物をつかまえて、人間(にんげん)は善いとか悪いとかということを考えます。
実はその事が間違いなのです。
世の中の全てのものは人間の為にあるのではありません。
人間も世の中の一粒です。
その者が勝手な事を考えて、そうして善いの悪いのとそんな事を始めるから無謀なのです。
そうではありません。
「参同契(さんどうかい)」にも「万物(ばんぶつ)自ら功あり、当に用と処とを言うべし」
と、ありますように、全ての物は善いとも悪いとも名付けられない存在です。
有(在)るものが本当に只、有(在)るという世界です。
用い方によって何れも善いといわれ、用い方によって何れも悪いといわれるだけの物です。
一つの目標が立つとその目標に対して、物を見る時分に善い悪いと、いわれるだけのものです。
ですから、「自処位(時間、場所、位置)」が異なると、ガラッと違って来るのです。