活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

公案を考える

2017年04月14日 | 坐禅

公案だけが唯一の坐禅、禅の修行だということではありません。


自分がなぜ公案を看なければならないのか、自分でも考え、

指導者にも尋ねて間違いのない参禅をしないと、禅をすることに

よって、かえって迷いが多くなるということにもなりかねません。

 

公案というのは、弁道、精進の為に非常に役立つものです。

昔は、公案というものはありませんでした。

 

しかし、だんだん人の根気がなくなってきて、黙って坐るということに

堪えがたくなってきたため、やむを得ず便宜上公案に取り組んでいく

ということが、中国から行われてきたのです。

 

ですから、公案そのものは善いものでも悪いものでもありません。

しかし、公案を取り扱う指導者によって一所懸命になっている人を

かえって駄目にしてしまう恐れも無きにしも非ずです。

 

そこで、一つの公案を徹底して看ていくということでないと、間違いを

生ずる恐れがありますので、十分注意して頂きたいところです。


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