「ヘブン」川上未映子
amazonの紹介文によると,「驚愕と衝撃、圧倒的感動。涙がとめどなく流れる―。善悪の根源を問う、著者初の長篇小説。」
冗談でしょう!
私は涙を一滴も流さなかったし,一切感動しなかった.
この本から得たものは怒りだけ.
この作者はいったい何が言いたくてこの本を書いたのか?
私の頭脳では理解に苦しむ.
私にはこう読めて仕方ない.
「いじめの問題とは,いじめられる側の考え方の問題だ」
というふうに.
これ以外の読み方があったら誰か教えてほしい.
いいですか?どんな理屈を付けようが,いじめをしてはダメなんです.
いじめは人格の否定であり,人間の尊厳を貶める行為以外の何ものでもないのです.
コジマのセリフはどんなに言葉を尽くしても,読み方によってはいじめを肯定する意見に聞こえる.
コジマも,主人公と同じようにいじめにあっているが,それは彼女自身が自ら選んだ道だ.
勝手に哲学の理屈をつけていじめを受ければいい.
しかし,世の中の多くのいじめに苦しんでいる人は,身体的特徴とか家庭環境とか,つまりその人自身には何の責任もない理由でいじめられ,なおかつそこから逃れたくて苦しんでいるのです.
自分から,父親の思い出を自分に刻みつけるという現実離れした設定とキャラクターを作り上げて,哲学の問題として,いじめを説き続けるコジマは,噴飯ものとしか言い様がない.
しかも,世の中にはいろいろな読者がいる.
もし,いじめにあって,誰かに助けを求めるかどうか悩んでいる人がこの本を読んだとする.
そして,コジマの台詞に感化されて,助けを求めることをあきらめたら,そしてその結果彼が自殺したら,作者はどう責任を取るのか?
いじめは「哲学」ではなくて,「犯罪」なのです.
暴行罪,あるいは名誉毀損に相当する,犯罪なのです.
いじめの唯一の解決策は,第三者に助けを求めることなのです.
自分で解決しようと思うのではなく,『助けて!』と叫ぶことなのです.
そのことをこの作者はわかっていない.
ただ私がこんなに熱くなるのも,この作者の文章がすばらしいからです.
本の帯にもある,「驚愕と衝撃」は本当です.
中学生のいじめをここまでリアルに描いた作品はこれまで見たことがない.
さあ,これから壮絶ないじめが始まるぞ,というシーンは寒気が襲ってくる.アドレナリンが分泌されるのがわかる.
痣や傷跡が付かないように,殴る方法とかの説明も背筋が寒くなるし,サッカーボールを頭から被せて蹴る人間サッカーとか,よく取材しているなあという感じ.
しかし,文章の才能がすごいからと言って,こんな本を書いて良いのか?
もう一つ,作中,いじめる方の立場の生徒が,自分の考えを言うところがあるけど,彼の立場の述べ方は実に明快だ.
『むしゃくしゃしているときに何かに当たりたくなるのは自然な行為だ.
たまたまそこにいじめられるお前がいただけだ.』
つまり,そこに善と悪の判断がないから,したいことをすることが何が悪い?
いやだったらイヤと言って逃げれば良いという論理だ.
しかし,いじめる方は,実際は逃がさないために,あらゆる準備をしてからいじめ始めるので,そこに嘘があるのはみえみえなんだけど.
でも,実際に『いじめている方の人』がこの文章を読めば,気持ちいいんじゃないかな.
そうそう,そうだよな.だからいじめたくなるんだよなってね.ニヤニヤしながら読んでいるのが目に見えるようだ.胸くそが悪い.
例えは悪いが,麻薬常習者には麻薬常習者の考え方があるんだよ,そうだよな,みんな.
と言っているような気がする.
『善悪を超えた』という評があるが,ふざけるなといいたい.
悪は悪です.犯罪です.
犯罪は法律を持って社会が罰すべきもの.
哲学を持って,いじめられる人が自己解決すべきことではない.
とにかくいじめは無条件に「悪」という立場に立たないと,何も解決しない.
いじめは絶対にダメ.
思うに,このいじめというテーマは小説には重過ぎるんじないかな
というか,この作者には無理なんじゃないかな.
もっと,その,何というか,うまく言えないけど,そう,理系の人の方が良いような気がする.
文学じゃ解決しない.
だって,芥川賞作家でしょ?この作者.
芥川は自殺してますもの.
自殺が文学=芸術=美学の終着駅とか思ってたりして?
この人の本を読んで,いじめの結果自殺者が増えたら,にやりとしてたりして.
いじめによる自殺で愛児を失った親御さんには,この本は決して読ませられない.
