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今では拙いながらも積極的に文章を書くようになった

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  68期文演17/9/30~12/9アンケートです。

  きょうは、司法試験受験生のTさんです。

 2017-08-18順位でみると、1483位→536位と、ほぼ1000人を抜いちゃってます」のTさんです。

   Tさんの文演アンケート

  Q.1 当講座をどんな目的で受講しましたか?
  A.1 文演を受講した理由は資格試験受験のためだ。特に論述式の試験が苦手で、それを克服したかった。解答のイメージはあるが、それをうまく文章にできない。あれこれと考えているうちに時間は過ぎていき、結局、考えたことのいくらも表現できないまま試験は終了する。こうした経験を何度もし、そのたびに悔しい思いをした。予備校などが作る答案例を手に入れて読んだりしたが、うまく参考にできなかった。答案例に書かれていることはわかるが、それをどう書くかまでは解説されていない。なにか根本的なところがズレているということだけは分かったが、それが何かまでは分からなかった。「文章の書き方」と銘打った書籍を読み漁ったりもした。説得的な内容が書かれた本も多かったが、文章力が上がるということはなかった。むしろさまざまな主張をいっぺんに頭に詰め込んだせいで、混乱してしまった。
 
こうした失敗を重ねるうち、文章を基礎から学びたいという思いが増していった。そんな折に松田先生から文演を勧めていただき、速読の効果を実感していた私は、「クリエイトでなら文章の基礎が学べるかもしれない」と考えて受講を決めた。


  Q.2 「文演」を受講して文章への印象で変わったことがありますか?
  A.2 
「文演」を受講する前の私には、文章は感覚的なものという印象があった。例えば、芸術家の人たちは好んで「感性」という言葉を使う。芸術の世界で「君は感性があるね」と言われたらそれは最大級の賛辞だ。文章においても重要なのは感性であって、技巧や論理は枝葉に過ぎないという印象があった。文章はセンスであって、書ける人には書けるし、書けない人には書けない。文章は才能なのだという考えが無意識にまで及んでいた。
 
「文演」を受講した後の私には、文章は論理的構造的なものという印象がある。例えば、建築物は論理的・構造的なものだ。東京丸の内の高層ビルから、公園のトイレまでさまざまな建築物があるが、どれも論理的構造的に組み立てられている。文章においても重要なのは論理構造であって、それなくして文章は組み立てられないという印象がある。文章は建築物であって、だれでもそこそこのものを作れるようになる。文章は建物なのだという考えが新しく生まれた。このように私の文章への印象は大きく変わった。その理由はもちろん文演の講義にある。講義の内容を具体的に述べることは避けるが、文演を通じて文章を読むこと、書くことに対する態度に変化が起こったのは間違いない。
 まず、文章の読み方が情緒的なものから論理的なものへと変わった。以前は文章の読み方は感覚的であり、ともすると情緒的であった。今は文章を読むときには文章の構造を把握するよう努めている。文章を読むということは、文章の目的と語や文、段落の役割や関連性を知ることだと考えるようになったからだ。また、文章を読む際に、文章そのものを読むようになった。そんなこと当たり前ではないかと言われてしまうかもしれないが、以前の私には、文章そのものより著者の人格などを読み取ろうとする偏向があったのだ。今は、文章の内容を正面から読むという姿勢で文章に取り組んでいる。一方、文章を書く際には、まず、字数の制限を気にするようになった。試験ではよく「あなたの意見を600字以内で論じなさい」や「あなたにとって芸術とは何かを述べなさい(1200字以内)」といった字数の制限がある。以前は字数の制限を漠然とボリュームとしてしか捉えていなかったが、今ではより厳密に考えている。字数の多寡によって書ける内容が決まってくる場合も多い。そのため、文章の内容を考える前に文字数を細かく計算することが習慣になった。

