活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

坐禅の道1

2016年12月03日 | 坐禅

この 「坐禅の道」 においては、「結果を求める」 必要はありません。

真剣に 「坐禅の道」 を務めていただければ結構なのです。

 

結果が出ない、うなずくものがないということはどこかに、

「私が、自分が、という力が加わっているからだ」

という事さえ自分ではっきりすれば「自覚」出来るはずです。

 

別の言葉で言えば自ずから、

「これだけこういうようにやっているのだけれども

どこかにまた自分というものが入り込んでいるんだな」

という事が自覚出来れば、自分の入る隙間のない坐禅を

務めることが出来るはずです。

 

それは、「道に親切」 になれば、必ずそういう

「自分はまだこれだけやっているのだけれども

やっぱり自分の力が加わっているな」

「自分が坐禅をしているという、そういう自分という

ものが加わっているな」

ということを自覚出来てくるはずです。

 

ですから、「自分の介在」 というものがなくなるように

ひたすらに坐禅をすれば結果は自ずから

出て来るものです。

 

何故ならば、「因果一如」 だからです。


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2 コメント

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Unknown (もみぢ葉)
2017-11-18 11:03:14
自己を放下する、「放てば手に満てり」、そういう気持ちで坐禅している者ですが、いつしか意識がボンヤリしてきて、居眠り坐禅に陥ってしまい、いつまで経っても真正の三昧に近づく事もままならないまま数十年が過ぎてしまいました。いつの日にか真の心身脱落に至るのか、葛藤の毎日です。
Re:Unknown (山里の和尚)
2017-11-20 07:07:40
コメントありがとうありがとうございます。
過去の記事もいろいろありますので読んで下さると幸いです。

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