う~ん.....
いわゆる野球漫画の原作だと思ったら、ぜんぜん違ってました。
家族や友人たちとのやり取りが物語の骨子を成します。
巧は中学入学直前の天才的ピッチャー
病弱な弟、青波(せいは)がいます。
巧の肥大した自我が、当たりかまわず、つまり、相手も自分も区別なく傷つけようとすることに、心が痛みます。
読んでて退屈するようなことはないんですが、せりふが痛い。
私の感性では、傷つけあう台詞の応酬を、楽しむことができませんでした。
若さの特権といえば特権なのかもしれないが、自分の息子があんなだったら、間違いなく殴ってると思う。
会話が一方通行か一往復なんです。
キャッチボールになっていないんだな。
会話の面白さは小説を読む大きな楽しみの一つなのに、それがない。
この小説では、台詞は槍です。相手にグサッ。それっきり。
第1巻だけで判断しちゃいかんのだろうけど...
まあ、とりあえず、第1巻だけの感想と言うことで...
日常生活の中で、相手をなじりたくなることって、ままあります。
我々「普通」の人間も、腹の中で思う分には、思っていると思うんですね。
でも、実際は言えないわけですよ。
巧は、その感情を正確に表現する。つまり、ストレートに相手を傷つけるわけです。
変な話、すごく感情的になってるくせに、表現はずばり的確なんですよ。
私なんか、すごく腹が立って、相手に一言チクリと言ってやろうと思っていても、表現力がないために、遠まわしな言い方になって、相手に妙な顔をされちゃう事があるんですけど、それって悔しいです。
でも、巧はそんなことは決してない。
出発点は幼稚な感情のくせに、表現内容はやり手サラリーマンのように的確。
不気味です。私にはね。
ストレートな感情表現は、彼のピッチャーとしての天才性と、それを自覚した特権意識によるものであり、それは彼が天才であることで許されるということなの?
「でも、本当は彼は純粋な子なんだからいいでしょ?」というスタンスなのですかね?作者は。
小学生があんなに絶対的な自信を持った生き方をするなんて。
やはり不自然でしょう。
高校球児ならまだあり得たかもしれません。
弟の青波も不自然。あんな兄がいたら、弟は兄を嫌うはず。
「僕の憧れ」ですって。
可笑しいでしょう青波君。君はマゾかい?
まだ、第1巻だけしか読んでいないのですが、面白くなるのかなあ、これから。
こんな台詞のやり取り読んで、感動しますか?
私は痛みしか感じない。
そうそう、この小説には感動が無いんです。
心の苛立ちをぶつける言葉のとげの連鎖しかない。
青波が道に迷ったシーンも、最後に巧がなぜ、涙を流すのかぜんぜん理解できない。
涙は、辛いことの後に光が見えた時に流れると、感動するんですけどね...
私の場合はね。
それにしても、久しぶりにけなしちゃったなあ。
バッテリーって結構長いシリーズなんですよね。
ってことは、ファンがいっぱいいるってことですよね。
ってことは、この小説を面白いと思っている人がいっぱいいるということで、私の読み方がおかしいのかなあ?
村上春樹さんの感想の時も同じ様なこと書いたぞ。
続きを読むかどうか、とりあえず、三国志の(2)を読んでから考えます。
そんなに悪い作品じゃなかった記憶があります。
確かに、スポーツものとしては「一瞬の風になれ」や「DIVE!」より暗いので、私もそこまで好きではないんですけど(^^;
周りに人気があても、自分はどうしても好きになれない作品ってありますからね。それはもう自分の感性ですしね。
ちなみに、私も村上春樹さんはパスです。。。w
これから巧がどのように変わっていくかという事がポイントみたいなので、第2巻も読んでみようと思います。
あと、村上春樹さんの件、同じ意見の人がいてホッとしました。(笑)
私も、村上春樹さんは苦手です。
だけど、小説ではありませんが、サリン事件のことを書いた『アンダーグラウンド』はとても深く心に響きました。
伊坂幸太郎さんも人気ですが、1冊読んだだけですが、みんなどうして絶賛するのかな?って思います。
でも、人それぞれ違っていていいのではないでしょうか。
中には、みんながいいって言うからそうかなって思うっていう人もいるかもしれませんよ(笑)
バッテリーは読んでないし、何故か読もうと思わないのです。
何故でしょうね??
心の琴線は、人によって共鳴する周波数が違うということなのでしょう。
バッテリーは、かみさんに頼まれて大学の図書館から借りてきたのですが、私もついでに読んでみようかな?というのがきっかけでした。
動機が実にいいかげんでしたね。