 
Q.3 宿題の「要約」はどうでしたか?
 A.3-1 「授業前」
 文演の2回目に、松田先生から宿題の「要約」について説明がなされ、課題文が配布された。ルールはシンプルで、課題文も魅力的だった。しかし、始めてみるとすぐに手が止まった。課題文のどこを活かしどこを削ればいいのか判断がつかない。自分の文章感覚の頼りなさに改めて直面させられた。要約には30時間以上かけたと思う。外出の際には必ず課題文をもっていき、合間を見つけては読んだ。また、音読も試した。過去の文演受講者の真似をさせてもらったのだが、黙読では気づかない発見が得られて有益だった。一つの文章にこれほど長い時間をかけて取り組んだことはなかった。

 
A.3-2 「授業後」 気に入った文章を要約するようになった。クリエイトで速読を始めてから、自然と図書館で本を借りるようになり、読書量が増えた。面白い文章や重要と思われる文章と出会うことも多い。そこで、せっかく文演で要約を学んだのだからその感覚をさびつかせないようにと、気軽に文章を要約するようになった。文章の枝葉を落としてみると、必ず新しい発見がある。何度も読んで分かった気になっていた文章であっても、要約を施すと違った表情が現れる。難しいようにみえて実はシンプルな内容であったり、のんきな文章のようにみえて実は厳しいことが書かれていたりと、原文のままでは分からなかったことに気づかされる。まるで文章の正体を見破ったようで楽しい。
 もちろん、すべての文章に要約を施すことはできない。要約には時間はかかるし、頭も使う。しかし、これはと思った部分だけでも要約してみると違う。記憶に定着しやすくなるし、ときには自分の文章の材料になってくれたりもする。松田先生は文演の中で「要約は勉強になりますよ」とおっしゃられていた。きっと要約にはまだまだ私の知れない学習効果があるのだと思う。私の要約の技術は未熟だが、今後も機会をみつけては積極的に要約を試みていきたい。

  Q.4 全体的な感想をお聞かせください。
  A.4 
私のお気に入りの翻訳家に金原瑞人という人がいる。『蛇にピアス』で芥川賞を受賞した金原ひとみの実父だが、同業者から「超人的」と評されるほど精力的な翻訳活動をするかたわら、後進の指導にも余念がない。法政大学で主催するゼミからは多数の小説家を輩出している。そんな金原氏の著書『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』(ポプラ文庫)の中に、どうすれば文章が書けるようになるのかについて述べている箇所があったので、ここで少し紹介させてもらいたい。なお、下記の文章は私の独断で要約したものにすぎず、原文とは大きく異なることは予めお断りさせていただく。

 どうやったら、そこそこの文章が書けるようになるのか。十数年、大学の創作ゼミを担当し、ゼミから作家が四人ほど出ている。その経験をもとに出した答えはあまりに簡単で安易なものだ。「書きなさい」、それだけ。世界のほとんどの人は、書くということがどういうことなのかを知らない。なぜなら、それほど書いていないからだ。碁や将棋がいい例だ。勝ち負けのルールや石や駒の動かし方や打ち方を覚えたところで、初心者にはどれをどうしていいのかさっぱりわからない。わからないながらに、繰り返し繰り返しやっているうちに、ある日、「あ、こういうものなんだ」とわかる日がくる。書くのも同じで、ある程度の量をこなさないと、どういうことなのかがわかってこない(もちろん、いつ頃それがわかるかは、その人の資質によるし、結局最後までわからない人もいるし、たまにわかったと勘違いする人もいるが)。言葉の力を実感したければ、実感できるまで読んで書く、書いて読む、それしかない。

