^;)

義母が亡くなった日に夫の実家に帰り、泊まった場所は義母のご遺体・祭壇と同じ部屋でした。
もっとも縁の薄かった嫁である私がこの場所で過ごさせてもらえることはとても有難いと思いました。

そこでリンクしたことは、私の実父を亡くした時のことです。中学一年生でした。
遺体を家に安置していても、まだ子供であった私には死人=怖ろしいという感覚しかなくて、
そばで父の手を握って眠っている母のことが理解できなかったのを覚えています。

義母の遺体に一人で向き合ったときに、話しかけたこと・・・

「 お義母さん、お元気なときにお話しできなくてごめんなさい。ずっと周平さんとは添い遂げますから。
ご安心してお休みください。」

そして、冷たくなった手にしばらく触れていると私の体温がわずかに伝わった気がして心にあたたかい
何かが流れたように思えました。その時は、もともと他人である義理の仲なのに怖さを感じなかったのが
不思議です。

葬儀の時に僧侶がお話しされたことが今もこころに残っています。

「 ○○さん(母の生前の名)が存在されたことで、今日これだけの人が集まっておられます。○○さんが
この世に残されたご縁です。」

本当にその通りですね。

義母の存在がなければ、夫も夫の兄弟も・・・そして他人とはいえ、姻族である私もそこに居ないわけです。

私は今、夫の姓である、「 かきかわ 」を屋号にして起業しました。
これも、夫の存在無くしてはありえませんし、夫の存在は義母・・・そしてご先祖の存在無くしてはあり得ません。
悠久の広がりを感じます。
この屋号が私たちの子供です。

私たち夫婦はついに子宝には恵まれませんでした。
血縁は我々に関してだけ言えば途絶えます。

しかし・・・他人であってもご縁を繋ぎ、共に歩むことはできます。

子に恵まれなかった分、そちらに力をそそぐことがライフワークなのかもしれません。

子どもができないことも、また自然の摂理・・・
子どもができることも自然の摂理・・・
善いも悪いもないのですね。

私らしく、ありのまま、あるがままで歩みます。

お気軽にお声掛けくださいませ。

かきかわ統合医療相談室

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