日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

神武天皇 補足

2014年03月20日 | 日記

神武天皇 補足

 

A.神武天皇の時代比定 補足

 

1.2012年7月28の『神武天皇』で天皇の時代比定を行いました。その補足を

行います。

 

α) 饒速日命(にぎはやひのみこと)


a.饒速日命についての記述の整理


1.正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこ

と)には、高木神(たかぎのかみ)の女(むすめ)萬幡豊秋津師比賣命(よろづはたと

よあきづしひめのみこと)との間に、第一子、天火明命(あめのほあかりのみこと)、

第二子、日子番能邇邇芸尊(ひこほのににぎのみこと)がありました。(『古事記』)

 

2.そして、第一子、天火明命には、尾張連(おわりのむらじ)の遠祖である、天香山

命(あめのかぐやまのみこと)という御子がありました。(『日本書紀 第六書』)

 

3.神武天皇が熊野の地でお困りの時、高倉下(たかくらじ)という者が、布都御魂

(ふつのみたま)という神剣を献上され、お味方として現れられます。(『古事記』)

 

4.そして、この高倉下は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあ

まのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)(亦の名、天火明命、亦の名、饒速日命)

のお子である天香語山命(あめのかごやまのみこと)の別名でありました。(『先代旧

事本記(せんだいくじほんき)』)

 

5.これらの記述から、饒速日命は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の第一子、天火明命

(あめのほあかりのみこと)であることが分かります。

 

6.そして、天火明命は、丹後一宮・籠神社が長く秘伝としていた「勘注系図」に神社

の始祖神として記されていました。(丹後一宮・籠神社、『勘注系図』)このことは、

饒速日命が日本海沿いに東に向かわれたことを伝えます。

 

b.饒速日命の特定

 

1.神武天皇に対して、饒速日命は豊葦原の水穂国(とよあしはらのみづほのくに)の

国譲りを、行われました。(『古事記』)

 

2.饒速日命には、御子がありました。御一人は、長髄彦の妹君である登美夜毘賣(と

みやびめ)=三炊屋媛(みかしやひめ)との間にもうけられた宇摩志麻遅命(うましま

じのみこと)=可美真手命(うましまでのみこと)です。(『古事記』) 御一人が、尾

張連(おわりのむらじ)の遠祖であり、熊野でお味方になられた天香山命です。(『日

本書紀 第六書』)

 

3.本ブログは、『記・紀』が記す闕史八代の天皇の御名は、天照大御神と素戔烏尊の

誓約によってお生まれになった皇子が、天照大御神と高木神の宣託によって東に向かわ

れ(東征)、その地で王となられた方々に対する諱(いみな)だと考えています。つま

りこの八帝の諱(いみな)のなかに饒速日命の御名もあると考えています。

 

4.神話で国譲りをされたのは、大国主神と事代主神です。大国主神は饒速日命に比定

できます。饒速日命も長髄彦から国譲りをされました。譲られた国の血を受け継いでい

らっしゃるお方は誰でしょう。可美真手命です。ここから事代主神は可美真手命だと比

定することができます。

 

5.次に天皇の比定です。饒速日命に贈られた御名の天皇は、その子孫に長髄彦の血脈

と、物部の名を色濃く持たれるものとなります。この視点から『古事記』を見てみまし

ょう。孝元天皇が、両方の特徴を具えていらっしゃいます。『古事記』は、孝元天皇の

御子・大毘古(おおびこ)を記し、そしてその子・建沼河別命(たけぬなかわわけのみ

こと)は阿部臣等の祖と記します。また天皇には、穂積臣等の祖、内色許男命(うつし

こおのみこと)の娘・伊迦賀色許賣命(いかがしこめのみこと)との間に、比古布都押

之信命(ひこふつおしのまことのみこと)という御子がいらっしゃいます。このお方は

「布都(ふつ)」という物部に特有の名前を持っていらっしゃいます。この二点からで

しかないのですが、孝元天皇を饒速日命に比定することができます。そして、開化天皇

は可美真手命です。

 

β) 神武東征の時代比定

 

a.神武天皇の東征に登場される重要なキーパーソン

 

