雑脱集

日常の出来事を個人的見解で一方的に発言させて頂く日記

消えていく仕事仲間

2020-05-10 16:04:46 | 個人
金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものだ。

仕事で知り合って、何度か飲みに行った仲間(他社)とは仕事が終わると疎遠になる。
それでも、個人的のお付き合いしている人が数名いる。
年に1回から3回程、会って、酒を交わす。

仕事での繋がりは、やっぱり、その時の共有した時間だけの気がする。
互いに苦労してやり遂げた関係だけです。

それとは別に、「馬が合う」人がいる。
何故か不思議です。

そんな人とは10年以上の付き合いとなっている。

リーマンショック以来、現場作業が中心となった。
以前は営業職半分、現場半分だった。
営業で年に2,3回会っていたお客様とは、その後、年賀状だけの付き合いになった。
そして、会わなくなったら、年賀状でも縁を切られた。
今、年賀状だけで繋がっているお客様は10名程度に激減した。

確かに!お客様と繋がっていれば...縁は切られない。
切られるといことは...私自身に魅力がないのだと思っている。

お互いの利害関係が一致しないと長続きしないものなのです。
まぁ~去っていた人の顔が思い出せないのも納得がいく。

人間出会いは大切ですが...その出会いを活かせることは容易でない。
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人工呼吸器と意識不明

2020-05-03 16:43:30 | 家族
この年になると...両親の兄弟姉妹(伯(叔)父、伯(叔)母)が亡くなることも不思議ではない。
従妹同士の親戚付き合いが希薄になったため、危篤にならないと連絡をしてこない。
よって、対面すると意識不明...そして人工呼吸器をつけている。
勿論、意志疎通はできない。

そして、病室で昔話に花を咲かせる。
1週間も経たない内に黄泉の国へ旅立ってしまう。
このパターンで3人の伯(叔)父、伯(叔)母を見送った。

親戚のお見舞いに、最近、行かない。
両親が50代の頃は親戚が入院するとよく見舞いに行った。
勿論、死を恐れる病気や怪我ではなかった。
そして、帰り道、病院のそばの老舗の飲食店で外食を楽しんだものだ。

お見舞いは大切なことだと思う。
病気の程度ではなく、人と人の繋がりで成り立っている。

そして、突然の別れは辛いものがある。
お見舞いをしていれば...ある程度の覚悟もできる。

これから、益々、親戚付き合いが疎遠になっていく世の中になっていく気がしてならない。

それにしても、人工呼吸器と意識不明の親戚には会いたくない。
結果的には会うことになるんですけど!
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