 金原氏は、文章は実践知だということを述べているのだと思う。文章力というものは書くという実践によってのみ培われるもので、頭で理屈をこねまわしているだけでは向上しないということではないか。私のような受験生は金原氏の言葉を、まず諫言として受け止めなければならない。合格に焦り、「文章の書き方」なる書籍を読み漁ったり、小手先の技術で文章を解決しようとする者は、とかく文章を実際に書くことをおろそかにしがちだ。頭でっかちではだめで、文章を書くという実践を怠ってはならないのだ。しかし、である。そうか、じゃあ書いてみようといって書き出せる人ばかりだろうか。私自身、文章をたくさん書くべきだと分かってはいた。分かってはいたが、いざ書こうとすると、どう書いたらよいのか分からない、というのが実情だった。仮に書いたとしても、自分の文章が果たして正しいのか、正しい方向にむかっているのかどうか判断がつかない。そのため、いくらもしないうちに筆が止まってしまう。まるで目の前にみえない壁が立ちふさがったかのようで、ずっと最初の一歩が踏み出せない。そんな状態が続いていた。文章の初心者は、こうした壁を乗り越えなければならない。しかしそれは独力では難しいのだ。そこで文演である。文演は、この壁を崩してくれた。そして最初の一歩を自力で踏み出せるようにしてくれた。これには、少なくとも3つの要素が関係していると思う。
 それは周りの受講生からの刺激、文演独自のプログラム、そして弱点の指摘である。この3つが関連して、文章力を向上させてくれると考えている。
 まず、受講生の皆さんからの刺激である。文演の会場は速読のときと同じだ。白を基調としたこぎれいな教室に白昼色の蛍光灯がまぶしい、おなじみの教室である。しかし、教室の雰囲気はずいぶん違う。教室には、作家志望やプロの校正者、エンジニア、幹部自衛官、名門校の学生生徒など、多彩なバックボーンをもつ受講生の皆さんが集まっている。受講生の皆さんには聡明さだけではなく、自信や野心、向上への貪欲さがある。教室にはまるで有識者会議のような雰囲気が漂い、入室するたびに身が引き締まる思いがした。また、優れた方と実際に話してみることで思わぬヒントが頂けることもある。例えば、私は受講生のPさんと話すことができ大変参考になった。Pさんは速読トレーニングの「イメージ記憶」で20秒15秒の記録をもつ、ずば抜けた能力をもつ方だ。「どうやったらそんなに速く覚えられるの?」などと図々しく質問をする私に、Pさんは率直なところを話してくださった。Pさんの言葉は示唆に富んでいて、実際、記録も伸びた。以前は、1分45秒で32~33個だったが、数回の受講のうちに45秒45秒で40個に達した。優れた人々にはいい意味での影響力がある。それは帆風となって、自力では越えられない壁を乗り越えるための助けとなってくれる。
 次に、文演独自のプログラムだ。文演のプログラムは受講生、とくに文章初心者のためにさまざまな創意工夫が施されている。最初の12回で初歩的な講義内容に見切りをつける受講生がたまにいるらしい。しかし、文演の講義は段階的に進んでいくものだ。講義内容は基礎から始まり、回を重ねるとともに応用発展する。文演は第1回から最終回までが一連のプロセスであって、講義の各回は独立のものでなく段階的に連続している。こうした段階的な考え抜かれたプログラムのおかげで、初心者の私は文章を基礎から学ぶことができたし、最終回までついていくこともできた。また、受講生に文章を書かせないというのも優れた設計だ。いわゆる文章教室とは違い、文演では文章を書かない。文章を書けない人間に無理に文章を書かせても学習効果が低いことを熟知していらっしゃるのだと思う。文章を書かせるかわりに、批判をさせる。ダメだしをさせる。示された文章のなにが悪いかを指摘することで、文章をみる眼が養われ、それが文章の改善に役立つのだ。松田先生は「作家は己のうちに厳しい校閲者批評家を飼っています」と言われた。先生は、私たち受講生のうちにも、厳しい批評家を育もうとしてくれたのだと思う。文演のプログラムには、ほかにもさまざまな工夫が施されている。それは私のような文章初心者にも段階的かつ自発的な成長を促してくれるものだ。
 最後に、弱点の指摘である。文演の最終回では、提出した「宿題」の問題点が指摘される。受講生の文章をひとりずつ考察するマンツーマン指導だ。人にはそれぞれ個性があるように文章の弱点も人によってそれぞれ違う。そのため、マスプロ教育では改善が難しい。それを個別に指摘してもらう機会は貴重であった。松田先生の指摘には説得力がある。文芸的な趣味趣向ではなく、客観的な根拠に基づいているからだ。さらにそれは過去の文演指導で蓄積された経験に裏打ちされている。そのため、指摘を抵抗なく受け入れることができた。指摘を受けることで自分の盲点に気づくことができ、今後の努力の指針となった。同時に今までの講義の内容を実践的なレベルで再理解することもできた。

