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日本人の強さと弱さ(3)

2012年07月06日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)

齋藤がいう「精神」がどんな意味をもっていたのか、もう少し具体例を挙げて見てみよう。

たとえば戦前なら、悟りを得るのは無理にしても、禅がどういうものか感覚的に分かる人が多かったという。生活習慣の中に禅的な発想が入り込んでおり、普通の暮らしが多かれ少なかれ禅的な「精神」につながっていた。武道はもちろん、茶道、華道、書道‥‥などを通して禅的な生き方が生活の中にあふれ、それが心の支えになり、日本人の心の強さを形づくっていた。

かつての日本人は、精神の領野と身体(習慣)の領野を切り離せないものとして発達させていた。禅の修行でも、座禅ばかりではなく、作務と呼ばれる日常の作業のなかで無心を学ぶことが大切だといわれる(日常工夫)。また、手作業が心を和らげることは、最近の研究でも実証されつつあるという。体内にあるセロトニン神経系が、リズムカルな運動によって活性化され、心を安定化させるというのだ。

職人の仕事もそれぞれに固有のリズムを持っている。職人気質で一つの仕事に徹する人生も、人の心に深い安定を与える。それが○○道として自覚されれば、禅的な求道の「精神」を生きることになり、心の安定はさらに深まる。職人がその「道」を究めようとする姿勢は、日本文化の深い「精神」に通じており、これも日本人の心の強さを形づくっていた重要な要素だ。

前回挙げた『論語』などの素読も、リズムカルに声を出す「作業」であると同時に、古典の「精神」を呼吸することにつながり、日本人の心を強くしていた大切な要因で、これはとくに齋藤が強調する方法だ。彼の本『声に出して読みたい日本語』はベストセラーになったから知る人も多いだろう。

このように、それぞれの「精神」を生きる手段を豊富にもっていた日本人は、もともと強い心を持っていた。だったらそれを取り戻せばよい。一昔前の日本人がふつうに実践していたことを復活させればよい。それだけで日本人は元通り強くなれると、齋藤はいう。私もこの点は、大いに賛同する。

一方で、「日本文化のユニークさ」7項目で見てきたような特色は、「精神」として自覚され共有されるほどにはなっていないが、GHQの政策など関係なく、途切れずに受け継がれている。では、それらは齋藤のいう「精神」とどのように関係し、日本人の心にとってどのような意味をもつのか。それが私にとっての新たな問いになったのである。

まず、前回指摘したようにそれらは、齋藤がいう「精神」の層よりは古い層に属し、日本列島という独特の地理的、風土的条件の中で長い年月の間に育まれたものである。そして日本は、豊かな森や自然に恵まれ、他にもいくつかの条件が重なったため、現代の高度産業国家にしてはめずらしく、太古的な母性原理を保ったまま現代に至っている。以上を確認したうえで個々の項目を見ていこう。まずは最初の二つ。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

かつて『ケルトと日本 (角川選書)』の中の「現代のアニミズム-今、なぜケルトか」(上野景文)という論文を紹介したことがある。この論文では、日本人や日本社会の思考、行動様式を以下の7つの特質にまとめる。

イ)自分の周囲との一体性の志向
ロ)理念、理論より実態を重視する姿勢
ハ)総論より各論に目が向いてしまう姿勢
ニ)「自然体的アプローチ」を重視する姿勢
ホ)理論で割り切れぬ「あいまいな(アンビギュアス)領域」の重視
ヘ)相対主義的アプローチへの志向(絶対主義的アプローチを好まず)
ト)モノにこだわり続ける姿勢

これらの特質の根っこに共通の土台として「アニミズムの残滓」が見て取れると、論者はいう。たとえば、ロ)やハ)についてはこうだ。自然の個々の事物に「カミ」ないし「生命」を感じた心性が、今日にまで引き継がれ、社会的行動のレベルで事柄や慣行のひとつひとつにきだわり、それらを「理念」や「論理」で切り捨てることが苦手である。それが実態や各論に向いてしまう姿勢につながる。ホ)やヘ)も、一神教に対して多神教やアニミズムの傾向を多分に反映している。そしてこれらすべてが、父性原理というよりは母性原理の特質を示している。

日本人は、こうした傾向を自分たちの長所と見るよりも短所ととられる傾向がある。実際には長所でも短所でもあるのだが、長所の面を日本人が分かち持つ共通の「精神」として、自覚的に生かしていくべきなのだ。そのとき、上のような性向を個々人が自分の短所として思い悩む度合も減るだろう。長所として自覚的に生かすとき、短所としての面への対処の仕方も自ずと違ってくる。

この中でニ)とト)は、日本人に共有される「精神」として、充分に自覚化されてきた伝統がある。「自然体的アプローチ」は、禅の精神と結びついて日本人の人生哲学のひとつとなっている。つまり、意識的、作為的に何かを「する」より、自然で計らいのないあり方を善しとする哲学である。ト)は、すでに上に述べたようなモノ作りの「精神」、職人気質という「精神」に流れ込んでいる。

いずれにせよ、日本人はGHQの政策ぐらいでは消すに消せない、何千年の歴史の中で育まれた無自覚の心性を生きている。ただしそれらは、日本人の心を支える本当の意味での「精神」になるのを待っている。

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2 コメント

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Unknown (HEう)
2012-07-07 07:00:03
一言だけ。
~より深い、古い「精神」~とありますが、
これは「心性」と呼ばれるものではないでしょうか?

後、完全な余談ですが
以前言われた「天皇制に似た制度」の事を
折を見て探したりしてるのですが
「フランク王国前期メロヴィング朝」なんかは
短命に終わったとはいえアミニズム系で
結構似てるかな~と調べたりしてます。
興味あります。 (cooljapan)
2012-07-07 22:22:51
HEうさんへ、

〉~より深い、古い「精神」~とありますが、
これは「心性」と呼ばれるものではないでしょうか?

確かにご指摘の通りだと思います。ただ、気持ちとしては「精神」とカッコ付きにして特別の言い方だという気持ちはこめていたのですが。

〉「フランク王国前期メロヴィング朝」なんかは
短命に終わったとはいえアミニズム系で

そうなんですか。フランクの発展はいち早くアタナシウス爬キリスト教に改宗したこともその理由と思っていましたが、アニミズム的なものも残っていたのですか。ちょっと興味はあります。

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