ぼくががっかりしたのは、八月二十日から世界でも唯一正確な統合失調症の理論をブログで発表しているのだが、どこからも反響がないことだ。
正確なのは実際に飲んでいる薬が全く飲んでも苦しくないレベルに到達した実績がある研究にもとづいているからだし、知的レベルもぼくは決して低くはない。大学は並みの大学だが(国学院大学)、高校は開成に行った。
決して観念的な研究をブログにつづったおぼえはない。
何人かつてをたどって「読んでくれ」と誘った。
けれどもブログが評判になっているとは、どこからも聞こえてこない。
残念だ。
けれども統合失調症の正確な理論はぜひともひろまってほしい。
その理由は、統合失調症の正しい理論は差別・偏見にとても強いことだ。
第一に、統合失調症は予防が可能な病気なので社会全体で取り組めば発生を抑制する効果があげらること。
ゆえに当事者だけの病気ではなく、社会的に認知度が高い病気になりうる。
第二に、統合失調症の病気の仕組みが、遺伝、さらにすすんで素質によってひきおこされるものではなく、運不運によってひきおこされる交通事故のような性質をもつこと。
ゆえに統合失調症の人が避けられる理由はなにもない。統合失調症の人のもってうまれた素質に統合失調症になりやすいところなどなにもない。病気になる前は健常者と何もかわらないのだ。
じゃあなぜ病気になるのですかといえば、強すぎるネガティブな感情をおこしたからだ。強い怒り、恥ずかしくて恥ずかしくてしかたがないという強い恥ずかしさがそれだ。
強すぎる怒りをおこしたから心の中に残ったそれから汚い罵声のような幻聴がきこえるようになる。強すぎる怒りが心の中に残って苦痛だから怒りを変形させた妄想が発生する。
高い年齢で人前でおもらしをすると恥ずかしすぎて心の奥に残るから緊張型の症状である緊張がおこる(恥ずかしい感情が目にくっついてものが気になってしかたがなくなるからです。詳細は以前のブログにかいてあります)。
だが、強い感情をおこすことは異常な脳とはいえないのである。強い怒り、強い恥ずかしさをおこす脳はふつうの大脳です。どこにも欠陥はないのです。
強い怒り、強い恥ずかしさをおこす脳はふつうの脳であるが、強い怒り、強い恥ずかしさをおこすことで病気は発生する。
どこにも統合失調症になりやすい脳など想定する必然性などありはしないことが、おわかりでしょうか。
もういちどくりかえすと、
強い怒り、強い恥ずかしさをおこす脳はまったくふつうの脳です。ですが強い怒り、強い恥ずかしさをおこしたことで病気は発生する。弱い怒り、弱い恥ずかしさでは病気にはなりません。
ですから、もし病気になったのが強い怒り、強い恥ずかしさをおこしたせいならば、その人が統合失調症になったのはなにか不運なことがあってひどく怒ったり、病的に恥ずかしい感情をおこしたせいなのですから、統合失調症は交通事故にあうような病気であるといえるのです。もってうまれた脳が悪いわけではありません。
統合失調症はどこもへんな病気ではありません。そして統合失調症が交通事故にあうような病気というこの考え方は、変わった言動や妄想といったこの病気特有のみかけの「へん」さをも牽制する大きな力をもっており、統合失調症のひとが社会からつまはじきにされることをふせぐ偉大な力があるのです。
統合失調症の人ってへんだなあ。かかわりたくない、関係ない、から、
統合失調症の人って変だけど、しかたがない。になってほしいものです。
統合失調症の症状を汚いものでも見るような視線はその方が間違っているという理論です。
一つつけ加えると、妄想が発生するのは壊れているからではないですよ。心の中に強い怒りがあって苦しいからです。苦しんでいるんです。
ぼくは統合失調症の正確な理論が広まれば、統合失調症の人が社会に同化していくと思います。もうちょっとあたたかく迎え入れられると思います。
ぼくの理論がブログで発表されても全然話題にもならず、残念なんです。
でも統合失調症の人がもっと幸せになる理論なんです。社会から確実にもっとあたたかく迎え入れられるでしょう。
うまれたときに親からもらった脳が、統合失調症になりやすい脳だなんていう学説、いやだと思いませんか?