1.登場される重要なキーパーソンは、①.天照大御神 ②.神武天皇 ③.饒速日

命 ④.高倉下 ⑤.長髄彦 です。そして、神武東征の時代比定は、この5人のお方

が同時に揃われるときです。但し、神武天皇が誕生された時は、既に天照大御神は崩御

されています。

 

2.この時代は、『魏志』東夷伝・倭人条が云う、「倭の女王 日御子(ひみこ)、狗

奴国(くぬこく=くまこく)の男王卑弥弓乎(日見日子・ひみひこ)と素(もと)より

和せず」、「相攻撃する状を説く」と記されているAD247の時代の50年から60

年の間と比定されます。

 

3.既に書いていますように、神武天皇と崇神天皇は同一人物です。神武天皇の事績

を、即位までを神武天皇として、治政の世を崇神天皇として記されています。

 

B.岩手県大槌町 黒沢系図

 

α) 黒沢系図に対する私見

 

1.黒沢系図は、一私家の家系図です。よくこれを守り伝えられて来ました。敬服いた

します。おそらくこれからも守り伝えられて行くのだろうと思います。それでよいのだ

と思います。

 

2.しかし、もし私の子供が、「自分の母は奥州安倍の出で、その出自をたどれば孝元

天皇まで遡ることができる」と、言ったとしましょう。そうすると私は、「奥州安倍と

言うことは差支えないけれども、孝元天皇とは言えないんだよ」と、言わなければなり

ません。

 

3.何故かと申しますに、本稿で見ましたように、孝元天皇は、饒速日命その人です。

饒速日命に、長髄彦は自分の邦を譲り、妹の三炊屋媛を嫁がせ、可美真手命をもうけら

れていました。系図は、安日王、長髄彦、三炊屋媛の三兄弟を、武淳河別命(たけぬか

わわけのみこと)=武沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の御子として作ります。

武沼河別命は大彦命=大毘古命の御子です。大彦命は可美真手命と同母兄弟で、孝元天

皇の御子です。同系図では、孝元帝の皇后は鬱色譴皇后(うししこめのこうごう)と

『古事記』が記載している御名を使用していますが、このお方は『記・紀』の書くとこ

ろの長髄彦の妹君でなければなりません。孝元天皇=饒速日命の妃が3代下って再び現

れるという系図は成立しないのです。たとえ、三炊屋媛のお名前が歌舞伎役者の名前が

襲名されるように襲名されていたとしても、史実は、神武天皇、饒速日命、長髄彦、高

倉下の方々が同時代で登場される時であり、孝元天皇=饒速日命の比定が動かぬ限り、

孝元天皇の時代の三炊屋媛姫が大彦命を生み、再び長髄彦命の妹君である三炊屋媛姫が

大彦命を生むということはあり得ないのです。 

 

4.長髄彦命は、『古事記』が記すように、孝元天皇の系図とは独立の「穂積臣等の

祖、内色許男命」と理解することが、日本史との整合性からも最も正しいように思いま

す。

 

5.そして、この部分が添え書きでもして書き直され、再び1000年、2000年と

守り続けられれば、それは後世の歴史家のすばらしい資料となります。何故か?それ

は、この系図を持つ人々の存在と系図は、神武天皇が実在されたことを証すものであ

り、日本史研究を神武朝以前へと誘い、また世界の古代史へと誘うものであるからで

す。

 

6.本稿を書いている意図が、系図の誤りを指摘するものだけに留まらないということ

をお分かり頂ければ幸甚に存じます。

 

参考記事

日の丸の話                2011年05月21日

日の丸の話 2              2011年07月17日

日の丸の話 2 (補足)           2011年07月22日

モーセの十戒               2011年07月31日

日本の神名 三柱             2011年08月08日

丹後一宮・籠神社・海部氏系図         2011年08月21日

女王国                  2011年09月04日

女王国 2                2011年10月02日

夫余・高句麗・百済・新羅の人々      2011年10月23日

新羅の人々                2011年11月06日

長髄彦(ながすねひこ)          2012年03月04日

長髄彦 2                2012年03月18日

長髄彦の出自               2012年03月25日

長髄彦余話                2012年04月02日

闕史八代                 2012年07月08日

闕史八代 2               2012年07月15日

神武天皇                 2012年07月28日

 

                             

                                                 梅

 

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