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自然科学と西欧の風土:風土と日本人(4)

2014年03月10日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『風土―人間学的考察 (岩波文庫)

今回は再び和辻「風土」論に戻って、モンスーン、砂漠、牧場という三類型のうち、ヨーロッパの「牧場」的風土をどのように論じているかを紹介したい。そこから日本の風土と文化をどう見るかという問題に立ち返るつもりである。

和辻は初めてヨーロッパを訪れたとき、そこに「雑草がない」という事実に驚き、それを一種の啓示としてヨーロッパ的風土の特性をつかみ始めたという。ヨーロッパの風土は「湿潤と乾燥との総合」というべきものである。モンスーン地域と違い、夏は乾燥期であるが、砂漠地域ほど乾燥してはいない。そして冬は雨季であり、夏と冬のこの特性は、南北の気候の違いを超えてヨーロッパに共通している。

そして夏の乾燥が、ヨーロッパを「牧場」的な風土にしている。夏の乾燥は雑草を繁殖させる湿気を欠いており、それが冬の湿潤と相俟って全土を牧場にしてしまうのだ。秋には穏やかな雨に恵まれて、暑さを必要としない冬草の類が柔らかに芽生えてくる。野原にのみでなく、岩山の岩の間にさえもこういう柔らかい冬草が育つ、つまり「牧場」化するのだ。日本の農業では夏の草取りが最重要の労働になるが、ヨーロッパでは雑草との戦いが不要だという。一度開墾された農地は「従順な土地」として人間に従うので、農業労働には自然との戦いという契機が欠けている。

さらにヨーロッパでは、風は一般にきわめて弱く、その弱さは樹木に端正で、規則正しい形を与えるという。不規則な形の樹木を見慣れてた私たちには、その規則正しい形が人工的にさえ見え、さらにはきわめて合理的であるという感じすら与える。 規則正しい形は日本では人工的にしか作りだせないが、ヨーロッパではそれは植物の自然な形なのである。一方、日本では不規則こそ自然な形である。そしてこのような違いは結局、風の強弱によるのである。暴風の少ないところでは木の形が合理的になる。すなわちそこでは自然は合理的な姿で現れるのだという。

自然が従順であることは、自然が合理的で、自然の中から容易に規則を見出す事ができるということだ。そしてこの規則にしたがって自然に対すると、自然はますます従順になる。こうし和辻は「このことが人間をしてさらに自然の中に規則を探求せしめるのである。かく見ればヨーロッパの自然科学がまさしく牧場的風土の産物である事も容易に理解する事ができるであろう」と主張する。

ところで、上に示されたような夏と冬の特徴はヨーロッパにほぼ共通だが、地中海沿岸の南欧と西欧とではもちろん違いもある。西欧は、南欧ほど太陽の光が豊かではなく、冬の寒さも厳しい。和辻は、南欧と違う西欧の特徴を、たとえば日光の乏しい陰鬱さとして論じている。陰鬱な曇りの日には、すべてはもうろうとして輪郭を明らかにせず、それは同時にまた無限の深さへの指標である。そこに内面性への力強い沈潜が引き起こされる。主観性の強調や精神の力説はそこから出てくるのであるという。

ともあれ、西欧のこのように温順な自然は、人間にとって都合のよいものである。そこはかつて恐ろしい森におおわれていたかもしれぬが、一度開墾され、人間の支配下に置かれると、もう人間に背かない従順な自然となった。実際西欧の土地は人間に徹底的に征服されていると言ってよい。

これに対し日本の国土は急峻な山地が多いこともあって人間の支配を受けにくい。日本人はただ国土のわずかな部分のみを極度に利用して生きている。そのわずかな部分も決して温順な自然とはいえない。それは隙さえあれば人間の支配を脱しようとする。この事が日本の農人に世界中で最も優れた「技術」を与えた。しかし日本人はこの「技術」のなかから自然の認識を取り出す事ができなかった。そこから生まれてきたものは「理論」ではなくして芭蕉に代表されるような「芸術」であった。

一方、西欧の従順な自然からは比較的容易に法則が見出される。そして法則の発見は自然をいっそう従順にさせる。このようなことは突発的に人間に襲い掛かる自然に対しては容易でなかった。そこで一方にはあくまでも法則を求めて精進する傾向が生まれ、他方には運を天に委ねるようなあきらめの傾向が支配する。それが合理化の精神を栄えしめるか否かとの分かれ道であったという。

さて、以上のような和辻の論は、モンスーン的風土の湿潤性が、人間を受容的・忍従的にするという論に比べると説得力があるように思われる。自然が規則的であればそこに法則を見つけやすいことは当然だからである。なぜ西欧において近代科学が生まれたのかという問いは、多くの人々が問うてきた大問題であり、それを一神教と結びつけて理解しようとする説もある。いくら絶対唯一の神を信じようと、現実は過酷であり、人間は不可解な神の意志に翻弄さえる。その計り知れない神の意志を少しでも知りたいという願望が、自然や社会の法則性を探る努力につながっていったというのである。西欧の自然が比較的に従順で規則的だったために、その努力が結果を生み出しやすかったのかもしれない。

西洋史学者の会田雄次は『合理主義―ヨーロッパと日本 』で、和辻の風土論を発展させるような形で、西欧に合理主義や近代科学が生まれた背景を探り、さらに日本ではなぜ西欧の近代科学をいち早く取り入れることが出来たのかを問題にしている。次回は会田雄次の論を追いながら考えていきたい。

《関連図書》
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見


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