活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

賓主(ひんしゅ)

2017年04月16日 | 語録

「賓主(ひんしゅ)」というのは、お客様と主人のことです。

先輩と後輩、先生と生徒とか、いろいろ言われます。

 

今では、このようなことがあまり言われなくなって、

平等と差別(しゃべつ)についても、差別(さべつ)の面

だけが多く取り上げられることになっていますが、「賓主」が

はっきりしないと「差別〈仏教ではしゃべつと読みます〉」

の面で問題が出て来ます。

 

昔から、「平等智はわかりやすいが、差別智(しゃべつち)は

分かりづらい」ということがいわれています。

 

「差別(しゃべつ)」とは、一切のものは、一つのものが分かれた

様子であるということです。

 

ですから、本当は差別智というものがはっきり分からないと、本当の

平等智というのは分からないということです。

 

「觸處(そくしょ)生涯 分(ぶん)に随って足る」という禅語が

あります。

 

「觸處」というのは、自分の触れるところ、生活の場所ということです。

それぞれの人の生涯はそれぞれの場所、自分の位(くらい)によって

みんな足りているという意味です。

 

なかなか自分の立場に真心から満足できないために「賓主」という

ものが乱れることが往々にしてあります。


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