(とまと)
正確なのは実際に飲んでいる薬が全く飲んでも苦しくないレベルに到達した実績がある研究にもとづいているからだし、知的レベルもぼくは決して低くはない。大学は並みの大学だが(国学院大学)、高校は開成に行った。
決して観念的な研究をブログにつづったおぼえはない。
何人かつてをたどって「読んでくれ」と誘った。
けれどもブログが評判になっているとは、どこからも聞こえてこない。
残念だ。
けれども統合失調症の正確な理論はぜひともひろまってほしい。
その理由は、統合失調症の正しい理論は差別・偏見にとても強いことだ。
第一に、統合失調症は予防が可能な病気なので社会全体で取り組めば発生を抑制する効果があげらること。
ゆえに当事者だけの病気ではなく、社会的に認知度が高い病気になりうる。
第二に、統合失調症の病気の仕組みが、遺伝、さらにすすんで素質によってひきおこされるものではなく、運不運によってひきおこされる交通事故のような性質をもつこと。
ゆえに統合失調症の人が避けられる理由はなにもない。統合失調症の人のもってうまれた素質に統合失調症になりやすいところなどなにもない。病気になる前は健常者と何もかわらないのだ。
じゃあなぜ病気になるのですかといえば、強すぎるネガティブな感情をおこしたからだ。強い怒り、恥ずかしくて恥ずかしくてしかたがないという強い恥ずかしさがそれだ。
強すぎる怒りをおこしたから心の中に残ったそれから汚い罵声のような幻聴がきこえるようになる。強すぎる怒りが心の中に残って苦痛だから怒りを変形させた妄想が発生する。
高い年齢で人前でおもらしをすると恥ずかしすぎて心の奥に残るから緊張型の症状である緊張がおこる(恥ずかしい感情が目にくっついてものが気になってしかたがなくなるからです。詳細は以前のブログにかいてあります)。
だが、強い感情をおこすことは異常な脳とはいえないのである。強い怒り、強い恥ずかしさをおこす脳はふつうの大脳です。どこにも欠陥はないのです。
強い怒り、強い恥ずかしさをおこす脳はふつうの脳であるが、強い怒り、強い恥ずかしさをおこすことで病気は発生する。
どこにも統合失調症になりやすい脳など想定する必然性などありはしないことが、おわかりでしょうか。
もういちどくりかえすと、
強い怒り、強い恥ずかしさをおこす脳はまったくふつうの脳です。ですが強い怒り、強い恥ずかしさをおこしたことで病気は発生する。弱い怒り、弱い恥ずかしさでは病気にはなりません。
ですから、もし病気になったのが強い怒り、強い恥ずかしさをおこしたせいならば、その人が統合失調症になったのはなにか不運なことがあってひどく怒ったり、病的に恥ずかしい感情をおこしたせいなのですから、統合失調症は交通事故にあうような病気であるといえるのです。もってうまれた脳が悪いわけではありません。
統合失調症はどこもへんな病気ではありません。そして統合失調症が交通事故にあうような病気というこの考え方は、変わった言動や妄想といったこの病気特有のみかけの「へん」さをも牽制する大きな力をもっており、統合失調症のひとが社会からつまはじきにされることをふせぐ偉大な力があるのです。
統合失調症の人ってへんだなあ。かかわりたくない、関係ない、から、
統合失調症の人って変だけど、しかたがない。になってほしいものです。
統合失調症の症状を汚いものでも見るような視線はその方が間違っているという理論です。
一つつけ加えると、妄想が発生するのは壊れているからではないですよ。心の中に強い怒りがあって苦しいからです。苦しんでいるんです。
ぼくは統合失調症の正確な理論が広まれば、統合失調症の人が社会に同化していくと思います。もうちょっとあたたかく迎え入れられると思います。
ぼくの理論がブログで発表されても全然話題にもならず、残念なんです。
でも統合失調症の人がもっと幸せになる理論なんです。社会から確実にもっとあたたかく迎え入れられるでしょう。
うまれたときに親からもらった脳が、統合失調症になりやすい脳だなんていう学説、いやだと思いませんか?
(とまと)