活かして生きる ~山里の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

実地の修行

2016-10-25 04:22:00 | 道元禅師

道元禅師は、「禅」 とは 「自己をわするるなり自己をわするるとは

萬法(まんぽう)に證せらるるなり」 と、はっきりお示しになっておられます。

 

ですから、その現われ方が 「純一無雑 (じゅんいつむぞう)」 で

何物に当たっても親密でなければなりません。

 

ところが 「実地」 においては、中々そうはいくものではありません。

指導者はここに 「その病」 を指摘して、一句一句薬針を加えるのです。

 

本当に親しいものは何物が入って来ても犯されるものではありません。

先般、「放下着(ほうげじゃく)」 の稿で論及した、

「そんなに無いことが好きならば何時まででも担いでいなさい」

「厳陽(ごんよう)言下(ごんか)に於て大悟す」。

 

ここで初めてすっかり 「残り物」 が取れたとあります。

「無」 をもう一つ 「無」 で殺さなければならないところです。

 

「無」 というものが、まだ残っているのです。

まだ 「無に残り物」 があるということです。

 

「実地」 に当たって 「さっぱり」 しないのです。

丁度、魚を焼いてしまっても、なお匂いが残るようなものです。

 

一層の奮起を促して 「小成 (しょうじょう)」 に安んずるを誡められたのです。

 

道歌に、「蚊帳を出て また障子あり 夏の月」 と。

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