 
以上のように、優れた受講生の皆さんからの刺激、独自のプログラム、弱点の指摘の3点は、互いに関わりあって、文章初心者である私に有効に働いた。優れた人々から刺激を受け、考え抜かれたプログラムに食らいつき、弱点の指摘というフィードバックを得るというプロセスを通じて、文章力が向上したのだ。以前は文章が書けないと苦しんでいたのが、今では拙いながらも積極的に文章を書くようになった。また、文章に試行錯誤することに一種の楽しさを感じられるようにもなった。
 
受講生の皆さん、文演独自のプログラム、松田先生のご指摘のどれひとつが欠けてもこのような変化は起こらなかったように思う。もちろん、私の文章はまだまだ未熟でつたない。文章とは恐ろしいものだという意識は以前よりも増したし、今でも残る自分の悪癖の数々には悩まされることもしばしばだ。現在の力ではまったく不十分で、依然として課題は山積みである。しかし、山積する課題に対して自ら地道に取り組むだけの力は身についたと思う。ようやく赤ん坊が二本足で歩きだした、くらいの成長は自分に認めていいと思っている。私にとって文演は、文章の「自立」の場であったといえるかもしれない。大事なのはこれからだ。文演での学びを基礎にして、着実に歩を進めていきたい。末筆ながら、松田先生、スタッフの皆さま、受講生の皆さま、文演では大変にお世話になりました。皆さまの厚意と尽力なくして今の私はありませんでした。皆さまのお人柄と才能には畏敬の念を感じずにはいられません。この場をお借りして改めて感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 
Tさんの文演アンケートは2回、3通の提出となっています。

 まず1回目があり、その1回目をたたき台に、司法試験受験生文章版と思いの丈版の2通です。上記は、思いの丈版になります。



 Tさんの速読受講回数は31回です。

 仕事をしないで、勉強にだけ打ち込んでの受講回数となると少ないのでは心配になっていました。速読の申し込みが80回コースですから、なおさらです。

 余計なお世話とは思ったのですが、もっと頻繁に通ったほうがいいですよとアドヴァイスのようなものをさせてもらいました。

 すると、Tさんから、家庭の事情で週5日フルタイムでアルバイトをしているとの連絡がありました。中央線国立近辺に住んでいながら、バイトの帰りに速読に立ち寄ろうと遠方の池袋を勤務地に選んだとのことです。シフトの関係で受講できない日々を過ごすのがじれったい。通いたくても通えない生徒さんもいることを知っておいてくださいとも。



 ブログのラストにまた自己宣伝かぁを思わせるような、むかしの生徒さんを紹介することが多いのですが、いまここに通う生徒さんにもっとも参考になるのはここの先輩ではないかと思います(全員が全員、クリエイトに通っているときは無名で、将来を不安に思いながらも努力を怠らなかったひとたちです。それで、こんな紹介になっています。

 Tさんには、司法試験合格者の齋藤さんを紹介します。

 著名ロースクールに合格する能力がありながらも、再度、母校法学部に学士入学したりの紆余曲折を当たり前のように受けいれていたひとです。あちこちチェックしてみてください。

 5年先、10年先を見通して奮闘努力していただければと思います  







          ※クリエイト速読スクールHP               

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コメント
 
 
 
またまた (空猫)
2018-01-19 04:15:37
読み応えのすごいアンケートですね!

とても「文章が書けない」と思っていた方の書いたものとは
思えませんが、それもまた文章とはなにかを知らなければ
言えないことなのかなあとも思えました。

こういうのを読んでしまうと、文演受けたい~と
思わされてしまいますね!
 
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