横濱・櫻木町コティベーカリーぶろぐ

街のこと店のこと今昔物語

当店、最古の資料

2010年07月17日 10時54分27秒 | 店のこと
                      昭和20年代の夏祭り風景 
             
                     現在の店主(幼児の頃)と初代・冬太郎
当店は小さな“町のパン屋”ですので、特別な資料も残っておりません。古い写真も関東大震災や横浜大空襲で消失してしまい、残っているのは戦後の復興期の写真のみです。そんな情況ですが、あるお客様から「お店の記録が載っている本を見つけましたよ」との情報をいただきましました。

                
その本は、1928年11月の昭和天皇即位式を記念して出版された
『大礼記念 社団法人横浜実業組合聨合会名鑑』です。当時の横浜のありとあらゆる職種の組合が記録されていて、当時の世相を反映した組合の名が目を引きます。
                 横濱蚕糸貿易商同業組合
                 横濱薪炭商同業組合
                 横濱足袋商同業組合
                 横濱荷馬車業組合
                 横濱搾乳畜産業組合 

               
   この本の379ページ「横濱菓子パン製造業組合」の中に当店の記録がありました。
                日本堂支店 馬中冬次郎 花咲町5ノ74
          (冬次郎は誤植で冬太郎が正しい名です、番地は今とは違う区割りだったようです)
当時はパン屋も徒弟制度でしたので、修行をした店で暖簾分けをしてもらい、その名で開業していました。当店は南吉田町の“日本堂”で修行をしていましたので「日本堂支店」という店名になっています。太平洋戦争の後に小麦の統制でパン屋ができなかった時代は「コテイ」という喫茶店を営業しておりました。パン屋再会の折に喫茶店の店名をそのままに「コテイベーカリ-」と改名いたしましたので、旧店名時代の唯一の資料です。

菓子パン製造業組合のほかに「神奈川縣食麺麭製造業組合」(食パン製造組合)という団体もありました。この組合は軍用パンの納入と親睦のために作られたものでパン工場の様な、規模の大きな店で組織されていました。一方の「菓子パン製造業組合」は規模の小さな町のパン屋さんのための組合でした。
今の時代からは想像もつかない、遥かな昔の記録です。







                       
           横浜桜木町シベリアのコテイベーカリーHP
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