活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

時処位

2018年05月16日 | 仏教

物をつかまえて、人間(にんげん)は善いとか悪いとかということを考えます。

実はその事が間違いなのです。


世の中の全てのものは人間の為にあるのではありません。


人間も世の中の一粒です。

その者が勝手な事を考えて、そうして善いの悪いのとそんな事を始めるから無謀なのです。


そうではありません。


「参同契(さんどうかい)」にも「万物(ばんぶつ)自ら功あり、当に用と処とを言うべし」

と、ありますように、全ての物は善いとも悪いとも名付けられない存在です。


有(在)るものが本当に只、有(在)るという世界です。


用い方によって何れも善いといわれ、用い方によって何れも悪いといわれるだけの物です。

一つの目標が立つとその目標に対して、物を見る時分に善い悪いと、いわれるだけのものです。


ですから、「自処位(時間、場所、位置)」が異なると、ガラッと違って来るのです。


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