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子どもの楽園(2)

2009年10月19日 | マンガ・アニメの発信力の理由
さらに、『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』から。

カッテンディーケの長崎での見聞から。時代は江戸末期の安政年間。彼は、日本人の幼児教育は、ルソーが『エミール』で主張するところとよく似ていると感じたという。

「一般に親たちは幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭生活にもみなぎっている」。親は子どもの面倒をよく見るが、自由に遊ばせ、ほとんど素裸で路上をかけ回らせる。子どもがどんなにヤンチャでも、叱ったり懲らしたりしている有様を見たことがない。その程度はほとんど「溺愛」に達していて、「彼らほど愉快で楽しそうな子どもたちは他所では見られない。」

時代はさかのぼるが、ポルトガルのイエズス会宣教師ルイス・ロイス(1532ころ~1596/97)も言う。「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない、ただ言葉によって叱責するだけだ。」子どもを鞭打って懲罰することがない、ということはオランダ長崎商館の館員たちも注目していたという。逆に言えば、欧米では子どもが鞭打たれて懲罰されることは、何の不思議でもなかったということだろう。

さらに欧米人が驚くのは、日本では子どもをひどく可愛がり甘やかすにもかかわらず、「好ましい態度を身につけてゆく」ということだった。

欧米と日本とでは、いわゆる躾けに関する考え方にもかなり大きな違いがあり、その背後には当然、子ども観の違いも横たわっていただろう。現代では、欧米流の躾け観の影響もだいぶ色濃くなっている日本だが、子ども観の根底に流れるものは、江戸時代やそれ以前と大きく変わっていないのかもしれない。

子どもを劣等な大人として、鞭打ち躾ける対象として見るのではなく、大切な授かりものとして、その子どもらしさを愛し続けたのが、日本の伝統なのだろうか。もしそうだとすれば、そうした伝統が何らかの前提なって、現代のマンガやアニメに代表されるポップカルチャーが花開いたとしても不思議ではない。
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