こんな本が売れて印税を稼いでいる人がいると思うだけで,本を破り捨てたくなるのは私だけだろうか?
amazonの紹介文によると,「驚愕と衝撃、圧倒的感動。涙がとめどなく流れる―。善悪の根源を問う、著者初の長篇小説。」
冗談でしょう!
私は涙を一滴も流さなかったし,一切感動しなかった.
この本から得たものは怒りだけ.
この作者はいったい何が言いたくてこの本を書いたのか?
私の頭脳では理解に苦しむ.
私にはこう読めて仕方ない.
「いじめの問題とは,いじめられる側の考え方の問題だ」
というふうに.
これ以外の読み方があったら誰か教えてほしい.
いいですか?どんな理屈を付けようが,いじめをしてはダメなんです.
いじめは人格の否定であり,人間の尊厳を貶める行為以外の何ものでもないのです.
コジマのセリフはどんなに言葉を尽くしても,読み方によってはいじめを肯定する意見に聞こえる.
コジマも,主人公と同じようにいじめにあっているが,それは彼女自身が自ら選んだ道だ.
勝手に哲学の理屈をつけていじめを受ければいい.
しかし,世の中の多くのいじめに苦しんでいる人は,身体的特徴とか家庭環境とか,つまりその人自身には何の責任もない理由でいじめられ,なおかつそこから逃れたくて苦しんでいるのです.
自分から,父親の思い出を自分に刻みつけるという現実離れした設定とキャラクターを作り上げて,哲学の問題として,いじめを説き続けるコジマは,噴飯ものとしか言い様がない.
しかも,世の中にはいろいろな読者がいる.
もし,いじめにあって,誰かに助けを求めるかどうか悩んでいる人がこの本を読んだとする.
そして,コジマの台詞に感化されて,助けを求めることをあきらめたら,そしてその結果彼が自殺したら,作者はどう責任を取るのか?
いじめは「哲学」ではなくて,「犯罪」なのです.
暴行罪,あるいは名誉毀損に相当する,犯罪なのです.
いじめの唯一の解決策は,第三者に助けを求めることなのです.
自分で解決しようと思うのではなく,『助けて!』と叫ぶことなのです.
そのことをこの作者はわかっていない.
ただ私がこんなに熱くなるのも,この作者の文章がすばらしいからです.
本の帯にもある,「驚愕と衝撃」は本当です.
中学生のいじめをここまでリアルに描いた作品はこれまで見たことがない.
さあ,これから壮絶ないじめが始まるぞ,というシーンは寒気が襲ってくる.アドレナリンが分泌されるのがわかる.
痣や傷跡が付かないように,殴る方法とかの説明も背筋が寒くなるし,サッカーボールを頭から被せて蹴る人間サッカーとか,よく取材しているなあという感じ.
しかし,文章の才能がすごいからと言って,こんな本を書いて良いのか?
もう一つ,作中,いじめる方の立場の生徒が,自分の考えを言うところがあるけど,彼の立場の述べ方は実に明快だ.
『むしゃくしゃしているときに何かに当たりたくなるのは自然な行為だ.
たまたまそこにいじめられるお前がいただけだ.』
つまり,そこに善と悪の判断がないから,したいことをすることが何が悪い?
いやだったらイヤと言って逃げれば良いという論理だ.
しかし,いじめる方は,実際は逃がさないために,あらゆる準備をしてからいじめ始めるので,そこに嘘があるのはみえみえなんだけど.
でも,実際に『いじめている方の人』がこの文章を読めば,気持ちいいんじゃないかな.
そうそう,そうだよな.だからいじめたくなるんだよなってね.ニヤニヤしながら読んでいるのが目に見えるようだ.胸くそが悪い.
例えは悪いが,麻薬常習者には麻薬常習者の考え方があるんだよ,そうだよな,みんな.
と言っているような気がする.
『善悪を超えた』という評があるが,ふざけるなといいたい.
悪は悪です.犯罪です.
犯罪は法律を持って社会が罰すべきもの.
哲学を持って,いじめられる人が自己解決すべきことではない.
とにかくいじめは無条件に「悪」という立場に立たないと,何も解決しない.
いじめは絶対にダメ.
思うに,このいじめというテーマは小説には重過ぎるんじないかな
というか,この作者には無理なんじゃないかな.
もっと,その,何というか,うまく言えないけど,そう,理系の人の方が良いような気がする.
文学じゃ解決しない.
だって,芥川賞作家でしょ?この作者.
芥川は自殺してますもの.
自殺が文学=芸術=美学の終着駅とか思ってたりして?
この人の本を読んで,いじめの結果自殺者が増えたら,にやりとしてたりして.
いじめによる自殺で愛児を失った親御さんには,この本は決して読ませられない.
こんな本が売れて印税を稼いでいる人がいると思うだけで,本を破り捨てたくなるのは私だけだろうか?
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